紅紳士、機一髪!帝都炎上篇断章
〜大正浪漫少年冒険奇譚〜


(1)

 東京府内、某所―――

 井吹少年が深夜零時を報せる鐘の音に気着いたときには、既に両手は後ろに拘束されていたので有った。それから、どうやら自分が倒れているらしい、と云う事に気着いて、井吹少年は背で壁を伝い、とにかく半身を起こしたので有った。併(しか)し、未だ麻酔から醒め切ってはおらず、目の前がクラクラするのは、総て黒マント団の所為なので有った。

 にっくき黒マント団、其れは帝都を暗躍する謎の怪盗集団! 怪人黒マント率いる秘密の犯罪組織! まるで夜霧のように、何処からともなく現れては何処へともなく消えて往く、其れは神出鬼没の怪人団なので有った。帝都の秩序を護る幾多の警官たちを嘲笑うかのように、鮮やか極まる手口で盗みを続ける黒マント団、此度彼らが狙うは、帝都でも屈指の名家・西園寺家に代々伝わる秘宝、其の名も高き「清龍之泪」。かつて永きに渡り日照りの続いた土地で、雨乞いの祈りために自ら命を擲(なげう)った三人の心清き乙女達を哀れに想い、水神が流したと云われる一滴の泪の結晶、此の世に二つと無い神秘の宝玉!

 ああ併し、豪快児の異名を取る少年義勇団が一番手、井吹大介少年の健闘も虚しく遂に宝石は奪われ、更に悪い事には、偶然にも黒マント団の秘密―――其れが何んであるかは未だ語られるべき時ではない―――を目撃して了った西園寺家の令嬢・沙百合嬢までも浚われ、敢然と救助に立ち上がった井吹少年も亦、一度は、あわや、と云う処まで肉迫するも、寸での処で、怪人黒マントが腹心の一人・花金柳銀音(かこんりゅうぎんね)の麻酔銃に依って撃たれ、不覚にも捕まり、拘束されて身動きの取れないので有った。
 

 井吹少年は、ボンヤリと眠たい頭をぶんぶん振って、残った麻酔の効果を散らしめようとした。が、直ぐに頭が痛くなり、余計に状態が悪くなるばかりで有った。併し、何糞ッ、僕は此れでも日本男児だ。あンなチンケな麻酔銃くらいで、何時までも情けなく昏倒していられるものか、と奮い立ち、カッと両目を見開いて、先ず自分の居る場所の様子を伺うので有った。

 此処は一体、何処だろう。

 見ると、どうやら部屋の中であるらしかった。もしかすると、黒マント団のアジトか何かだろうか。壁は四方が真っ黒に塗られていて、煉瓦のように思える。壁には窓が一つもないが、其の代り天窓は五六米突(メートル)もあろうかと云う程に高く、逆立ちしても届きそうになかった。部屋の広さは八畳から十畳、中には、井吹少年以外に物らしい物は何も無く、其の所為で却って、余計に広さが虚しく誇張されて感じる事を差し引いても、矢張り牢獄と考えるには不自然に大きすぎた。併し、鉄扉には上部に鉄の格子が填め込まれた小窓が付いており、然(そ)うすると矢張り、牢獄としか考えられないので有った。

 然うだ、僕は黒マント団に捕まってしまったのだ。井吹少年は改めて考えた。此の先き僕は、いったい如何(どう)されるのであろうか。いや、如何されるにしても、屹(きっ)と好いようには成らないに違いない。その前に何んとかして脱出しなければ。そして沙百合嬢を助け出さなければ、僕の男が廃る。日本男児が廃る。か弱き無抵抗な少女を不当に誘拐するような、卑劣きわまる黒マント団の所業を許すことは絶対に出来ない。ああ併し、井吹少年の両手は全きに自由に成らず、何と云っても、肌身離さず腰に装備していた月光丸はじめイザと云う時の発明道具の数々も、黒マント団に奪われて了っているのだった。絶体絶命と云うやつに、ほとんど近いので有った。
 

 井吹少年が思案を倦(あぐ)ねていると、不意に鉄扉がガチャリと重々しく開き、黒マントの一人が入って来た。下っ端の団員とは違う、肩に金色の飾りの付いた立派な外套(マント)は、幹部の者にだけ許される上等の物だ。スッと優美に紅い爪の手を添えて仮面を取ると、其の下には美しい婦人(おんな)の顔が、天窓から射し込む月明かりに淡白く浮かび上がった。其れは、花金柳銀音で有った。

「お目覚めのようね、坊や。思ったよりもズッと早く目が醒めて了ったみたいだけれど、麻酔の量を間違えたのかしら」

 そのとき井吹少年は、銀音の声を聞き、初めて其の婦人が自分を撃った花金柳である事を知った。銀音とは、以前に何度か夜の帝都に対決した事は有ったが、素顔を見るのは此れが初めてで有った。とても悪人とは思えない、端麗な顔つきに優しい眼差しを持った妙齢の美人で有ったので、井吹少年は少しく意表を突かれたような思いで有ったが、其れを悟られぬよう、極めて平静を装って答(いら)えた。

「いや、間違えてはいないだろうさ。僕の胆力が、少しく普通より強かっただけの事だ。この程度の麻酔毒で何時までも眠らされていたのでは、豪快児の名が泣く」

 銀音は微笑を浮かべて、

「大した坊やね、まったく」

 と、半分は呆れて云うので有った。長い黒髪が絹糸のように綺麗に揺れるので、井吹少年は、何故だか少しくドキリとした。が、其の、自分でも良く分からぬ妙な感情の起伏を押さえつけて、慌てたように云うので有った。

「それより、やい、僕のことを坊やと呼ぶのは止めろ。失敬だぞ。僕には井吹大介と云う立派な名前があるンだ、井吹君とか、大介さんとか、尊敬して呼べッ」

 一気に捲し立てるので、唾が散るほどで有った。此処で見くびられて了っては、捕虜として益々立場が悪くなって了うので、井吹少年は威張って云ったので有った。そして効果は多少なりあったようだった。

「然うね、じゃあ、これからは大介くん、と呼ぶわ。それで好いかしら?」

 何んだか言外で子供扱いにあしらわれているように思えてムッとしたが、此れ以上の空威張りは、余計に自分の幼さをさらけ出すように思われたので、井吹少年は無言で頷いた。銀音はと云うと、べつだん子供扱いする気は無く、其れ処か、敵ながら井吹少年の事を尊敬してさえいたのだが、如何しても年齢差に劣等感を持っている節がある井吹少年にとっては、銀音の言葉を其の儘に聞く事が難しいので有った。

 処で、井吹少年は不図思い出した。今、自分と同じ境遇で、そして恐らく自分よりズッと心細く思っている人がいる筈だった。

「花金柳銀音、一つ訊きたい。いいだろうか」

「何?」

「西園寺沙百合嬢は、もちろん無事でいるンだろうな。もし彼の女の身に何かあったら、その時は許さないぞッ」

「心配しないで、あの子なら、君よりもズッと好い待遇で持てなしているわ。私たち黒マント団はね、ただの犯罪組織じゃない。紳士的な犯罪組織なのよ。年端も行かない少女に手荒な真似なんて、絶対にしないわ。誇りに懸けて誓う」

 悪党の云う事なんて信用できるものか、と井吹少年は口を衝いて出そうになったが、銀音の眼差しに真摯な光を一筋感じたので、敢えて疑うような事はすまいと思った。此処で銀音を疑ったのでは、其れは自分の男を下げることに成る。然う思った。

「うん、まァ、それなら好いんだけれど・・・・・・いや、好くはない。チッとも好くはないじゃないか。ちゃンと親元へ帰してあげるンだろうな。彼女は未だ十三歳だ。僕より二つも年下だし、それに女の子だ。帰して遣って呉れないか」

 銀音は眉目を曇らせ複雑な表情をして、

「其れは未だ分からないわ。なにぶん彼の女には色々とムズかしい事情があるものだから、屹と此の後で又、幹部会議が開かれて、その時に彼の女の処遇が正式に決まるでしょうね。私は勿論、心情としては帰してあげたいと思っているけど」

「頼む。全く頼める立場じゃあないけれど、花金柳銀音、君を見込んで、君の道義と義侠心を信じる。逃がして遣って呉れ」

 然う云って、豪快児は頭を下げた。滅多に有ることでは無い。真夏に雪が降る程ではないが、梅雨時に紫陽花が咲かぬようなものではあった。銀音は目元に、小さな微笑と、そして慈しむような色を浮かべて、

「・・・・・・好いているのね、沙百合嬢のことを」

 途端、井吹少年の耳が真っ赤に成るので有った。

「そ、そ、そ、そんなンじゃない、変な事を云うなッ。僕は日本男児だ、とりわけ豪快児と呼ばれる男だ、ただ、か弱い女の子が不幸に見舞われているのを黙って見過ごせないだけだ。彼の女に対して個人的な感情が有る訳じゃないンだ。からかうなッ」

「誰も、そんな事まで云ってないでしょう」

 手の甲を口元に寄せクスクスと噛むように笑いながら銀音が窘(たしな)めると、豪快児、漸く自分の慌て振りに気着いて。

「い、今のは、その、聞かなかった事にして呉れないか」

 すると銀音、まるで少女のように悪戯っぽく微笑み、

「さあて、どうしようかしら」

 豪快児の耳は、益々真っ赤になって了うので有った。
 

(2)

 同時刻、囚われの沙百合嬢は、応接間のような処に閉じこめられていたので有った。西洋風の家具や調度は、どれも一級品のものばかりで有った。煤けた色の暖炉の側には大きなヘラジカの首の剥製が掲げられ、其の隣には貴族の使う水平二連式の散弾銃が二挺、渋い鉄光沢を放って壁に掛けられている。ゆったりと羽毛の深い上等のソファア、アンティックな木目机の上には立派な金の置き時計と、洒落たライタアと葉巻のケエス、その他にも、格調の高い油絵や外国製の高級絨毯、そして高い高い天井に輝く絢爛豪華なシャンデリヤによって、深夜にも拘わらず、室内は素晴らしく明るかった。

 併し、沙百合嬢の心は暗く闇に落ち込んでいたので、室内の明るさが何んとも云えず疎ましくて仕方がなかった。沙百合嬢は、室内の総てに背を向け、南向きの大窓に張り付くようにして、霧雨の降り頻る闇夜を静かに見下ろしていた。外には森のように高い木が生い茂っているばかりで、此処が何処なのかは一向に判然としなかった。窓ガラスにソッと手の平で触れると、まるで氷のように冷たく感じた。窓に映り込む自分の姿が半分だけ透けて、其の向こうには、暗い昏い闇が有るだけだった。
 

 沙百合嬢は、普段、実際よりも二三歳は大人びて見られる事が多かった。其れ程、垢抜けた美少女で有ったと云って間違いはない。言葉遣いも、年頃の少女達のように妙な流行り言葉を好んで遣ったりせず、非常に美しいもので有ったし、物腰も常に恭しく、学問にも明るく、正しく名の通り、百合の花のように可憐な少女だと評判だった。富裕な両親に恵まれ、愛情も申し分なく注がれて、何不自由なく育ち、彼の女も、其の事は何にも増して心から感謝していた。だが、そんな彼の女にも、一つだけ不満があった。いや、望み、であろうか。幼い頃からエリイトの進路を歩まされてきた彼女は、同齢の少女達のように、心躍るような恋愛に没頭する自由は与えられなかったので有った。気に入りの小説の頁を捲る度、彼の女の気持ちは恋愛に焦がれていった。それは、十三歳の少女としては至極当然な事では有った。

 沙百合嬢は、先刻、自分が黒マント団に誘拐されて了った時の、井吹少年の壮烈な勇気を思い出していた。自ら危険も省みず、取り囲む多勢の黒マント達の中、たった一人で立ち向かう様は、正に豪快児! とは云え、数人を遣ッ付けた迄は好かったが矢張り黒マント団の多勢は圧倒的で、とうとう井吹少年は麻酔銃で昏倒させられて了ったので有った。ああ、屹と今、私と同じく彼も何処かに閉じこめられているに違いないんだわ。沙百合嬢は、きつく胸が締め付けられるような思いで有った。井吹少年とは未だ逢って数日も経っていないと云うのに、彼の優しい心根と強い勇気の事を思うと、如何しても心が張り裂けそうになるので有った。だが彼の女は未だ、その気持ちが、やがて自分の望んでいた物に変わるとは気着いていないので有った。

「大介さん・・・」

 ひとり闇に呟く少女の横顔は、憂いの所為か、いつもよりも更に大人びて見えるので有った。
 

そのとき、扉の鍵のカチャリと云う音がして、沙百合嬢は振り向いた。洋風のワンピイスの裾が、柔らかく翻る。扉を開けて入って来たのは、一人の背の高い黒マントの男と、もう一人は、恐らく沙百合嬢よりも幾分か歳上の、黒のシルクドレスの上に白いフリルのエプロンとキャップを着けたメイドガアルで有った。

 黒マントの男が云う。声からして、壮齢の、しかも相当な余裕と器量を有した人物であるらしい事が其の挙作からも知れた。

「ご機嫌は如何かな、お嬢さん。いや、此れは愚問だったな。まさか君を拉致するなど私としても非常に不本意だが、併し、どうやら然うも云っていられない状況だったので、仕方なく誘拐という手段を採らせて頂いた。此れは事故だよ。君にも君の御両親にも本統に悪い事をしたと思っているが、まァ、私のような悪党のすることだ、斯ういう成り行きも時には仕方なかろう」

 男が軽く手を翳(かざ)して示すと、少女は先ず一礼し、甲斐甲斐しく手にした盆の上の軽い食事を木目机の上に並べて、それから元の立ち位置に戻ると、胸の前に盆を抱えた儘、また一礼した。

「もう夜も遅いが、かと云って、安心して眠れるような心境でもあるまい。夜食を用意した。よければ召し上がって呉れ給え」

 沙百合嬢は、右手で小さく拳を作り、胸の前に持っていって、男を低く睨み、確かめて云うのだった。

「・・・・・・貴方が、怪人黒マントねッ」

「如何にも。此の私が、彼の悪名高き黒マント団の頭領、其の人だ」

 不敵な笑みだったが、しかし嫌な感じはしなかった。寧ろ紳士的だとさえ沙百合嬢は思ったが、警戒は解かない。息を飲むようにして、咄嗟に言葉が出る。

「大介さん・・・・・・井吹さんも、同じように捕らえているんでしょう? お願い、放してあげて。あのひとは何も関係ないわ」

「関係のないことはないさ。彼と私たちとは、いくらか因縁めいたものがあってね。我々の次の作戦の邪魔をされてはかなわないから、暫くは大人しくしていて貰わないと困る。処で、だ」

 また男が手を翳すと、再び少女は一礼し、それから席を外した。部屋には、黒マントと沙百合嬢の二人きりになった。黒マントは懐から、蒼く輝く大きな宝石を取り出した。其れは「清龍之泪」で有った。

「君を此処に連れてきたのは予定外だったが、併し、然う悪い事ばかりでもなかったよ。君に知られて了った我々の秘密に就ては、また後で処分を考えるにしても、さて、当面の問題は、此れだ」

 黒マントは「清龍之泪」を自分の貌の前に持ち上げて、其の深い輝きを眺めた。

「美しい・・・・・・此れだけでも実に見事な芸術品だ。だが、私は知っているのだよ。知って了ったのだよ。此の宝玉は<鍵>に過ぎない。更なる財宝が眠る場所への<鍵>だ。或いは<道標>と云っても好い。君、然うだろう?え?」

 沙百合嬢は俯(うつむ)いて、首を振った。

「知らないわ」

「いいや、知っている。私は少しだが読心の術を会得している。分かるのだよ。君の瞳(め)は嘘を吐いている」

「・・・・・・」

 黒マントがズズイと近寄り、沙百合嬢は堪らず言葉を失って視線を大きく逸らす他ないので有った。

「さあ、教えて貰おうか。西園寺の一人娘である君ならば知っている筈だ。此れの本統の使い方を、ね。答えによっては、井吹少年を解放するなり、君を帰して遣るなり、此方としても考えようじゃないか。さあ、さあ、教えて呉れ給えよ」

 怪人黒マントの不敵な笑みが、いじらしく困惑する沙百合嬢に突きつけられた。沙百合嬢は思わず、いや、恐らく其れが虚しいことだと知りつつも、胸の内で、何度も何度も、井吹少年に助けを求めるのを已むを得ないので有った。
 

(3)

 銀音は懐から、金属製で一尺三寸ほどの棒状の物を取り出し、月明かりに照らして眺めて見、視線を其の儘に云った。

「此れ・・・・・・確か、月光丸、だったかしら」

 あッ、と井吹少年は声を呑んだ。其れは、彼の発明道具の中で一番の道具、月光丸であった。其れは筒状に幾つも重なっていて、手元のボタン一つで一尺三寸から一丈六尺五寸まで伸縮自在であり、しかもテラニウム合金という特殊鋼で作られていて、思い切り刀で撃たれても傷一つ付かない頑丈なので有った。大の大人が二十人がかりでも決して折れず、あらゆる局面で頼れるやつだったが、敵の手に渡って了ったと有っては仕方がなかった。

「そ、其れは僕ンだぞ。返せッ!」

「そんな訳に行かないわ、此れは捕虜から奪った大事な戦利品だもの。此れのお陰で私も随分と苦しめられたわね。帝国美術館を襲撃した時も、長峰銀行に侵入した時も、此れを手にした貴郎(あなた)と云ったら、ほとんど私と互角の腕前だった」

 夜の時計塔、或いはビルディングの屋上に、月を背負って舞うように剣を振るう銀音に対し、かつて井吹少年は月光丸を手に自慢の甲源一刀流で立ち向かったので有った。何(いづ)れも勝負は引き分け、銀音の逃げるを已むを得ないので有った。

「当然だ。僕は豪快児だぞ。どんなに使い手とはいえ、お前たち黒マント団みたいな悪党に引けを取って成るものか」

「ふうん」

 銀音は徐(おもむろ)に一歩を踏みだし、然うするとマントの切れ目からスラリと脚の肌が覗いて、天窓からの月明かりに照らされ、井吹少年には其れが恰(あたか)も美しい金色のように眩しく映えて見え、よくよく心音が不規則に成るので有った。しかも銀音は井吹少年の前に黒マントをフワリしゃがみ込み、鼻先きを近づけ、まじまじと貌を見据えてくるので、余計にドギマギするので有った。

「な、な、何のつもりだ。いきなり顔を近づけるなんて、やい、変な事をするな」

 井吹少年の視線は、何んだか照れてしまって、混乱して滅茶苦茶に泳いだ。銀音は又微笑って、

「ごめんなさい。君みたいな少年が、何度も私たちの邪魔をして来たのかと思うと、何んだか可笑しくってね。貴郎には何時も手こずらせて貰うものね。もしかしたら、そう、あの烈紅紳士と同じくらいに。興味深いわ、とっても」

 烈紅紳士とは、深紅のマントに身を包み、新式の四十五口径コルト連発銃を手に、帝都の夜を護るため、たった一人で黒マント団と戦う正義の人だ。井吹少年も、これまでに何度も烈紅紳士に危ない処を助けて貰っていた。仮面のために素性は誰も知らないが、どうやら怪人黒マントと浅からぬ因縁が有るらしい。人は其の、鮮やかに闇夜に翻る深紅のマントから、彼を烈紅紳士と呼ぶので有った。烈紅紳士は、井吹少年の、そして帝都に住まう誰しもの憧れなので有った。

 そんな烈紅紳士と並べられて、悪い気はしなかった。だが、

「おだてたって何も出ないぜ。第一、烈紅紳士は僕なんかよりズッとズッと大人物だ。見え透いた御世辞なら止して呉れ」

「あら、本統の事よ」

 すっくと立ち上がって銀音は背を向けた。其の表情は、最早や井吹少年には見えない。

「それに、烈紅紳士って・・・・・・貴郎が思っているほど、立派な人じゃあ無いわよ」

「何んだとッ。僕の事ならまだしも、烈紅紳士への侮辱は許さないぞッ」

「・・・・・・」

 云ったきり、銀音は黙って了うので有った。井吹少年は、併し、銀音の声に哀しい色が浮かべられていたのを知って、何んだか其れ以上は非難できなくなって了うので有った。銀音の羽織る黒い外套の背には、何かしらの淡い感情が読みとれるような気がした。其れは屹と、井吹少年の知らぬ銀音の過去なのであろう。

「何か有ったのかい」

「・・・・・・」

 背を向けた儘、銀音は、こぼすべき言葉を探るようで有った。沈黙を静かに裂いて、小声で語り出すので有った。

「私は以前、藤村という名前だったわ。黒マント団に入る前のことよ。私には、父がいて、母がいて、兄がいて、とても仕合わせだった。至って普通の家庭で、そんなに裕福ではなかったけれど、それなりに蓄えもあって、ちゃンとした学校へも行けた。恵まれていた方だったわ」

 柔らかな月の明かりが銀音の長い黒髪を照らしていた。其れは本統の絹のように光までも滑るので有った。

「でも或る時、仕合わせは一瞬で消え去って了ったわ。声を上げる間もなかった。私は両親を喪い、直ぐに兄も喪った」

「・・・・・・」

 井吹少年は、拘束され座った儘、黙って聴いていた。奇妙な胸騒ぎがして仕方なかった。そして、とうとう銀音は衝撃の告白をするので有った。

「兄は・・・・・・烈紅紳士に殺されたの」

「そんなのは嘘だッ!」

 声を張り上げて井吹少年は云うので有ったが、云った処で如何なるものでも無かった。併し、云わずには居られなかった。あの尊敬する烈紅紳士が、正義の人が、よっぽど無道な悪党を怒りに燃えて誅殺するでもない限り、無益に人殺しなんて、する筈がない。然う信じたかった。だが銀音は返って云うので有った。

「いいえ、本統なのよ。見たのよ、此の眼で。列紅紳士の銃弾が、兄の胸を撃ち抜くのを。まだ幼かった私は、必死で兄の胸を手で押さえたわ。手が、血で真っ赤に染まって、私は怖くて、とても怖くて、泣き喚くばかりで何も出来なかった。お医者は間に合わなかった。私は思ったわ・・・・・・正義のために戦う人が、如何して何の罪もない兄を殺さなければならなかったのか。列紅紳士は正義の人なんかじゃない。あれは本統の正義じゃ無い。私は仇を討つことを誓った。だから黒マント団に入ったの」

 少しだけ覗ける美しい横顔の、前髪に隠れる薄闇の底の眼には、淋しい瞳が潤んでいるように思えた。

「・・・・・・でも、だからと云って、黒マント団は正義じゃないだろう」

「然うね。其の通りだわ。でもね、大介くん、私には分からなくなったの。分からなくなって了ったの。正義と云うものが一体なんなのか・・・・・・私には、もう、貴郎のように、正義を遣り遂げる為に、真っ直ぐ自分を信じ抜くことが出来なくなって了ったのよ」

 井吹少年には銀音の云うことが好く分からなかった。正義は正義だ。迷う事なんて無い筈だ。然う思った。

「家族を亡くして、何もかも亡くして、誰もいなくなった暗闇の中で泣き喚くしかなかった少女の私を、黒マント様は、優しく拾い上げて下さった。汚らしい孤児の私に優しくして呉れたのは、黒マント様だけだった。それから私は、正義を信じない代わりに、黒マント様を信じるように成ったわ。黒マント様は私の総てなの。信念を以て仕えるべき主、そして親も同然な御方なの」

 沈黙が部屋を覆って、井吹少年は、我知らず銀音に同情して了っている自分に気着き、大きく頭を振って其の考えを払うので有った。キッと銀音の横顔を睨んで、

「・・・・・・それでも、僕は怪人黒マントを許さない。いつか必ず、とッ捕まえて警察に突き出して遣るからな」

 銀音は、少年の眼差しに、かつて自分も宿していた筈の純粋な正義の炎を垣間見て、フッ、と寂しそうな微笑を浮かべた。

「其れも好いわ、貴郎には貴郎の、私には私の進むべき道が有るんだもの。何んだか奇妙ね・・・・・・貴郎とはズッと敵同士なのに、まるで昔から姉弟だったような気がするわ。私たち、もっと別の出逢い方をしていれば、屹と好い友達になれたのにね」

 と酷く感傷的な事を銀音が云うので、井吹少年も少しく同じ気持ちになるので有ったが、

「僕には、悪党と馴れ合いになる気はないぞッ」

 と井吹少年は突っぱねるので有った。そんな少年を、逆(あべこべ)に、銀音は可愛く思ったのかも知れなかった。
 

(4)

 府内でも特に西奥の森深い処に、黒マント団の立て籠もる其の屋敷は有った。突き止めたのは、事件捜査係長の荒川芳郎警部、通称・岩石警部で有った。其れは岩石のような体格と顔面を持っているからなので有った。岩石警部は、いつもの癖で口髭を撫で、難しい表情で、シトシトと霧雨の降る中、蝙蝠傘を差し、其の洋風屋敷を塀の外から眺め上げるので有った。

「見かけからして、明治の初めには既に建っていたようだな。にしても、これ程迄に洋風の作りなのは、ちょっと珍しい・・・・・・余程の物好き、しかも相当の金持ちが建てたと見える。まったく、こんな辺鄙な場所に・・・」

 月闇に向かって独語を放つのも、癖の一つなので有った。

「嗚呼、参ったなあ。今日は、というか、今夜は非番なのになあ。偶然(たまたま)夜の散歩を楽しんでいた処を、通りかかって井吹少年の連れ去られるのを見つけて了うなんて、本統に私と云う男は、運が好いのか、悪いのか。嗚呼、困った。困ったぞ」

 此の男、岩石の割に気の小さいので有った。

「井吹少年には恥ずかしながら何度も助けられているし、此処は一つ、エイヤ、一肌脱いで助けに行くのが日本男児の侠気と云うものじゃないか。とは云え、私一人で助けに行って、どじを踏んで了わないとも限らない。考えてみれば、そんなのがいつもの事では有るし。矢っ張り、応援を呼ぶべきだろうか。併し、見たと云っても一瞬のことで、もし見間違いだったりしたら、何んだか格好が悪いしなあ。嗚呼、どうしよう、どうしよう」

 などと、実は先刻から同じような事を何度も云いながら、ウロウロと塀の周りを行ったり来たりするばかりで、全く踏ん切りが付かないので有った。此の男、子細こんな調子で、いったい如何して警部にまで成れたのか、一向に不明なので有った。

 トその時、不意に月明かりから声がしたので有った。

「荒川警部、応援を頼みます、是非に」

「うン、矢っ張り、君も然うした方が好いと思うかね・・・・・・アレレ、今のは誰の声だ?」

 其れは冷えた闇夜に好く透る、如何にも気っ風の好さそうな、聞き手の心の誰しも気持ちよくなるような、素敵な若者の声なので有った。慌てて岩石警部は振り向いて、キョロキョロと辺りを見廻すので有ったが、暗い夜が有るばかりで、声の姿は見えぬので有った。不思議に思って首を捻る岩石に、其の声は、もう一度、微笑を含んで云うので有った。

「此処ですよ、警部」

 振り返って声のした方を見上げると、其処には、目にも鮮やかな深紅の外套を夜風に大きく翻し、一人の紳士が、大木の枝に立っているので有った。おぼろ月からの明かりが姿を照らし、其の姿は、恰も闇を切り裂く一陣の炎の様相で有った。

 岩石警部は、帝都で噂の有名人を思わぬ風に目撃した所為か、腰も抜けんばかりに驚いて、

「ヤ、ヤ、ヤ、き、君は!」

 と傘を手落とし云うだけで有った。紳士は、そんな警部の体(てい)に取り合わず、

「どうやら、井吹少年と、それに西園寺沙百合嬢が、此の館に捕らえられている様子なのです。僕は今から彼らを助けに行くつもりです。警部は、直ぐに署まで飛んでいって、応援を迎えに行って下さいませんか」

 警部は目をマン丸に剥いて、ゴクゴクと、ぎこちなく何度も頷くしか出来ないので有った。

 木の上の紳士は、キッと屋敷を鋭く睨み見て、懐から、自慢の真っ赤なコルト連発銃を取り出し、遊底(スライド)をガシャリと引いて第一弾を装填するので有った。其の拳銃の腕前は、三十米突先きのコインの真ン中を正確に撃ち抜く程だと云う。

「それでは頼みます―――何時までも、僕らの帝都を黒マント団の好きにさせてはいられませんからね」

 と闇の中に言い残し、ヤアッ、という掛け声と共に、外套の人は鳥のように軽々と跳躍し、高塀を飛び越えて、屋敷の内へと入り込んで行ったので有った。闇を跋する其の姿は、さながら真っ赤な流星のように燃え走り、颯爽として美しいので有った。

 警部は暫くの間、ポカンと口を開けて見ているばかりで有ったが、やがて気着いて、傘も拾わず、霧雨に濡れるのも已まず、大急ぎ、大慌て、署へと引っ返すので有った。
 

 ああ、たった一人で黒マント団と戦う正義の人、烈紅紳士! 烈紅紳士! 僕らの英雄! 果たして、井吹少年を助け得るや否や? 沙百合嬢の無事を得られるや否や? そして、かつて花金柳銀音との間に有った何んらかの過去とは? ただ霧雨に残された薄月明かりの闇は、静かに黙し、其の答えを教えては呉れないので有った。 
 

 


紅紳士、機一髪!帝都炎上篇断章
〜大正浪漫少年冒険奇譚〜
DATE:00/10/15(Sun) WRITING and EDITING:Johnnie the Fire
BELONGING:[ Committee for Eating 3 Owans of MESHI with Gal games ]