憧憬の記憶
緩やかに動き出す何か、確実に壊れる何か。
未だ見えぬ何者かの恣意、それは運命という名の鎖なるか。
「汝に与えよう。ただ血と死と――破滅を。」
第3章
ココハ・・ドコダ・・。
闇。赤く黒い暗闇。俺の周りにあるもの。
ココハ・・ドコダ・・。
問いに答えるものはない。暗闇に独り。
アツイ・・。
燃えるように熱い。血と肉の臭いが俺を満たしている。俺の力が俺を遮二無二駆り立てる、そんな命の鼓動を感じる。
サムイ・・。
だが寒い。寒くて死にそうだ。そう、魂が凍っている。冷たい炎、熱き氷・・そんな形容もこの感触を表すには不充分だ。牢獄、そう絶対零度の牢獄。俺は今、そこにいる。
サムイ・・。
どこまでも広がる、或いは閉じてゆく暗闇にただ独り。どれほどの気が狂わんばかりの長い時間が過ぎたのか。いや或いは既に狂っているのか。そんな永遠の果てに。
・・・・・。
ふと光が見えた。眩しい、でも柔らかく温かい。導かれるように俺はその光に向かって翔んだ。
―――――。
そこは・・楽園だった。天と、地がある。空は薄い赤の黄昏、夕日が地面を優しく照らし秋を感じさせる。地は辺り一面が稲穂。夕日に映えて黄金色に頭を垂らし、穏やかな風に吹かれて命の喜びを表わさんとつつましやかにダンスを踊る。黄金の里、そう呼ばれる隠れ里がここだった。
ウツクシイ・・。
その情景にしばし見とれていた俺は、ふとその中に一人の少女を発見する。年はまだ7〜8才くらいであろうか、稲穂の一茎を掲げながら実りの喜びを精一杯表現しようと辺りを走るその姿は、辺りの黄金に照らされてひどくいとおしいものに思えるのであった。やがて少女はこちらに気付く。
・・・・・。
しばらくぼんやりとこちらを見た後、ゆっくりとこちらに歩み寄り、にっこりと笑って手に持っていた穂をそっと差し出す。一片の曇りもない無垢で純粋な笑顔、無垢なる魂。その笑顔に俺は―――。
目覚めると朝だった。・・・酷く寝覚めが悪い。寝起きのあまり良くない俺ではあるが、今日のは格別だ。仕方が無いので一服するかと煙草を探し寝ぼけ眼で手探っていると、ふと自分の目が濡れている事に気付いた。
「泣いているのか、俺は・・。」
何故だろう、悲しい夢でも見たのだろうか。そう考え夢の内容を思い出そうとするがどうしても上手くいかない。そもそも夢を見たのかどうかすら怪しい。だが何か見た気はする。遥か遠い日の憧憬――そのようなものを。
「ま、思い出せないものは仕方ないか。」
他に考える事は幾らでもある。夢の内容などに一々関わっている余裕はないというのが正直なところだ。時計を見る。午前7時30分。東京での生活の俺からは考えられないほど早起きだ。昨日の事を思うと今日もとんでもない一日になりそうでおちおち寝てられないという事もあったと思いたいが、その割には昨夜の話を聞いてそれでもグッスリと眠れる自分の緩さに苦笑する。
昨日の夜、俺は真砂子おばさんから色々な事を聞いた。リゲイナー、昔は天猟鬼(てんりょうき)と呼ばれていた魔物の種族であるが、それが2000年の昔、日本を支配していた事。やがて彼らが神の力を持つと言われた荒ぶる神人達の活躍と犠牲によって、地上から追われた事。長年の雌伏の後、現代に再びかつて持っていた支配力を取り戻さんと活動を再開した事などである。リゲイナー、再び取り戻すという意味である。そんな目的を持つ奴等にとって障害となるのは・・。真砂子おばさんは言った。
「私もかつてリゲイナーに狙われていました。」
衝撃的な発言だった。特殊な力を持つ神人の血――美咲に流れているというその忌まわしき呪縛は当然遺伝として引き継がれてきたものであるから、おばさんにもその血は流れているという事になる。
「かつてここより遥か東の地で神人の末裔と復活した奴等との戦いがありました。私はその戦いで・・大切な人を数多く失いました。全国各地を転々と逃げ回り・・そしてこの地に落ち着いたのです。復讐も考えました。しかしまだ幼かった美咲を見ていると、そんな事をして何になる、この子に幸せを与える事――それこそが私の出来る罪滅ぼしだと考え、ここで骨を埋めるつもりだったのです。」
「おばさん・・。」
「丁度そんな時ですよ。丈志さん、貴方が使用人として源二さんとここにいらしたのは。」
「父と・・そうでしたっけ。」
源二というのは父の名だ。
「まだ幼かった美咲の遊び相手になってくれて、美咲は本当に幸せな時を過ごす事が出来ました。忌まわしい神人の力が発覚して美咲をあまり人目に出せないようになってからも、貴方は本当の兄妹のように仲良くして下さいましたね。そんな貴方達を見ているのがこの上ない私の幸せでした・・。」
おばさんは茶を啜りながら懐かしそうに昔よく俺達が戯れた中庭を見渡した。そう、そんな時もあった。だが心が痛む。その黄金の時間を終わらせたのは俺だ。東京に行く、そう告げた時美咲は激しく俺を責めた。だがおばさんは何も言わなかった。俺の想いを縛るのを潔しとしない優しい性格の持ち主なのだ。だがその優しさが俺には逆に辛い。
「このまま緩やかに時が流れて全てが風化していく――そう願いましたがやはり叶わぬ事でした。しかも美咲の能力も敵に知られてしまっているとあっては・・。」
おばさんは語った。かつて美咲が小さい頃、周りの人間の心の中を読む能力があると判明した時、御堂家はほとんどパニックに襲われたという。名誉も栄華も捨て、この田舎町に引っ越しひっそりと暮らす事だけが望みだった真砂子おばさん達にとって、この美咲の能力は再び奴等との戦いを予期させる災厄でしか無かった。それが故この事は御堂家の人間以外には伏せられていたのだが・・訝しがられないように一般社会に溶け込ませる方針が裏目に出たのか。
「・・再び戦いが始まるでしょう。それも近いうちに。覚悟を、決めるべきかもしれません。」
悲壮な発言だった。
「だけどおばさん、戦うって・・。」
おばさんの決意に水を差すつもりは無いが、言わずにいられなかった。昼間に目の当たりにした奴等の力は人知を超えて圧倒的だ。時に破壊的な力を振るう美咲ですら、奴等にはまるで歯が立たなかった。そして俺達には美咲以上に戦える人間などいやしない。美咲が特別すぎるのだ。他の御堂家の人間は普通の人に過ぎない。
「それでも――戦わなければいけません。逃げる事が叶わぬのなら。」
おばさんは微笑っていた。澄み切った、優しい笑顔。俺はこの笑顔が大好きだ。御堂家の人々は皆この笑顔が好きだ。その笑顔を汚すもの――。
「おばさん・・。」
汚すものを俺は憎む。強く。それは俺の敵、おばさんの敵、美咲の敵。敵は――全てコロス。
コロシテ・・コロシテヤル・・。
グッ・・何だ。頭に鈍い痛みが走る。何か性質の悪い呪詛でも聴かされているような不快感。耐え切れずに思わず吐きそうになる。
「ど、どうしたんだ丈志!?」
時枝さんが慌てて寄ってきて俺の肩を両手で支える。背中を擦って心配そうに俺の顔を覗きこむ。
「だ、大丈夫です・・。ちょっと疲れてるだけですよ・・。」
だが痛みは徐々に強くなってきた。グッ! 止まらない・・!
「無理するんじゃないよ。今日はもう寝ちまいな・・奥様?」
おばさんが俺の前に座って顔を覗き込む。そのままそっと手をそっと俺の額にあてて「大丈夫ですか?」と笑いかける。―――・・・痛みが消えた。
「あれ?」
さっきまでの不快な感じが綺麗さっぱり消えている。?? 俺、やっぱり疲れてるんだろうか。・・ふと目を開けるとおばさんの顔がすぐ間近にあった。
「わああああッ!」
ビックリして思わず後ずさる。ポカンとした表情のまま俺を見つめるおばさんと時枝さん。やがて時枝さんがまた憤怒の表情で俺の頭を拳骨で思いっきり殴る。
「おまえという奴は〜〜〜! 奥様に何度無礼を働いたら気が済むんだいッ!」
「イデッ! 痛い、時枝さん誤解ですってばッ! イデデデデ!」
「あらあら。」
俺と時枝さんとのやりとりをニコニコして見つめる御堂家の主人だった。そして、ふと思い出したように俺に話し掛ける。
「そうそう丈志さん、一つお願いがあるのですが。」
「イダッ! え――お願い?」
とにかく美咲の様子を見にいくか。そう思って一旦渡り廊下に出た俺は、外からの強烈な陽射しに少々ゲンナリした。
「ったく・・まだ8時前だぞ。」
しかも風が全然吹いていない。通常この辺りのような海沿いは、夏は比較的過ごしやすい。海が昼夜の温度差を吸収して、昼は涼しく夜は暖かくしてくれるからだ。その分冬は雪害に苦しめられる事になるのだが。今日は一層暑くなりそうだな・・そんな事を考えながら美咲の部屋まで辿り着くと、丁度部屋から出てくる美咲とかち合った。
「あ・・。」
「美咲・・。」
目と目があう。頭には昨日の包帯がまだ巻いてあり、少々痛々しい。
「丈志。―――!」
突然顔を真っ赤にした美咲はドアを猛烈な勢いで閉めて中に閉じ篭った。「へ?」あっけにとられた俺は思わずドアのノブを捻る。ガチャガチャ・・動かない。中から固定されているようだ。
「おい、美咲?」
「入って来ないで!」
「はぁ? おい、どうしたんだよ。見舞いに来たんだぞ俺は。」
「今は駄目!」
美咲は強い拒絶を示した。俺は少々心配になって問いかけた。
「やっぱりまだ具合が悪いのか? だったら起き出したりしないで寝てろよ。今日は俺が看病してやるから。」
「い、要らないッ! 具合も悪くないから! ・・もう大丈夫だから!」
「はあ〜っ!?」
訳が分からない。何かを必死で隠そうとしてるようにも見えるが。
「あのな・・俺はお前が心配で朝早くからわざわざ見舞いに来たんだぞ。門前払いは無いだろう。会いたくないって言うならそれなりの理由を・・。」
「あ、会いたくない訳じゃないよ。来てくれて嬉しい。昨日も・・有難う。」
「じゃあここを開けてくれよ。」
「それは・・ちょっと待って!」
「あ、の、な!」
遂に切れそうになってノブをガチャガチャ回す。ドアの向こうで必死に開けさせまいと抵抗する美咲の力を感じる。そして美咲が叫んだ。
「〜〜〜! あたし今パジャマなの! お願いだから着替えてからにしてッ!」
ほとんど悲鳴の返答だった。
「へ・・?」
目が点になった。パジャマ・・? それがどうしたんだ。訳が分からずドアを叩く。
「何でパジャマだったら駄目なんだ? お前は怪我人なんだからパジャマは当然だろ。」
「は、恥ずかしいじゃない! 後で行くからッ!」
恥ずかしい・・? ハッハ〜ン、ようやく事情が飲み込めた。そうかそうか、美咲も年頃の女の子になってそれなりに羞恥を覚えたという事か。どうやら俺に対して特別な感情を持っている美咲としては、兄として接して来られても恥ずかしさを堪えきれないのだろう。そんな美咲を可愛いと思いつつも、少々からかってやりたい誘惑にかられて悪態をつく。
「何言ってんだ、ガキの時からお前のパジャマなんて飽きるほど見てるんだ。今更お前の色気の無い貧弱なパジャマを見てどうこうする俺か。開けろホレ、早く。」
あ、しまった・・言い過ぎた。後悔も遅く、一瞬の沈黙の後に突然部屋のドアが俺に向かって飛んできた!
「馬鹿ああア―――ッ!」
バアアアン! ドンガラガッシャアアアン! 美咲の強烈な蹴りでドア扉ごと吹っ飛ばされた俺は、さらに渡り廊下と中庭を繋ぐガラスも道連れにして外の中庭まで吹っ飛ばされた。中庭にあるのは――池。ドボオオン・・! 見事勢いよく飛び込む形になった。ただし、背中から。ガボボボボボ・・・プハァッ!
「ゴホゴホ・・こ、こらぁ! 美咲お前〜! 怪我したらどうするんだッ!」
全身びしょ濡れにさせられた俺はたまらず何か言い返そうとしたが、仁王立ちでこちらを睨む美咲を見て借りてきた猫のように何も言えなくなる。
「な・に・かッ!?」
「いえ・・何でもアリマセン。」
情けない。ちょっとからかっただけでこれじゃあ、たまったものではない。しかしこれが長年繰り返して来た俺と美咲の喧嘩なのだ。胸元を鯉が跳ねる。ハハハ・・モヤモヤしたものが晴れた気がして、不思議と笑いが込み上げてくる。
「何が可笑しいのよッ!?」
相変わらず美咲は怖い顔をしている。俺は笑いながら謝った。
「いや・・ゴメンな美咲、からかったりして。ともあれ俺を引き上げてくれるか?」
「え? う・・うん。」
少し頬を赤らめながら俺の手を取り、引き上げる美咲。もう怒ってないようで、ホッと一安心した。口も手も非常に早い美咲だが、何時までも根に持たないのが良いところだ。濡れた上着を脱いで雑巾絞りをする。後ろを向く美咲。その時、時枝おばさんが血相を変えて渡り廊下をこちらに走ってきた。
「・・時枝さん?」
先に気付いた美咲が怪訝な表情で時枝さんを呼ぶ。
「あ、お嬢様! ・・あんた達、何してんだい?」
辺りの格闘の後を見た時枝さんが思わず俺と美咲を見比べる。俺は誤魔化すように、美咲はバツが悪そうに乾いた笑いをするしかなかった。だが時枝さんは大して気にした様子もなく、本来の用事を話し始めた。
「ああ、また何時もの喧嘩だろ。そんな事はどうでもいいんだよ。それより・・大変なんだ。」
「おばさん・・?」
「どうかしたの、時枝さん。」
時枝さんの異常な慌てぶりを不審に思った美咲が問い掛けた。嫌な予感がする。そしてその予感は・・的中した。
「いいかい、落ち着いて聞くんだよ? 橋元の・・橋元先生が殺されたんだよ!」