5.振り返れば魔女がいる
(1)
悪い魔女につかまってしまった―――
安田の社長に対する印象は、ずばり一言でいってそんなところだった。見た目は普通の15歳の少女なのに、彼女の内側には全く恐るべき魔性が潜んでいる。最低でも20年以上の修練が必要と言われるA級魔女資格試験に12歳という驚異的な若さで合格したその超天才的な魔法の才能はもとより、彼女の本当に恐ろしい魔性とは、生まれついての魔女としての彼女という存在が放つ、不思議な魅了の空気なのだ。恐らくは本人も意識してはいないだろうが、彼女にはそういう、カリスマとでも言うべき何かが確かにある。安田は、そのせいで自分が彼女の手から逃れられはしないだろうということを直感で知っていた。
20世紀の終身雇用神話が崩壊し、欧米的実力主義がこの国にも広く浸透し始めた2015年現在、自分より7歳も年下の者を上司と呼ぶことは大して珍しいことでも無くなってきてはいたが、しかし、新卒採用の時点で既に7歳年下というのは、やはり尋常なことではない。それなのに彼はこの3ヶ月で、7歳年下の彼女のことを<社長>と呼び敬語で対応すること、また、彼女から<安田クン>と呼ばれ命令調で対応されることに、すっかり慣れてしまっていた。いや、7歳くらいならまだマシだ。彼の先輩の加藤など干支が一回り分まるまる違う訳だし、迫水に至ってはそれ以上だということだった。それでも二人とも彼女を<社長>と呼ぶことに大して抵抗を覚える風でもないのは、まあ、この二人には常人と趣を異にする部分が少なからずあるという事実を差し置いたとしても、やはり彼女のカリスマ的な何かによるものに違いなかった。
日本橋に辿り着いてはみたものの、安田は、突き抜ける青い空を見上げて途方に暮れていた。
「よくよく考えれば、社長を捜すって言ったって日本橋のどこ探せばいいんだろ。勢いで飛び出しちゃったからなあ・・・」
前髪をかき上げ呟いて、安田は考えた。まあ、どうせあの子のことだ、探すまでもなく騒ぎを起こして居場所が知れることにはなるんだろうけど―――けど、そうなってからでは遅いということもあり得る。いつぞやのように、駆けつけたときには既に警察のご厄介になっていて、とばっちりで自分までが警官から説教を聞かされる羽目になるのは、さすがに勘弁して欲しかった。
特に宛もなく人通りの多い方へと歩いていた安田は、ざわめく雑踏と自動車の交通音を耳やかましく聞いていたが、不意に後方百数十mの辺りから、どーんという大きな爆発音がして、驚いて転びそうになった。振り向いてみれば、道行く人々も一人残らず首を怪音の発振源の方へと真っ直ぐに向け凍り付いていて、自動車はブレーキも忘れ接触することがそこかしこ、それもそのはず、彼らはその時、おおよそ信じられないような光景を目の当たりにしていたのだ。映画の特殊効果よりもずっと現実感のあるそれは砂塵を巻き上げ、天に仇なす銀灰の塔の強化ガラス張りの入り口を突き破って、まるで塔と競うかのような勢いで高さ約20mに渡り屹立していた。その姿は黒がかった緑色の堅固なウロコにびっしりと覆われていて、頭部からは後方へと突き出た巨大な鍾乳石のような突起が幾本も生え、人間なら2〜3人はいっぺんに丸飲み出来そうな程に大きな口からは、先の別れた赤い舌が覗いていて、さながら絵本で見たドラゴンのようであった。と言っても、体長の割に胴は細長く、手足も羽根も無く、腹の部分はつるりと何もなかったので、むしろヘビに近かったが、安田は少なくとも、いや、そこにいた誰もが、それがヘビだったとは信じられなかっただろう。その姿は、ヘビと言うにはあまりにも巨大すぎた。
遅かった―――!
引きつり顔を半分隠すようにして右手を当てがい、安田は胸の裏側で悔恨の呪詛を繰り返した。確たる証拠は一つもなかったが、彼には分かっていたのだ、それが全て、間違いなく社長の仕業だと言うことに。社長が3ヶ月に渡って熟成させていた例の壺の中身の正体は、あの大蛇だったのだ。そうに違いない。そうする目的が何かまでは、その時の彼は混乱していたので思い及ばなかったが、そのビルが、社長がひどく一方的にライバル視している帝友グループの本社ビルだということも推測に拍車を掛けていた。
気が付いたときには、彼は現場へと向けて走り出していた。自分が行ってどうにかなるものでもないだろうが、とにかく行かなければならない。安田は思った―――やっぱりあの子は、とんでもない魔女だ!
(2)
「さっすが治安大国日本、警察の対応に関して世界一のスピードってのは、あながち嘘でもないみたいね。事件発生から30分以内にあらかたの避難と交通遮断、包囲体勢が出来上がっちゃったわ。・・・・・・あ、ねえねえテスタロッサ、見える?ほら、あれ観音崎麗子よ。あの女、もう来てたのね・・・ふふっ、慌ててる慌ててる、いい気味だわ」
現場から、安田とはまるきり反対の方向へやはり百数十mほど離れたその地点、ビルの屋上から、ソニアとテスタロッサは事の次第を傍観していた。鼻歌混じりに双眼鏡を覗き込み意地悪げな笑みを浮かべる楽しそうな主人とは対称的に、使い魔の方は薄黒く色のついた空気をまとうほど気落ちした表情で、重苦しそうにぼそりと呟く。
「ああ・・・俺もこれで犯罪者か・・・」
「だから、捕まりさえしなけりゃ犯罪にはならないってば」
「・・・そういう問題じゃありません、精神的な意味でです」
聞いたソニアは小さく呆れ顔を作る。
「まったく気が小さいわねえ。あ、見なさいよテスタロッサ、あの子、バリケードのつもりのパトカーを折り紙細工みたいに軽々と押しのけてるわよ。思った以上にパワフルに育っちゃったみたいね、うんうん、3ヶ月も熟成させた甲斐があったわ」
破壊活動用強襲クリーチャー【ラブリーうわばみクンZZZ(トライゼータ)カスタム】。それがその大蛇の名前だった。どの辺がラブリーなのか分からない上に何がゼータでしかも何故3つも並んでいるのかテスタロッサには理解できなかったが、彼女にネーミングセンスが全く無いのは今に始まったことではないので、どうでもいいことではあった。彼がペトラルカ家へやってきた日も、危うく彼女に【ルキフゲ・ロフォカレ2世】という名前にされかけた。結局は大奥様、つまり彼女の母によって【テスタロッサ】という自分でも割と気に入っている名前をもらえたので助かったが、以来彼は彼女のセンスに限りなく懐疑的になったのだった。
フェンスに両肘をかけて後足の爪先でとんとんとリズムを取りながら、なおも鼻歌混じりに自分の<出>のタイミングをはかる主人を見上げて、テスタロッサは、今更どうしようもない、と、海よりも深い溜息をついた。それは、彼を中心にその場だけ重力が増えるのではないかと思える程に大きく重たい溜息だった。
(3)
現場に駆けつけた観音崎麗子は、黒光りするリムジンから降りたと同時に自分の目を疑うことになった。
「な・・・何なのよ、これは・・・ッ!」
明らかに怒りを含んだ声だった。あらゆる分野において事実上の世界一を独占し続ける帝友グループ会長、観音崎光成の孫娘である彼女は、報せを聞いて学校から直接現場へと急いだらしい、名門として名高い光蘭女子高等学校の制服を着たままの姿で、今や警備の警官と野次馬とでごった返しとなっている本社ビルの前に現れた。入り口の強化ガラスは打ち破られ、そこからぬっと姿を現した巨大なヘビがビルめがけて何度も体当たりを繰り返していて、その大蛇の口からは先別れした赤い舌がしきりに出入りし、シュルシュルと不快な音を立てている。普段なら決して美を損ねることのない、少しの隙も無く整った顔の上に一握の翳りをはらんだまま、品のいいカチューシャで背中へと送られた、腰まで届く横並びの縦巻きロールの髪を風に乗せ一歩前に出る。黄色地に赤の大文字で<KEEP OUT/POLICE>と繰り返し書き連ねられたテープをくぐろうとして、彼女は本社直属のセキュリティガード(SG)に行く手を遮られた。
「お嬢様、ここは危険です、お下がりくだ―――」
「どきなさい」
言い終わらせずに一喝。その迫力に確かな観音崎の血を見せつけられ、たじろぐSGに向かい、彼女は早口でさらに続ける。
「お爺様がニューヨークへ出向いてる今、このビルを預かっているのは私よ。
私のビルで、これ以上あんな訳の分からないモノに好き勝手な跳梁を許す訳にはいかないわ」
「し、しかし・・・」
なおも食い下がるSGは勿論、彼女の身を案じての配慮だったが、麗子にはとりつく島もない。上目遣いで涼しく睨みつける彼女がその背中に負っていたのは女子高生の持つ空気などではなく、間違いなく覇気に溢れる経営者のそれだった。静かな声にも重みがある。彼女は、うろたえ逡巡するしかないSGにもう一度だけ、力強く繰り返した。
「私は、どきなさい、と言ったの。同じ事を二度も言わせないで」
SGは完全に圧倒され、もう言葉も出なかった。彼女が大蛇に対してどうにかすることができるとは思えなかったが、しかしその迫力に関して言えば、彼にとって目の前の少女から大蛇以上に恐ろしい何かを感じた。それは観音崎というバックがあるからではない、彼女自身の発する強烈なオーラからだった。ちょうどその時、リムジンの運転席にいた初老の紳士が彼女の後ろから歩み寄り、今しがた警察から聞いた事情を少女に耳打ちし始めた。麗子は彼の方は見ないまま押し黙って聞く。
「・・・避難の指揮に当たっていたSGは負傷者多数、組織としての機能はほとんど望めないということです。幸いにして今のところ死者は出ていないそうですが、状況に手の施しようがありません。恐らくは警察も頼りにはならんでしょうな、この様子では」
「ビルの中に取り残されてるのは何人?」
「多くは裏口や非常階段から避難したとのことで・・・情報では、現在24名が所在未確認です」
「そう、じゃあ行くわよ、ついてきなさい」
そう言って足を踏み出す麗子に、白髪混じりのオールバックの紳士は一筋だけ表情を曇らせて、わざと繰り返す。
「・・・行く、とは?」
「決まってるでしょう、その24人を避難させるの」
「お嬢様、そのような仕事は我々やSGにおまかせ・・・」
「田代」
執事の言葉を遮って、彼女は決然と言って聞かせた。
「私がお爺様から預かっているのは、このビルだけじゃない―――社員の安全もよ。私にはその責任があるわ」
田代はそれを聞いて、自分の仕える少女の器を再確認し、かしこまって慇懃に一礼した。恐らく彼女には、裏口から回り込もうなどという考えは無かっただろう。世界一の座にある者は何者にも決して屈しはしない、という光成の教えを、彼女は忠実に守っていた。たとえ相手が、これまで見たこともないような化け物の類であろうとも。
活動範囲内に侵入してきた異分子を発見次第、その大蛇、ラブリーうわばみクンZZZカスタムは巨大な鎌首を持ち上げ、猛然と少女に襲いかかった。麗子は悲鳴を上げるどころか目をつぶろうともせず、鋭い目つきで大蛇を睨みつける。大蛇の牙と彼女との距離が5mも無くなった時、初老とは思えぬ俊敏な動きで間に割って入った田代が目にも止まらぬ早技で濃い灰色の背広の内側に右手を滑り込ませ、取り出したコルト・ガバメントで大蛇の口の中めがけ、マガジン内の.45ACP、7発全弾を叩き込む。豪勢な発砲音とマズルフラッシュの閃光に混じって、排出された7つのカートリッジがアスファルトの上で連続して短い金属音を立てた。なまじ生物としての感覚を持つ大蛇は焼けつく痛みにひるんで奇怪な叫びと共に顔を背け、田代は、落ち着き払った手つきでマガジンを交換する。空になった弾倉が地に落ち音を立てるのとほぼ同時に、新たな生命を装填された銃が、ジャキン、と歓びの声を上げた。スライドを引いてチェンバーに最初の弾丸を送り込みながら、田代は灰色の口髭の下から感想をこぼす。
「やれやれ、久しぶりに銃を抜きましたよ。先代について中近東を回っていた頃は日常茶飯事だったのですが」
続いて麗子が腕組みした形で、冗談めかした感想を繋ぐ。
「田代、あなた銃刀法違反の現行犯ね、それも大勢の警官の目の前で」
言われて気付いたのか、田代が周りを見回すと確かに現場の警備に当たっていた警官達が目を丸くして彼と彼の銃を見ていた。しかし田代は特に気にした風でもなく、面倒事は後でまとめて処理しましょう、と一言もらしただけだった。どうやら帝友は警察方面にも顔が利くらしい。拳銃を構え直し、その執事は現況を判断して控えめに提案する。
「しかしお嬢様、申し訳ありませんが、今の私の腕とガバだけでは次は凌げるかどうか多少不安ですな。お気持ちは分かりますが、ここはひとまず退くこともお考えになった方が良いのでは?」
「わたしもそうした方がいいと思うわ、観音崎麗子さん♪」
不意に後ろから聞き覚えのある、麗子にとってひどく不快な色を帯びた声がして、彼女は飛び退き振り向いた。縦巻きロールの亜麻色髪が空気に乗ってふわりとひるがえる。
「そっ、ソニア・ペトラルカ! あなた、いつの間に、どこから・・・」
「ついさっき、空から」
質問にそのまま答え、手にしたホウキを示して見せてソニアはにやりと妖しく笑った。後ろにはテスタロッサもいる。心なしか弾んだような声で、彼女は両手を当てた腰を捻るように曲げて会長令嬢の顔を斜め下からのぞき込み、言葉を続ける。
「随分とお困りのようね。まったく、大企業ともなるとテロ対策もしなくちゃならないなんて大変ねえ、観音崎さん? あーんな強力な魔法兵器どうやって退治したらいいのかしらねー。こりゃもう帝友のコネで市ヶ谷の陸自にでも応援要請するしかないかな?」
「・・・何が言いたいの」
声のトーンは低く抑えられてはいたが、腹の底に渦巻く怒りまでは抑え切れぬ様子で麗子が聞く。予定通りの展開に満足顔のソニアはますます調子に乗って、この場で唯一の魔法の専門家として商談を切り出す。
「わたしが退治してあげようか、しかも10分以内に」
「だ、誰が、あなたなんかに・・・・・・」
そこまで言って麗子はハッとした。声明の発表もない突発的なテロなどという不可解な事態に付いていた疑問符が全て消し飛び、ひとつの結論が導き出された。結論といっても推測の域を出たものではなかったが、麗子にとってはそれでも十分だった。麗子は目の前の少女を恐怖すらして、青ざめ、震える声で問い確かめようとする。
「もしかして、この騒ぎ、全部あなたが・・・?」
しかしソニアはまるで聞こえなかったとでも言うように素知らぬ顔で彼女の言葉を無視した。ピンと立てた人差し指を自分の顎に押し当て、なおも挑発するかのような声色で彼女は続ける。
「どうするの?わたしに頼むのがいちばん手っ取り早くて安上がりだと思うけど?」
「こ、この・・・ッ!」
あくまでもしらばっくれるつもりの彼女の態度に、麗子は怒りで歯噛みして肩を震わせ、悔しさのために涙目になって、ソニアにそれを悟られまいと誰もいない方に振り返って背中を向けた。それを見てソニアは心の中で一言、「勝った」と思う。その様子を後ろで見ていたテスタロッサは、不幸にも主人のライバルに見立てられてしまった可哀相な令嬢に、どうにも深い同情を覚えてならなかった。
「田代!」
「はい、お嬢様」
「・・・彼女と契約を」
「はっ」
麗子の声は、隠すつもりもなく不本意そのものだった。ソニアに仕事を頼まねばならないのは屈辱だったが、他に手の打ちようがないのだから仕方ない。この場合、麗子一人のプライドよりも、一秒でも早く事態を収拾し、社員の安全を確保することが先決だった。命じられた田代は内ポケットから小型の電卓を取り出し、数字を打ってソニアに見せる。
「相場で言いますと、このくらいで如何でしょう?」
「あのねえ、緊急事態なのよ?せめて3割増しくらい色つけてもらわないと」
「・・・1割増し、では?」
「3割と言ったら3割よ。あ、でも、いいのよ、別にわたしは契約しなくても。困るのは観音崎さんなんだしー」
「お嬢様・・・」
困惑して田代が指示を仰ぐと、麗子は背中を向けたまま何も言わずに手を振って合図した。商談成立だ。ソニアは指を鳴らし、片手でホウキを縦にぐるりと一回転させ尾の部分を地面に持っていき、縛り目に左足をかけて、ひとつ片目をつぶって見せた。
「オッケー、引き受けたわ! 派手にいくわよ、テスタロッサ!」 |