ED DOG GUN/闘(1)

―――悩むな。迷うな。戦え。


1.WHITE JAZZ
2.GREY HOUND
3.BLACK NIGHT
4.SLY LADY
5.BREAK SHOT



 
1.WHITE JAZZ
 
 

 鋭く薄闇を裂き、ダートが突き刺さる―――ブリッスル・ボードに。渇いた記憶に、さびついた心に。

 灰皿から立ち上る喫い差しの紫煙、遠く流れ聞こえる一筋のジャズの囁き、少しばかりの感傷が胸を苛む。それは酒には消せない痛み。唄にも、女にも、消すことは出来ない。長い長い時間ならば、あるいは消してくれるのだろうか。
 

 裏切られた友情。裏切ったのは、自分だ。
 

 赤城は、またテーブルに腰掛けたまま、ダートを放った。薄闇を裂く一筋の針の光に、色味を失った記憶が、かすれた雑音まじりに甦る。安酒場の隅―――ジュークボックス。ビリヤード台。壊れかけた時計の隣、古びたブリッスル・ボード。三人の仲間と、時を忘れてじゃれあった夜。互いに交わされる信頼の笑みと、皮肉めいた冗談も許し合える絆・・・・・・それは遠くはない過去、近くはない昨日。

 失ったもの。今も、失い続けているもの。薄汚れた闇の奥底に眠る、小さな炎。消えるのは、いつか。
 

 501=ファイブ・オー・ワン―――それぞれが一度に三本ずつダートを投じ、五○一ある持ち点を、丁度ゼロになるよう先に減らした者が勝つ、最も広く知られたダーツゲームの一つ。赤城は煙草をひとくち喫って、集中し、またダートを投げた。空を疾走する矢を追って三人の顔が瞼の裏に過ぎる。そのうちの一人は、もう、いない。

 突き刺さり、ボードが渇いた音を立てた。深く目を瞑る。とたん逆流する、荒れ狂う銃声の喧噪―――数秒のうちに錯綜する、幾つかの死。悲鳴。後悔。

 耳鳴り。
 血に染まった服。
 硝煙の向こうに燃え果てる、慟哭の声。
 枯れたはずの涙。
 怒りの引き金―――残された痛み・・・思い出す度に、心は、微睡みの闇に落ちてゆく。
 

『赤城、スプリット・ザ・レッグスだ。狙えよ』

 赤城は思い出す。椅子の上からの声は、戯れめいた笑み。もう一人がちゃちゃを入れる。

『いいや無理だね、賭けてもいい。こいつは、ここぞって時には必ず、しくじる奴なんだ』

 黙れ外野め、見てろよ、吠え面かかせてやるぜ―――振り向き、言って笑い返す。

 スタンダードゲームで残り持ち点が二点になったとき、ダートがダブルの<1>に入ればゲームアウトとなるが、ミスしてシングルの<1>に入ることが、しばしばある。この場合、ダブルの<1/2>というリングが無い以上、スコアオーバーでなくても、バースト―――つまり失格となる。

 スプリット・ザ・レッグスとは、このとき適用されるフレンドリー・ルールで、ボードの左端にある<11>の数字の二本の足の間にダーツを投げ入れることが出来ればゲームアウト、という逆転ルールのことだ。その隙間は指一本分ほどだが、インナーブル(最中心)の円よりは、じゃっかん広い。

 立ち上がり、赤城は横にスタンスを取る。あの頃と重ねて、肘から先を振る。思い出すために。思い出を振り切るために。ふと記憶に疑問を抱く―――あのとき放った矢は、果たして<11>の脚を引き裂けたのか?

 失投し、ボードから弾かれて、ダートが床に落ち、跳ねた。高く渇いた音・・・・・・思い出せなかった一本の矢。短くなった煙草を灰皿で揉み消して、赤城は顔を押さえた。どうやら少し感傷にすぎた、と奥歯を噛む。
 

 扉を叩く音。開くと、見慣れた顔が覗いた。

「赤城さん、あんたにお客だよ」

「ああ。すぐ行く」

 ジャケットを翻して羽織り、赤城は、バーボンの注がれたグラスの横、無造作に転がっていた銀のスタームルガーを、ホルスターごと手に取った。扉を開ける。途端、音量を上げた白熱のジャズが、焼け付くように耳の奥まで流れ込む。汚泥よりも淀んだ空気、永遠に冴えることのない薄ら闇、ざらついた何かの匂い、黒い手触り・・・

 赤城は、部屋から歩み出た。狂おしく退屈な静寂から、悪意と喧噪の夜へ。そのどちらの方がマシなのかを考えるのは、考えるだけ無為でしかない。天も底もない―――真実は、つねに暗黒、暗黒、暗黒だ。
 



 
2.GREY HOUND
 
 

 煙草と、酒と、紙屑と吐瀉物、それから、たぶんセックスとドラッグも―――雑多な汚れで薄黒く煤けたような狭い地下のライブハウス、ステージに立つ一人の男はブルースハープを吹き鳴らしていた。やたら大柄な印象の男だった。ざっくりと丸刈りにした頭、浅黒く精悍な顔つき、黒い炎のように濃い眉と、まるで抜き身の合い口のようにギラギラと燃える凶暴なまなじり・・・・・・しかしハープを吹くときだけは、どこか淋しげだった。

 暗く沈んだステージの上、たった一つのスポットライトの中で、男は静かに、気怠く、哀切な調べを震わせた。

 郷愁―――決して帰ることの出来ない故郷、帰るべき家の有り得ない者たちへの、深く、寂しい、渇き切った音色で奏でる、それは挽歌だった。死んだ者へ。死に往く者へ。そして―――これから殺すだろう者へ。
 

 演奏を終えて送られるまばらな拍手に、男は興味を示さなかった。無感動にステージを降り、深い焦げ茶色の革のスタジアムジャンパーを着込む。その隣りで、短く逆立った真っ赤な髪の青年が、言葉もなく一本の煙草を差し出した。ラッキーストライク。男は口だけでそれを抜き取ると、赤毛の方がジッポーで火を点けた。狭く暗い闇の中、小さな灯火が、暖かい色で、高さの違う二つの顔を揺らめき照らす。蓋の閉じる渇いた金属音。

 壁に寄りかかり、男は両手を上着の隠しに入れたまま、低い天井を仰いで薄く煙を吐いた。その隣で赤毛の方も煙草に火を点け、並んで壁に寄りかかる。十二月の空気は、暖房の利いた室内の地下でも、やはり肌寒い。男の凍てついた心ほどでは無いにしろ―――
 

 ステージでは、次の演奏が始まった。男は少しも興味がない。

「テツ」

 男は赤毛の名前を呼んだ。もちろん本名ではない。我執院哲弘・・・略して、テツ。呼ばれてテツは首を上げ、振り向く。ふたつの紫煙が、冷気に冴えた空間を、なま暖かく濁らせる。灼熱の爆発への、緩やかな助走。

「なんすか、山崎さん」

 唐突に煙草を床に落とし、紅く散る火花ごと、山崎の武骨なロングブーツの底が火を踏みにじり、消し潰した。犬小屋のようなライブハウスの床に無数に転がる喫い殻の一つが増え、それからテツの分も一つ増えた。巨大なごみため。この街そのものが、世界それ自体が、一つの巨大なごみためだ。ここに美しいものは無い。善いものも、汚れなきものも、何も無い。灰だらけの荒野―――闇は果てしなく悪意に満ちている。

 ざっと薄闇を薙いで身を翻し、大股に歩み出す。鉄板の入ったライダースブーツが、激しく床を蹴りつける。

「―――行くぞ」
                                             . ..... . .. . .
 野太い声が、怒気のような喜悦のような威力を持って放たれた。男は、苛つくように笑っていた。凶暴に歪んだ口の端で地獄色の笑みを浮かべる。つられてテツも、興奮に震えた笑いを顔面に張り付けた。戦慄と昂揚の綯い交ぜになった恐ろしい感情が訳もなく湧き上がり、両肩から首筋、背中にかけて、身を裂くほどの鳥肌が滑走する。そして恐らく、何かに対する激しい憎悪。

 何か―――自分を殺すもの。殺そうとするもの。富める者、奪う者。
 

 外に出る。十二月の風は皮膚に凍みて冷たい。だが山崎の、炎より強く燃える闘志の前には、何の意味もなさない。停めておいた陸王RT-2に山崎が、カタナにはテツが跨り、エンジンに火を入れる。ユニゾンで地を這う重低の排気音。暴力の鼓動。陸王の車体の横、銀に輝く剥き出しのバルブへとくくりつけられた薄汚い白布の包み、その端から顔を覗かせる、レミントンM870のグリップ―――そしてジャンパーの下、ちらちらと控えめに自己主張するダブルヒップホルスターには、二丁のSIGザウエルP226が互いに銃身の背を合わせて、咆哮と共に怒りの銃火を解き放つ瞬間を、冷たく牙を研ぎながら待ち構えている。
 

 山崎は、野獣のように吼えた。テツも吼え、陸王とカタナも吼えて、毒色のネオンきらめく闇の中へと、狂気の爆音を残し走り去る。高らかに、地獄の鐘を打ち鳴らすように。

 皆殺しの雄叫びを上げ、灰色の犬狼は夜に放たれた―――その怒りは、闇を殺し、炎を殺し、血を殺す。
 



 
3.BLACK NIGHT
 
 

 凍てつく風は零下に近く、無数のガラス片を粉々に砕いて散りばめたような、鋭利な冷たさだった。真夜中の港湾、人気のない倉庫、まだボンネットの温かいシルバーメタリックのベンツSL―――つまりは、おさだまりの取引―――浅茶のオーバーコートの襟を立て、白いマフラーを二つ折りに首にかけた中年太りの男が二人と、だらしなくサブマシンガンを構えた黒ずくめが、もう二人。足元には幾本かの煙草の喫い殻、そう長く待っている風ではない。

 何分か遅れてやって来た取引相手も、やはり四人―――黒のキャデラックのドアを降りて革のスーツケーツを持ち出す。ロックを外し、開く。手付け金の万札で隙間なく埋められた中身。内容を確認し、頷く。

 返してトランクの中を見せる。無数の銃火器。米軍基地からの横流し品―――つまりは、スケールの大胆な副業に着手する佐官以上の背徳軍人の存在証明、甘い汁のおこぼれに与ろうとする下士官や兵士たちの存在証明。極道にとっては生業(なりわい)の一つに過ぎない。

 双方から一人ずつがトランクの中身を移し替える作業をし、同じく、双方から二人ずつが、武器を構えて周囲を見張る。これまで何度も取引を交わしてきた信用のおける相手、冗談を言い合う余裕すらある。ほとんどを移し終えたところで、見張りの一人が、その現場に、静かに歩み近づいてくる、見知らぬ一人の男を見つけた。男は中華系の顔立ちだった。

 ドスの利いた声で脅しをかける―――反応は、無い。見張りは苛立ち、怒り、駆け寄って、男にUZIの銃口を突きつける・・・それでも、男は無言のまま少しも歩みを止めようとしない。見たところ完全に丸腰だったが、男は得物の代わりに、特異な空気を纏っていた。凍てつく吹雪のような、絶対零度の氷の気配―――触れるもの全てに死と惨劇をもたらさんとする破滅の疫病にも似た黒い瘴気―――その一歩を踏み出す度に、一呼吸を重ねるごとに、殺意の陰は闇夜を覆い尽くす程、さらに、さらに、どこまでも果てしなく濃くなってゆく。

 無造作に肩まで掛かる漆黒の長髪、虚(うろ)より深い闇の輝きを宿す双眸―――だが、その片目は獰猛な大型肉食獣を思わせる、飽くなき暴意に満ちた金色(こんじき)の瞳―――その異形の眼でギロリと睨まれて、見張りは射すくめられたような気がした。本能の警告―――いま俺の眼の前にいる黒く巨大な死の塊は、俺を頭から一飲みにしようと殺意の爆燃を加速させている!

 恐怖を押し殺し、いや、むしろ恐怖のために、UZIの引き金を絞る。が、その銃口は男の手刀に強烈に弾かれて明後日の方向に銃火の花束を連射した。見張りの黒ずくめは、がくりと体勢を崩し、そのまま、男の貫き手の直撃を免れ得なかった。次に気が付いたときには、もう二度と呼吸が出来なくなっていた。何故なら―――

  . . ..    . . . .. .. .. . . .. . .   . . . . .. .. . . .. . . ..
 貫き手が、鋼鉄の刃よりも遙かに鋭く猛烈に、その喉笛を骨ごと喰い破ったからだ。
 

 瞬間、爆発音のような衝撃。えぐられ弾け飛ぶ肉片、おびただしく噴き出し降りしきる、流血の紅い雪。

 一人目は、悲鳴を上げる間もなく即死した。

 一秒後、やがて他の男たちも、突然おそいきた理不尽な異常事態に遅れて対応する。冷えた闇夜を貫いて、無数の銃弾が灼熱を以てほとばしる。だが、その中華系の男は、首から上の限りなく不安定な死体の胸ぐらを掴み上げ、銃弾に対し楯として、微塵の躊躇なく疾走し、間合いを詰める。次の犠牲者として狙いを定められた見張りの一人は、迫り来る死に我を忘れてUZIのトリガーを引き続けたが、その抵抗は効果を上げなかった。
 

 SMG―――サブマシンガンで使用される拳銃弾は基本的に、発射された銃弾そのものの運動エネルギーによる破壊力のみでは対象の停止には不十分であり、人体内部に弾頭が残留することにより二次致命傷を与えることも重要視されている。また、連射兵器として考えた場合も、余剰な貫通力は跳弾や流れ弾など目的外の殺傷をも生じかねないため危険であり、貫通力は意図的に抑えられているのが現実だった。だからこそ、拳銃弾に対して人体は理想的な楯たりえる。
 

 男は、残り五歩の間合いで楯を前のめりに投げ捨て、その影を左から回り込んで、低い姿勢からバネのように跳び上がり、空中、猛烈な勢いで後ろ回し蹴りを繰り出した。超高速により凄まじい遠心力を得た右の踵が、二人目の見張りの側頭部に、空を断つ獰猛な唸りを上げて襲いかかった。
  . . ..    .. .
 頭蓋骨が、くぼむ。

 砕け散り、吹雪のように無数に大脳皮質に突き刺さる骨片、脳内での大量出血―――とつぜん視界が暗転し、そのまま意識は戻らなかった。蹴られた男は、身体ごと真横に浮き上がって吹き飛び、倉庫の床を擦って数mも滑走した。立ち上がるどころか、もはや指一本も動かせない。ほぼ即死に近かった。

 オーバーコートの中年も、慌ててハンドガンを抜いた。狙いを付け、撃つ。当たらない。ただの一発も命中しない。射撃の腕が下手なせいもあるだろう―――しかし、そうでなくても男には当たらなかった。なにせ目で見ていてさえ影を見失うほどの、ほとんど超人的な機動で、火線上に半秒以上も立っていることはないのだ。また、男が自分以外の者を攻撃している隙を見つけ撃ったとしても、銃弾は、目的とするものでない方の人体に吸い込まれてしまう。手も足も出ない。これまで極道の世界で修羅場をくぐり抜けてきたはずの、銃火器で武装した八人の男たちが、たった一人の空手の殺戮者を相手に、恐怖に凍りつき、殺されるのを待つだけだった。
 

 ―――蹂躙。
 

 吹き荒ぶ黒い殺意の旋風、暴力の喜悦に躍動する死神―――禍々しく、美しく。黒い血を次々と闇夜に噴き上げ、舞わせゆく―――まるで何かの舞踏のように、儀式のように。拳を、蹴りを繰り出すたび、身を返すたび、長い黒髪が暗黒の刃のように鋭く翻る。

 三人目は、顔面を掴まれたまま床に叩き付けられ、まるで鶏卵のように、たやすく頭を潰された。
 四人目は、懐に潜り込まれ、生きたまま銃撃の楯にされて、全身が穴だらけになった。
 五人目は、銃を奪われ、残弾の全てを口の中に叩き込まれた。
 六人目は、回し蹴りで両腕をヘシ折られ、喉笛に肘を喰らって、壁を背に胸を蹴り抜かれ、肺が潰れた。
 七人目は、腹を突き抜け内臓をえぐられ、そのまま、ちょくせつ背骨を掴まれて、真っ二つに折り畳まれた。

 倉庫は黒い血の海に溺れた。

 最後の一人―――八人目は、腰を抜かし、顎は外れて、泣きながら失禁していた。男の手が、やはり無言のまま、首を掴んで持ち上げた。87kgある中年の爪先が、軽々と宙に浮いた。闇に沈む双眸、漆黒の髪の間から、金色の片目が皓々と冴えて燃える。男は広東語なまりの英語で、

「伝えろ。武器も、カネも、俺が頂く。俺が何者かを、知ろうとするな―――俺に近づけば、ひとり残らず、殺す」

 と、ぶつぎれに言ってから、中年の口の中に、何かの書かれた紙を丸めて、押し込んだ。
 

 用が済むと、男は掴んでいた首を放した。どさりと落ちる身体は、恐怖に気を失う寸前だったが、男は無視して振り返り、スーツケースと武器をベンツSLごと奪って、いなくなった。

 翌日、乗り捨てられたベンツだけが発見されたが、男の行方は知れなかった―――所属も、素性も、目的も、何もかも知れなかった。
 

 たった一人の黒い殺戮者は、黒い夜に現れ、黒い夜に溶けて、消えた。男が去った後、そこには、ただ虚より深い血の闇のほかには、何も、何も残らなかった。
 



 
4.SLY LADY
 
 

 赤城は不機嫌だった。カジノの奥の応接室、目の前でソファーに腰かけている女の、からかうように意地悪くにやついた紅い口元を見るにつけ、思い出したくもないことばかりを思い出す。信用ならない女―――人を好いても、決して惚れない女。顔と身体と、自分の女を利用して、自分だけに得を弾き出す才能だけは秀でているが、それ以外は最低の女だった。そして、最も忌まわしいことには、かつての相棒でもある―――仕事上でも、女としても。

「なによ、ぶすくれた顔しちゃって―――久しぶりに会いに来てあげたのに、もう少し嬉しそうに出来ないの?」

「ちっとも嬉しくないからな」

 女の、悪戯っぽい微笑を含んだ声に、にべもなく赤城は吐き捨てた。それでも女は、すこしも怯まない。

「うそよ。ほんとは嬉しいくせに、素直じゃないわね。あーあ、昔のトオルは、もっと素直で可愛かったのにな」

「誰のせいで、こんなにひねくれて可愛くなくなったか、教えてやろうか?」

 女は、あごを引いて軽く首を振る。上目遣いになると、その両眼は特に、猫のようにしなやかで熱っぽい色を帯びる。艶のいい栗色の髪が、くるくるとして頬にかかる毛先を、かすかに揺らす。魅了の仕草。かつては赤城も、これに騙された。

「遠慮するわ。何故だか分からないけど、不思議と聞きたくないの」

「そうだろうよ。自分に都合のいい話しか聞きたがらない耳だからな」

 言われて、女はピアスの片方を撫でながら、とぼけた風に

「あら、でも、形のいい可愛い耳だ、食べちゃいたい、なんて言ってくれる男も、たくさんいるのよ」

「そりゃ気の毒だ。騙されるてるとも知らずに」

 さすがに少しむっとしたのか、女は拗ねたように口をとがらせた。が、それも恐らくは演技の一つに過ぎない。

「なんだか今日のトオル、つめたい。意地悪ばっかり」

 おまえ程じゃねえよ―――と赤城は胸中で毒づいた。それに気付く由もない女は、何気なく部屋を見回す。

「それにしても、こんな高級カジノの用心棒なんてね・・・・・・今じゃエンフォーサーなんだって? 四年前あたしと付き合ってた頃は、けんかっ早いのだけが取り柄の可愛い男の子だったのに、だいぶ出世したじゃない」

 エンフォーサー・・・組員の腕っぷしを鍛えるために雇われる、いわば暴力の専門家。単に腕っぷしだけでなく、銃や刃物の扱い方、殺しや脅迫のための効果的な手段を教えたりもする。基本的には、用心棒、殺し屋。

「そっちは四年前とちっとも変わってないな。憎たらしいくらいに」

 と口に出して言うのは、詮無いので止めた。言ったところで、どうせ「そう、いい女は年を取らないのよ」だとか喉の奥でころころと笑いながら、くだらない軽口を叩くに決まっている―――その方が、よっぽど憎たらしい。

 なので、いいかげん年上風を吹かすのは止せ、と言うにとどめる。

「そんな事より、何しに来た。こんなクソ話をしに来た訳じゃないだろう・・・今度は一体、どんな面倒だ」

 面倒、と赤城は決めつけた。別れた女が会いに来ること自体、大抵ろくなことではないものなのだろうが、この女―――麻里の場合は、さらにろくでもなかった。頼みもしない厄介ごとを持ち込んできた揚げ句、最後はペテンにかけられて、けっきょく骨折り損をこうむる。そんなことばかりだ。赤城は冷めた目で女を見た。ぴったりした真紅のワンピースは長いスリットが腿の付け根あたりまで入り、肩には黒いシルクのショールを巻きつけ、左の手首にシンプルなデザインの銀のブレスレット、それとなく男に意識させる膨らみの好い胸には蜻蛉(とんぼ)をあしらったブローチ、気付くか気付かないか程度の控えめな香水は、エリカの薫り・・・・・・その花言葉は、博愛、孤独、柔軟、寂寞、それに―――不和、裏切り。まさに、うってつけだ。

 赤城の視線と態度に気付いて、ふてくされ気味、聞こえよがしに麻里がこぼす。

「なに、その言いぐさ。せっかく昔のよしみで、加瀬が今日こっちに帰ってきたってこと、真っ先にトオルに教えてあげようと思って来たのに―――」

 途端、赤城の表情が変わった。

「もう日本に着いたのか・・・」

「そうよ。あんたの昔の友達なんでしょ」

 瞬間、赤城の記憶が矢のように疾走する。くだらない冗談を言い合い、笑い合った過去。どんな修羅場も共にくぐり抜け、背中を預けられた数すくない親友。ちくりと刺すような胸の痛み―――裏切りの代償、炎の喚び声。かつて失われた命は、一枚の写真の中に刻まれた笑顔の一つ。

「それで・・・会ったのか、加瀬さんに」

「ええ」

「・・・なにか言ってたか?」

「あんたと会って話がしたいってさ。久しぶりに酒でもどうだって」

「・・・・・・・・・」

 赤城は、視線を床に落とした。軽く奥歯を噛む。いまだ負い目に感じている何か・・・心に打ちつけられた楔。
 

 ふと顔を上げると、張り付けたような微笑の麻里。いぶかしみ、眉根を寄せて赤城は訊ねた。

「なにが可笑しい」

「だって、いかにも一波乱ありそうじゃない。海外に左遷された幹部が現地で一旗あげて凱旋帰国なんて、組織の内外で色んな軋轢が生まれそう・・・・・・つけいる隙なんかも、ね。うん、面白くなりそうだわ」

 といって麻里は手の甲で口元を隠し、まるで新しい悪戯を考えている少女のように、くすくすと笑った。微かに薫ってくる香水―――なかば呆れながら、赤城は思いだした―――エリカの英名HEATH(ヒース)の語源は、ドイツ語で『荒野』―――名の通り、地中海沿岸やアフリカの荒野に自生する、寒咲きの毒花なのだ。トラブルの渦中に自ら臨んでスリルと大金とを求める、どうしようもない性格―――・・・

 なるほど、麻里は四年前と少しも変わっていなかった。憎たらしいくらいに。
 



 
5.BREAK SHOT
 
 

(1)

 そのカジノは地下にあった。組織が所有するビルの中でも最も大きいものの一つで、一般の企業にも多くテナントを貸し出している。受付の館内地図表には載っていない、表向きの階段やエレベーターでは行き着けない、存在しないはずの地階―――裏の世界に通じる大物たちの巣窟、大規模な社会悪の元凶が顔を揃える場所の一つ。暴力団幹部、汚職政治家、収賄企業家、地元の有力者、ときには、警察や自衛隊の幹部も現れる。純粋なギャンブルとしてよりは、むしろ社交や接待の場としての向きも強い。

 黒い繋がりが、果てしなく腐敗を増殖させてゆく―――この世界を舐め尽くし、飲み込むもの。欲に狂って心を蝕まれ、穢れた人間たちの織りなす、闇色の綾―――醜く、汚れ、救い難い、そしてたった一つの、真実。
 

 邪悪な夜の闇に傲岸不遜にそびえ立つ暗黒の塔を、陸王のシートの上から見上げて、山崎は、くわえていたラッキーストライクを投げ捨てた。小さな紅い光点が、巨大な闇に抗い、切り裂いて飛ぶ―――運動エネルギーを使い果たしてアスファルトに落ちた瞬間、ぱっと無数の火花が儚く弾けて、散った。

 陸王から降りる。すらりと長い脚が翻り、ブーツの底が硬い地面を踏みつける。くくりつけてあった布の包みを外してテツに投げ渡す。胸の底に深く暗く燃え盛るのは、特に根拠のない興奮、怒り、闘志―――だが、そんなものは必要ない。

 理由、理屈、論理、原因、根拠―――そんなものは下水に流すか、さもなきゃ犬にでも喰わせちまえ!
 

 肩を揺らし胸を張り、ザクザクと音を立て、大股で並び歩く山崎とテツの二人を、ビルの前に立っていた黒服の三人が気付いた。不審者を入館させないよう配置された、組織の構成員―――うち二人が、山崎たちの足を止めるため前に立ちはだかり、一人は後方で、スーツの内側に右手を滑り込ませた。指先に触れる鉄の感触。

 山崎は、しかし悠然と歩みを止めず、月光ふりそそぐ闇の下、顔面に歪んだ笑みを塗りたくって言った。

「よう。いい夜だな」

 黒服二人は面食らった。そして気付く間もなく、山崎が素早く引き抜いた二丁のSIGザウエルによって、それぞれ脳天に一発ずつの9mmパラベラムを撃ち込まれて、声もなく崩れ落ちた。

 瞬間に張り裂ける二つの銃声、二つの死。

 アスファルトに小さく弾ける薬莢の金属音、ざわめく血、轟々と燃え上がる闘志―――紅く、黒く、熱く。全身が総毛立つようなほとばしる緊張が、山崎の心を、果てしなく加速する暗黒の渦へと駆り立てる。

 後方で待機していた残りの一人が、慌てて銃を抜こうとする。しかし、間に合わない―――すでに巻き付けた布を引き剥がし、フォアエンドをポンプして第一弾を装填したテツが、腰だめにレミントンを構え、トリガーを引き絞っていた。12ゲージの巨大な発砲炎が闇を焦がす。無数のペレットが襲いかかり、男の上半身を、ずたずたに引き裂いた。衝撃に、よろめき壁に手をつく―――破れた肺からは熱血がこみあげ、男は、大量に吐血した。

 焼け付くような痛み、かすむ視界―――男が最後に目にしたものは、歯を合わせ凶悪な笑みを浮かべる山崎の顔面と、冷たく重いシグの銃口、そして闇の天空に狂ったように輝き誇る、巨大な満月の孤独―――男は、山崎の言葉を聞いた。

「だが、気を付けな・・・・・・こんな好い月夜の晩には、決まってオオカミが出るもんだ」

 破裂する乾いた銃火―――9mmの銃弾が額を突き破り、頭蓋内で跳弾して脳幹を破壊した。

 銃声の異常事態に気付いて、さらに四人の黒服が、手に手に銃を持ちビルの玄関ロビーに駆けつける。山崎は落ち着き払って、ぐるりと首を左右に回して鳴らし、目を瞑り、深く息を吐き出してから、テツの名を呼んだ。

「テツ!」

 レミントンを構えたテツが、興奮したように顔を振り向く。山崎は、閉じた目をカッと見開くと同時に、言った。

「派手に行こうぜ」

 漆黒に濁った瞳の海に、暴力と殺意に満ちて炎獄の銀河が渦を巻く。それを目にしたテツは、破顔して、緊張と、興奮と、戦慄と畏怖とに打ち震えながら、山崎から伝染した歪んだ笑みの中に答えた。

「合点!」

 フォアエンドをポンプする鋼鉄の唸り声が、冷えた闇夜に、高らかな狂気を歌い上げた。
 
 

(2)

 地下のカジノ・バーには数十人の客が収まって、静かに白熱するジャズの演奏をBGMに、軽い饗宴じみて、いっけん和やかなざわめきがあった。ルーレット、ブラックジャック、バカラ、スロット―――黒と赤に塗り分けられた数字と確率と駆け引きの世界で、表沙汰には向かない後ろめたい大金が、右から左へと泳ぐ。暗めに絞られた照明、ミラーボール、わざとらしい観葉植物の鉢植え、トレイにドリンクを乗せたバニーガール、賓客の横で腕を絡ませる高級娼婦―――富める者、搾取する者の群れ―――悪意の温床。
 

 しかし、ざわめきのしじまは唐突に破られた。正面入り口の大きな両開きの扉が、ロングブーツに蹴破られ、やかましく開け放たれる。

 一瞬、その場の全員が沈黙して扉の方に振り向く―――暗い部屋から見ると、真っ白な逆光に、肩幅の大柄な男の影が、禍々と浮かび上がった。だらしなく垂れ下げた両手には、完全な暴力というたった一つの目的のため、百年を超す時を経て究極的に進化を重ね続けた人智の結晶・・・・・・黒い鉄と殺意の塊が、それぞれ撃鉄の起きた状態で握られている。

 山崎は、おどけたような軽い身振りを交えながら、陽気な声を上げた。

「よう! ご機嫌は如何かな、可愛い可愛い子ブタちゃん達―――」

 首を下げ、微笑を噛んで声を落とし、暗黒にギラリと光る鋭利な双眸に、狂った炎を宿す。
  . . . . ... . .. .
「わるいオオカミが来たぜ」

 瞬間、山崎の全身から猛烈な勢いで吐き出される殺意の迫力が、その場にいた全員を恐怖の鳥肌に射すくめた。同時に、ふたつのシグの銃口が、でたらめに吼えまくった。女たちの、切り裂くような悲鳴―――突きつけられた死に逃げ惑う賓客。弾け飛ぶ血の雨、舞い上がるトランプの雪、テーブルに床に散り落ちる黄色や青や緑の様々なチップ、砕け散る何か、悲鳴、悲鳴、悲鳴。ブランド物の上等のスーツが、破け、血を吸って真っ黒に塗り潰される。地獄が、舞い降りた―――悪魔の怒りと共に。

 チェンバーに一発ずつを残して撃ち尽くし、山崎は二つのマガジンを抜き落とした。左手に二丁をまとめて持って、ジャンパーの内側から予備のマガジンを取り、ふたつ並べて同時に装填しようとする。その間、カジノの用心棒や賓客の護衛が次々に銃を抜き応戦する。一斉に無数の殺意の塊が山崎を狙い、音速を超えて飛びかかる―――しかし山崎は、仁王立ちのまま避けようともしない。

「や、山崎さん!」

 テツが叫ぶ。だが銃弾は全て甲高く空を切るばかりで、山崎のすぐそばを、風圧だけがかすめて通り過ぎていった。ただの一発も当たらない―――まるで、巨大な悪魔の指先が、山崎に向かう銃弾を嫌って、ゆっくりと軌道を払いのけたようだった。男たちは慌てて、闇雲に乱射した。やはり当たらない。動かない標的を撃つだけなのに―――山崎は、笑った。なぜか自分には決して銃弾が当たることはない、ということを、彼は自信を持って知っていた。そんな山崎の後ろ姿を見てテツは、ほころび、改めて尊敬と畏怖と心酔に胸を満たした。

「どうした? よく狙えよ」

 と言って、改めて銃を両手で持ち直すと、山崎の両腕は、上半身ごと水平に弧を描いて空を切った―――山崎は、再び撃ちまくった。今度は、でたらめではない。確実に脳幹を撃ち抜かれ、ばたばたと倒れていく黒服の男たち―――ほとんど理不尽とも言える戦闘力の差・・・それは神に与えられた才能か。でなければ、悪魔に。
 

 山崎は、ふと足元を見た。何かの破片のせいで顔面を血で塗り固めた、碧い瞳と金髪の壮年が、手を伸ばして床を這いずっていた。山崎には、男が何を言っているのか分からなかったが、しきりに神の名を唱えているのだろうということは知れた。その手の先に転がっていたは、鎖の千切れたロザリオのネックレス―――山崎は、底意地の悪い笑みを口元にもたらして、すらりと銃口を十字架へと向け、引き金を絞った。金属の破片が飛び散る―――銃声に、びくりと身を震わす男。その顔に刻まれたしわが絶望的な恐怖の形に歪んだ。

 山崎の声が、悪意の放射能となって降り注ぐ。

「残念だな。あんたの大事な神様は、いま死んだよ」

 山崎の笑みが、鋼鉄の殺意を帯びた野太い声が、どす黒い炎のように燃え盛る。
      . . .  . . .. . .
「―――だから、あんたも死ね」

 銃声、銃声、銃声。金髪は、動くのを止めた。山崎は天井を仰ぐ―――・・・神? くそくらえだ!

「テツ、用を済ませたら、さっさとずらかるぞ。早くしろ」

「押忍!」

 目的の売上金を目指し、鞄を手に、裏口から事務所の方へと駆けるテツ。先刻に殺し損ねた生き残りが、山崎に向けて再び引き金を絞り抵抗の意を示した。当たりはしない。山崎は笑い、また銃撃の応酬へと戻った。
 
 

(3)

「ねえ・・・・・・なんだか、様子が変よ!」

 いぶかしげに麻里が振り向く。カジノから微かに聞こえてくるはずのジャズが途絶え、代わりに悲鳴ばかりが聞こえた。赤城は立ち上がってスタームルガーKP85のスライドを引く―――タタキか、カチコミか? くそったれ、なんだって俺が席を外してる間に!

 そのとき、赤城の携帯電話が着信音のアラームを鳴らした。二秒で取る。

『赤城さん・・・! はやく来てくれ! くそっ、やべえよ、いかれた野郎が、いきなり―――ちくしょう、みんな死んじまった! くそっ! くそっ!』

 声の後ろに聞こえる幾つもの銃声、悲鳴、喧噪。事態は予想以上に深刻らしい。というよりは、最悪か。

「なに? おい、西田! 落ち着いて説明しろ!」

『ひとり事務所の方に行った・・・・・・たぶん、売上金だ! 赤城さん、はやく―――』

 電話は、西田の悲鳴を残して切れた。赤城は奥歯を噛み締め、横なぎに拳を壁に叩き付けた。くそったれ・・・またか! 仲間の死―――甦る記憶―――また俺は、何も出来ずに、仲間を見殺しにしちまうってのか!

 事務所は応接室の反対方向、カジノを通らなければ向かえない。赤城は、にぶく銀に光沢を放つスタームルガーを握り締め、部屋を飛び出そうとした。慌てて麻里が後ろから声を掛ける。

「ちょ、ちょっと! 行くの? 待ってよ、あ、あたしはどうするのよ!」

 しかし、赤城の足は止められなかった。戸を開け放し、捨て台詞を残してカジノへと駆けていく。

「放っといてどうにかなる女か、おまえが」

「な・・・!」

 一人ぽつねんと部屋に残され、ぶすくれて、麻里は腕を組んだまま、ソファーにどっさと腰を沈めた。

「・・・ふん、だ。なによ、可愛くないやつ」
 
 

(4)

 あらかたを山崎は殺し終え、残っているのは、逃げ遅れてテーブルの下、うずくまって震えている女やバーテンなど武装していない者ばかりだった。だが、まだ一人、抵抗する者がある。その男は、腕と腹を撃たれながらも、山崎に対し屈しようとはしなかった。野郎、根性あるじゃねえか―――山崎は大理石の柱の陰に背を預け、新たな弾倉を再装填した。銃弾に、甲高く大理石が弾け散る。柱の裏から手だけを伸ばし、山崎は視線もくれず後ろ向きに応戦した。西田のすぐ脇のテーブルの上で、ワインの注がれたグラスが音を立てて割れた。

「くそったれ、死にやがれ! ふざけやがって―――ブッ殺してやる!」

 西田は逆上して叫び、撃ちまくった。左腕と腹に一発ずつ喰らっている・・・だが、痛みはない。代わりに、興奮と怒り、心拍数と血糖値の増大だけが爆発的に加速する。なにかの内臓が破裂した。死ぬかも知れない。ならせめて、あのクソ野郎を道連れにしてやる・・・いや、道連れじゃねえ―――俺より先に地獄に送ってやる!
 

 スーパーチャージ―――髄質からのアドレナリン、ノルエピネフリンの大量放出による、一時的な無痛状態。銃撃戦において最も恐ろしいのが、これだ。人間を弾丸一発で完全停止させることは難しい。人を殺すこと自体は、そう難しくはないにしろ、一発の銃弾で即死あるいは行動不能に陥らせるとなると、途端に難易度は跳ね上がる。特に拳銃弾では、脳幹、脊髄、腰椎のいづれかにヒットしない限り、即時の完全停止は望めないのが現実だ。つまり、実戦に於ける一発停止には相当の銃撃センスが要求される、ということであり、それは空軍のパラトルーパー(空挺降下部隊)歴で十年を数える選り抜きの兵士ですらも、そう思い通りに行くものではない。

 また、たとえ心臓や大動脈を撃ち抜かれても、最低でも九十秒は全力で行動することができる、という報告もある。もちろんアドレナリンの放出されていない状態での被弾や、知識や経験の不足などのせいで、致命部位でない銃撃でも「自分は撃たれた→死ぬ」と思い込み、そのショックで死んでしまう、といった例もあるが、大抵の場合は銃撃で即死することはない、と考えていいだろう。

 といって生命の保証はない―――医学的処置が間に合わなかったり、または処置を施したとしても、銃撃の数時間後あるいは数日後に死亡する、というケースが最も多い。それならばまだマシな方で、半身不随や知覚障害に一生を台無しにされることもある。だからこそ、撃たれた者は激しく怒り、興奮し、残された僅かな時間に復讐を決意して、猛烈に逆襲する。このときの西田が、まさにそれだった。
 

「この野郎、出て来やがれ! 勝負しろ、てめえ! 隠れてんじゃねえっ!」

 猛り狂って吼える西田の声を聞いて、柱の裏、山崎は鼻の奥で笑い、ひとりごちた。

「うるせえな・・・喚かなくても聞こえてるぜ」

 避けがたい自分の死に臨んで、それでも腹の据わった覚悟をもって決然と敵に立ち向かおうとする者に、誰であれ山崎は敬意を払った。名前も知らない野郎だが、顔くらい覚えておいてやるか―――短く息を吸い込んで、山崎は獰猛に飛び出した。

 バーのカウンターまで姿勢を低く走り、その間、二丁あわせて五発を撃つ。西田もコルトM1911を撃って応戦したが、相手を捉えたのは山崎の銃弾だけだった。両胸へ二発、太股に一発の9mmが喰らいつく。山崎はカウンターの裏に滑り込んだ。肺が破れ呼吸の出来なくなった西田は、よろめいて両膝が落ち、そのまま床に倒れ伏した。散大する瞳孔、大量の吐血―――カウンターの裏から、山崎が声を上げる。

「どうした? 死んだか? ―――よう、訊いてんだぜ、黙ってねえで返事くらいしろよ、兄弟! それとも、もう終わりか? こっちは、まだ食い足りねえぜ!」

 そのとき、乱暴に扉を開け放つ音―――ようやく赤城が駆けつけた。

「西田! おい、生きてるか?」

 赤城の叫びに、西田は答えない。代わりに、山崎が答えた。

「西田? どの西田だ? 悪いが、あらかた殺っちまったぜ―――名前は知らねえが、中には西田ってのもいたかもな!」

 嘲りの笑い声は無邪気に楽しんでいるようにも聞こえたが、赤城には、そんな情緒を理解してやる筋はない。

「野郎・・・―――ッ!」

 かっと憎怒が燃え上がり、いっしゅん視界が赤くなる。奥歯を噛み、赤城は声の方向にスタームルガーの引き金を何度か絞った。バーの酒棚に並んでいた大小さまざまの瓶が、幾つも中身もろとも砕け散って、その酒とガラス片の一部は、山崎の身にも降りかかる。カウンターから半身を出し、山崎も赤城を数発、狙い撃つ。即座に反応して身を返す、銃弾の風圧が頬をかする、倒れたテーブルを楯に逃げ込む。山崎は、短く口笛を吹いた。

「やるじゃねえか、面白れえ―――そうこなくちゃな! なら、こっちも行くぜ!」

 テーブルの裏に背を預けて座り込んでいた赤城は、上げ銃を保持したまま軽く息を整え、口の中に入り込んだ何かの破片を、ぺっと吐き出して、舌打ちし、ついでのように評した。

「・・・おしゃべりな野郎だ」

 次の瞬間、二人は同時に飛び出した。走りながら、赤城が撃ちまくる。山崎は椅子やテーブルの間を縫って転がり、間一髪で避ける。素早く身を起こし、闇を切るよう鋭く腕を返して反撃―――翻った赤城のジャケットに穴を穿つ―――だが赤城本人には当たらない。流れ弾が何発か、うち一発が、ブラックジャックのテーブルの上、配る前の山を弾いて、ばらばらとカードが舞い上がった。

 生死ぎりぎりの線をくぐり抜け、赤城は低く速く前に飛び込み、前転に受け身を取って間合いを詰める―――素早く膝を突き立て、上半身を起こし銃を構える、銃口の先には、男の真っ黒いシャツの腹―――しまった! 舌打ちする暇はなかった。赤城の側頭部には、既に山崎の銃口が、すぐ頭上に狙いを定め待ち構えていた。

「動くな」

 山崎が、圧倒的優位を宣言した。

 一秒前までの狂騒が嘘のように静まり返った地下の薄闇、なおも死の渦たちこめる地獄の中に、二人は、至近距離で膠着した。鼻先を掠めていく血の匂い、硝煙の匂い―――赤城は立て膝、山崎は足を開いた直立で半身に、互いに銃口を向けあってはいても、腹と頭と―――・・・一触即発には違いないが、どちらが有利かは言うまでもない。赤城の命は、ほんの二ポンドもないトリガーウェイトの上で、綱渡りのように危うい均衡を保っているにすぎなかった。見下ろす構図で、山崎は笑いながら続ける。

「といっても、脳味噌ごと風穴を開けられたくなけりゃの話だがよ・・・・・・この距離でなら、頭の両側に糸を通して吊せるようになるかもな? 何にしろ、自分の脳漿が何色か知るのに絶好の機会であることには違いねえだろうぜ―――試してみる度胸は、あるか? それとも、中身がサル並みだってことがバレるのは困るか?」

 赤城は、しかし怯みもせずに、闇夜に走る豺狼のような昏い輝きを帯びた眼を、鋭く返した。

「無駄口の多い野郎だな・・・・・・ごちゃごちゃ言ってないで、さっさと撃てよ」

 かえすは山崎の、つめたい炎が渦を巻く、濁った瞳―――ある種の大型爬虫類が持つ冷酷さや渇きに近い無気味な何かが、その眼には確かに映り込んでいた。

 凍てつくほど張りつめた昏い沈黙の中、焼けた鉄よりも灼熱する二つの視線が、瞬間に交錯する―――それぞれの薄汚れた誇りが真っ向から激突し、その緊張に耐えかねた空気が焼け付いて火花を上げるようだった。奥歯を噛んで睨めあげる赤城とは対照的に、山崎は、何が可笑しいのか、にやけながら短く口笛を吹いた。

「おい兄弟、そんなにおっかねえ顔で睨むなよ、泣きそうになっちまうぜ。もっと素直に楽しみな―――どっちかが、ほんの少し指先を動かすだけで、くそったれな人生ってやつの全部が、一瞬でブッ飛ぶかも知れねえんだぜ? しびれるじゃねえか―――なあ、全身の皮膚が粟立つみてえだろ? ええ、おい?」

「おまえの冗談に付き合うつもりはない―――撃つ気がないなら、俺が先に撃つ。言っておくが、腹の中に鉛玉を抱えたままで、うまく逃げ切れると思うなよ」

 山崎の眉が、ぴくりと動く。静かな声に、かすかだが怒気を帯びる。

「逃げる・・・? 逃げるってのは、なんだ? 俺は逃げねえぜ―――どんな野郎が相手だろうが、逃げも、恐れも、おもねりもしねえ。戦って殺し、奪いとる。それだけだ」

「大した自信だな」

「そいつがなくちゃ、こんな真似はしてねえさ」

 赤城のこめかみから汗の滴が一筋、あご先へ流れて落ちた。くそったれ、こいつの覚悟の深さは、何を言っても動じない類のものだ。見た目はただのチンピラだが、その根性だけは半端者じゃねえ―――赤城の本能が、そう経験から警告した。なんとか突破口を探す―――思いつかない。

「や、山崎さん! 大丈夫っすか?」

 と、ショットガンと鞄を手にしたテツの声が、山崎の耳に届いた。赤城も目だけで振り向く。テツのレミントンがガシャリと構えられ、その銃口を赤城へと向けた。ただでさえ最悪だった状況が、更に厳しく悪化した。しかし、このまま売上金まで持ち逃げされる訳にはいかない―――・・・どうする?

「おう、テツ! 金の方は、どうだ?」

「それが、あいつが言ってた分の、五分の一も無いっすよ! 俺たち、ニセの情報つかまされたんじゃ―――」

 聞いて山崎は鋭く舌打ちした。

「あの野郎、適当なネタ寄越しやがって・・・!」

 <あいつ>、<あの野郎>―――つまり、何者か、情報提供者がいる・・・カジノの内部事情を、外に漏らしている誰か・・・・・・ くそったれ! 今は生きるか死ぬかが最大の問題だが、生き残ったら生き残ったで、また、ややこしい問題に頭を悩ますことになるのか―――赤城は、本来そんな余裕は無かったはずだが、うんざりした。

「とにかく早いとこ、ずらかりましょう! 取り敢えず金は手に入れたんだし―――」

 と、テツの言葉を遮って、とつぜん山崎が、唾を散らせて声を張り上げた。

「テツ! 後ろだ!」

 驚いてテツが振り向くと、血まみれの腹を左手で押さえながら、おびただしい血の跡を引きずって歩いてきた西田が、最後の怒りを振り絞り、テツの横面を、力いっぱい殴りつけた。片腿を撃ち抜かれていたため西田の拳は普段ほど踏ん張りは利かなかったが、それでもテツは泡を喰らって、よろめいた―――だが、よろめきながらもレミントンの引き金を絞る。

 大口径の烈火を伴って炸裂する暴力の咆哮が、狂える殺意を剥き出して、猛然と西田に襲いかかった。
 

 至近距離での全ペレット直撃―――それは被弾者の個人差には限りなく無関係に、銃創学の専門家や医療関係者をして<ネズミの巣>と呼ばしめる握り拳大の無惨な虫食い跡を皮膚上に残し、その下の内部組織を、完膚なきまで潰滅的に食い荒らすという、ほとんど絶望的な破壊力をもってインパクトする。

 ショットガンペレット(散弾)の銃口速度は、弾種にもよるが、およそ秒速四百〜五百mであり、ライフル弾のような秒速九百mを遙かに凌ぐ超々音速の高速弾に比べると、その運動エネルギー値は低い。したがって、着弾から弾頭が人体内を穿孔する際、物体が音速を超えると発生する衝撃波などによって周辺の組織を強力に外側へと押し広げようとする現象―――<瞬間空洞>の圧力も、散弾一発ずつの威力は拳銃弾と同等以下に弱いもので、ライフル弾のように、弾頭の穿孔痕=<永久空洞>だけでなく、巨大な瞬間空洞の圧力によって二次的に内臓を破裂させるようなことは、滅多に無い。

 しかしペレット散開率の少ない3m以内の至近射では、微少な瞬間空洞たちが互いに共鳴作用を引き起こし合って増幅され、内部組織を徹底的に壊滅させる程の恐るべき殺傷力を発揮する。加えて、無数の弾頭が骨に激突して乱反射したり、鉛が砕け散ったり、また、骨の破片自体が二次銃弾として内部組織を引き裂くため、その最終的な殺傷力はライフル弾と同等か、それをも上回るものになる―――これが直撃した場合、被弾者の生存確率は、まず限りなく低いと言える・・・・・・なにせ、それは外科的な手術処置で即座にどうにか出来るような生やさしい銃創では、決してないのだ。
 

 とにかく西田は胸に真っ赤な<ネズミの巣>を開け、その衝撃で、身体を真後ろに押し倒された。また、よろめいていたテツも、さらにショットガンの強い反動を受けて、肩から激しく床に倒れ込む。

「テツ!」

 山崎が叫んだ―――気を逸らした。その隙を衝き、赤城は左手でシグの銃口を鋭く弾く。そのまま、立て膝から前に飛び込んで山崎の後ろへ回り込み、低空で身を翻し、床の上を滑りながら山崎を狙い撃つ―――無理な体勢で狙いは定まらない、だが一発は確かに山崎の左肩の肉をえぐった。服が破け、いくばくかの血煙が弾ける。山崎は、しかし顔をしかめただけで、銃は手落とさなかった。テツの方へと走って身を避ける―――テツが、赤城に向けてレミントンを撃ち放つ。即座に起き上がり、かわす―――散開したペレットの数発が、赤城の背中を食い破った。熱く灼ける痛みを振り切って雪崩れ込み、柱の裏へと身を隠す。

 獰猛な作動音を伴って排莢された12ゲージのショットシェルが床に弾け、カラカラと乾いた音を立てて転がる。硝煙に薄白くけぶる中、テツが振り向いて声を上げた。

「山崎さん、はやく!」

「おう」
                                            . . .. . . . . ..
 山崎は、流血する左肩を押さえながら、柱の方を見た―――あの野郎、この俺に当てやがった―――小さく笑った。向き直り、テツの先を歩み去ろうとする。

 逃がすか―――待ちやがれ! 苦痛に顔を歪める赤城が、痛みにもたつく手でマガジンを入れ替え、再び銃撃しようと頭を出したそのとき、見ると、倒れた西田が、テツの足を両腕で抱え込むように、しがみついていた。その手には、ピンの抜かれた鈍い暗緑の塊―――手榴弾。

「馬鹿野郎! 西田! おい、やめろ!」

 赤城が叫んだ。

「この野郎、放せ、ちくしょう! や、山崎さん、こいつ・・・! ちくしょう! 山崎さん!」

 テツは焦った。山崎に助けを請う―――血にまみれた西田の顔面を蹴りつけ、振りほどこうとする。

「・・・くそったれ・・・・・・てめえも道連れだ・・・!」

 西田は、死ぬ気だ。腕が一度はがされた―――だが、こんどは執念で鞄にしがみつき、離さない。

「何やってんだ、テツ!」

 山崎がテツに飛びかかった。テツは鞄を手放し、山崎に抱えられ、横っ飛びに地面に臥せる。そのまま、倒れていたテーブルの裏へと滑り込む。
 

 ―――爆発。
 

 閃光と、轟音と、衝撃。西田の上半身は、吹き飛んだ。すさまじいばかりの爆風―――赤城は、腕で顔を覆った。山崎とテツは、耳がばかになった。室内に充満していた血と硝煙の匂いを吹き飛ばす、鼻をつく塩化アンモニウムの燃焼する臭い―――爆発点から半径三mは、黒こげになった。とうぜん西田の下半身も。

 鞄の中身も吹き飛び、無数の札束が、その一部は燃えながら、はらはらと雪のように宙を舞った。首を振りながら立ち上がると、テツは万札に気付いて拾い集めようとしたが、山崎がテツの頭を小突いて、やめさせた。

 爆炎の向こうに二人の影が走り去るのを、赤城は、ほとんど呆然としながら見ていた。
 

 痛感する己の無力―――俺は、また仲間を救えなかった―――ぎりぎりと拳を握り締め、赤城は、炎と黒煙たちこめるカジノの残骸に、しばらくのあいだ立ち尽くしていた。

 怒り、後悔、慚愧、苛立ち、痛み―――・・・
 
 

 だが、これは発端に過ぎなかった。

 ―――台上のナインボールは、このとき弾かれ、それぞれのベクトルへ向けて動き出した。赤城も、山崎も、台上で踊るボールの一つでしかない―――では、キューを突くのは果たして、誰か。

 炎は、黙して答えない。ただ、紅く、黒く、燃え盛る―――血に染まった犬たちの影を、闇夜に照らして揺らめかせるだけだった。
 


ED DOG GUN/闘(1)
DATE:01/06/03(Sun) WRITING and EDITING:Johnnie the Fire
BELONGING:[ Committee for Eating 3 Owans of MESHI with Gal games ]