はじめに
ボラさんとわたし、そしてこのサイトについて
知り合ったのは97年9月、大阪の阪神百貨店でかなりの規模で開催されていた「トルコ・フェア」で。( 後にも先にも関西ではこれが扱い商品の量と質・イベントの内容において最高だった) 92年11月の初めてのトルコ旅行以来すっかりトルコ・フリークになっていた私は、イズミルでの語学留学から戻ってきていた友人と連れ立って、いそいそと出向いて行きました。会場にはメッチャ背の高いトルコ人のに〜ちゃんが、ヴィシネ
・スユ(サワーチェリージュース)をお客にふるまっていて、われわれも「トルコ人と話せるチャンスだ〜っ!」とばかり、にじり寄っていったのが彼バシャラン・ボラ・バシュタンくんでした。
このフェアには柏崎トルコ文化村(※)からも何人か参加していたようで、彼もその一人でした。アンカラ大学と姉妹提携している創価大学に留学の後柏崎トルコ文化村に就職したらしいのですが、あと数ヵ月でトルコに帰るので「それまでに柏崎に遊びに来てください」とのお誘い。
われわれは「え〜っ?新潟は遠い〜っ!アンカラのほうが行きやすい」と答えて、彼に笑われたのでした。(この時すでに「ヘンな日本人」というレッテルを貼られたようで…)
この出会いから約1年後私の5度目のトルコ旅行は初めての一人旅となり、 アンカラにある彼の実家で大変お世話になることになったのでした。 アンネの手料理は彼が日本で自慢したとおり本当においしくて、お姉さんたちにも「いいのかよぉ〜…こんなに世話になってよぉ…」というくらい面倒を見てもらいました。
もちろんトルコの大切なコムシュルック 「ご近所づきあい」にももれなく連れまわされ、まだまだまともに喋れない私は飛び交うトルコ語の中であっぷあっぷしながらも、全く見ず知らずの外国人である私がオマケでお邪魔しても決して怪訝そうな顔もせず、常にホシュ・ゲルディニズ(ようこそいらっしゃいました)で迎えてくれる人たちに感動を覚えたのでした。
帰国後の彼は、日本語・英語・イタリア語のガイドとして頑張ってきたのですが、01年暮れから遅まきながら兵役に就き、18ヵ月の任務を一昨年(03年)に無事終了。ところが娑婆に戻れば、観光業界はイラク戦争の余波とSARSで不況の真っ只中。日本からのツアーもほとんどなく、以前いたイスタンブルの旅行会社をあたっても、仕事はまずなさそうな状態。そこで昔アンカラから家族でよく遊びにいっていた大好きな町フェティエを拠点に頑張ろう、と決心したのでした。
そんな彼の復帰第1弾の仕事として、03年6月たった一週間ではありましたが、フェティエのガイドを頼みました。ここでは彼の少年時代の友人たちがたくさん、地元を離れず商売に精を出して頑張っています。レストラン、写真屋、旅行代理店などなど…
彼に連れられて町を歩いていると、必ず「よぉっ!ボラじゃないか!どうしてる?元気か?兵役はどうだった?」と声が掛かります。
そもそもリゾート嫌いの私ですが、このとき滞在したフェティエの隣町オリュデニズは、リゾートホテルやペンションの立ち並ぶところではあるものの、こじんまりとしていて落ち着きのある緑豊かな場所です。ちょっと隠れ家的な雰囲気もあってフェティエの町中やホリデイヴィレッジではなく、ここに宿を決めてくれた彼に感謝しています。
このサイトは、ガイドとして再出発した彼を応援するために立ち上げたものです。(そのわりには公開がずーいぶん遅れてしまった・・・) 少しでも多くの人が、フェティエやその周辺に関心を持ってくれて、訪れてみたいと感じ、彼の仕事が増えてくれればいいなぁ、と願っています。(もちろん、フェティエ以外の地方もガイドしてくれますよ!)(※※)
※「柏崎トルコ文化村」は2005年3月以降営業をしていないそうです。ボラさんに、サイトのアップの連絡をしたところ、「先週、倒産したと聞いた」とのこと。
早速調べてみたら、2月に赤字1億円を抱えて経営断念というニュースが出ていました。あの現状では・・・と思う反面、やはり残念ですね。。。
※※トップページにも書き加えていますが、現在ボラさんはイスタンブル在住です。フェティエだけでなく、トルコ全国津々浦々(?)ご相談に乗れますので、引き続きどうぞよろしく。