の喫煙戦士!スモーカーZ


 
 一人暮らしの浪人生というのは大概、とてつもなく怠惰な生活を送っているものであり、特に男子ともなれば、その日々は、ほとんど社会性を失っているとさえ言っていい、まごうことなき人間のクズ状態であり、この五月で十九歳になった本編の主人公―――松本もまた、その一人なのだった。

 松本はその日、予備校を自主的に休講日と定めて―――つまり無断欠席し―――六畳一間の上に無造作に敷かれた万年床に寝そべって、いい若い者が昼の日中から、あたりめを肴に缶ビールを空け、マイルドセブンスリムライトメンソールを喫いながら、『午後は○○おもいっきりテレビ』をダラダラと垂れ流しつつ、みのもんたにブツブツと文句を言っていた。

「みの、てめー、ふざけんなよ畜生。偉そうに何でも知ってるみてーなシタリ顔でのさばりやがってよう。だいたい『ファイナルアンサー?』って訊いてからの、あの妙な間は一体なんなんだよ。長すぎんだよ。気持ち悪い笑い方しやがって、てめーのドアップのツラなんぞ視たくねーんだよ、こっちは。くそ。意味もなく長い間で引っ張って放映時間ひきのばしやがって、てめーは昔のアニメかっつーの」
           . . . . ..
 松本は、完全に出来上がっていた。つっこむ内容が『クイズミリオネア』とごっちゃになっていたが、そんなことは死ぬ程どうでもよかった。松本は、マイルドセブンの煙を吐いて、続けた。

「あー畜生、ヒマだにゃー。なーんか、空から札束が雨のように降ってきたりしねーかにゃー。もしくは楽して大金ガッポガッポ儲けてーにゃー。あと雨の日に傘かしてやったとか、前が見えないくらい山積みの本をバラバラ落としちゃったのを拾ってあげたとか、その程度のほんの些細な優しさだけで一方的に俺に惚れてる女の子が突然あらわれて部屋の掃除とか洗い物とか済ましてくれた上に、じつはその正体はメイド型アンドロイドで、ついでにメガネで猫耳でブルマーを基本装備した魔界のプリンセスだし、俺の言うことなら何でも聞いてくれるから魔法の力で一生はたらかずに暮らせるようにしてくんねーかにゃー。そしたら毎晩かわいがってやるのににゃー」

 松本は、どこに出しても恥ずかしい程の本格的な人間のクズだった。というよりは、速攻で死んだ方が社会のためには良かった。だが日本は人道的な民主主義国家であり、こんなウンコより役に立たないゴミの中のゴミ、ダメ人間チャンピオンであっても、忌々しいことに生きる権利が認められているため、勝手に殺してしまう訳にはいかなかった。松本は煙草を灰皿で揉み消し、また万年床に寝そべった。

「畜生、もう世界なんて滅びればいいのに。そして最後に俺とロリっ子な美少女だけが生き残り来る日も来る日も体操着やブルマーやスクール水着で具体的に口にするのが憚られるような内容の桃色遊戯を楽しむ毎日だし、しばらくしてフラグが立つと、今度はムチムチした肉体を持て余す人妻が裸エプロンで迫ってきて、二人いっぺんにブリリアントな夢の世界がワンダーでファンタジー、つまりパラダイス銀河なのでした〜! うへへへ・・・」

 この男、しかし一秒でも早く死んだ方が良かった。

 と、そのとき。

「ああ、ダメよダメよ! そんな生き方は間違ってる! ドン小西のファッションセンスくらい間違ってるわ!」

 突然ベランダから声がしたかと思うと、まるで秘密組織の女幹部のような、露出の多めなラバー地に爬虫類系のウロコやツノのあるデザインの面妖な出で立ちをした十七、八歳の少女が、窓ガラスをブチ割って部屋に飛び入ってきたのだった。常識的に考えて有り得ないことではあったが、有り得てしまった以上は仕方がない。松本は、飛び散ったガラス片の突き刺さって血だらけな顔面で、呆然と不法侵入者を見上げた。

 少女は、仁王立ちのままビシリと突き出した人差し指を、まるでインドネシア共和国の独立実現を宣言するスカルノ氏のように雄々しく天に突き立て、歌舞伎役者もかくやという大見得を切って言った。

「そもそも世界が滅んだ時点で、あんたみたいな人類の精神的ヒエラルキー中でも最下層に位置するようなダメ人間エリートが生き残れるなんて奇跡は、百万回連続で隕石に直撃してブラジル行きになるくらい絶望的な可能性に決まってんでしょオラオラ! 死んで詫びな、ブタ人間! ブヒブヒ喚きやがってマジでブッ殺すわよ?」

 と、往年の蝶野ばりの情け容赦ないストンピングで、まるでゴキブリを踏み潰すように、少女は、にっこりと笑いながらゲシゲシと蹴りを入れまくった。松本は死にそうになったが、たぶん少女は、半分くらい死んでも構わない程度の気持ちで蹴っていた。

 やがて一息ついて落ち着きを取り戻すと、ひとつ咳払いをしてから、また見得を切った。

「あなたのようなダメ人間を、地域社会の形成に役立つ真っ当な真人間に更正する―――それが我ら、正義の秘密組織グッドウィルの掲げる崇高なる理想! ああっ、偉大なる総統閣下・・・・・・わたし、いま、正義です!」

 うっとりと自分の言葉に酔いしれるように身をよじるコスプレ少女をしり目に、松本は噴水のように勢いよく噴き出す流血を、もそもそと押し黙ったまま拭いた。少女は、そんな外界からの情報には一向に構わず、続けた。

「そんな訳で、あなたは光栄にも、わたし達グッドウィルの独自の調査によって、様々なテクノロジーを駆使した更正率100%を誇る特殊セミナーを受講する輝かしい権利を得る一人として選ばれました。今後あなたは我々が所有する秘密の船に乗ってもらって、そこで一日二十一時間の更正プログラムを―――あ、申し遅れました、わたし、秘密組織グッドウィル情報参謀の、サラ・ミシェル・ゲラ子です」

 と名刺を差し出すと、ゲラ子は、にっこりと笑った。

「とにかく、まずはその喫煙の習慣から改めた方がイイですね。煙草を吸ってタメになることなんて一つもないし、それにニコチンが脳に回るとシナプス連結がブチブチ途切れてって頭はドンドン悪くなるんですよ? そう、つまり煙草なんか吸ってるから、マルチ萌え〜だのルリルリ萌え〜だのと、二次元の美少女しかもロリからペドまでの範囲しか愛せない社会不適合者が世に蔓延っちゃうんですよ。だから世界中の人々が喫煙を止めれば、イスラム原理主義も共産主義も改心して戦争や民族紛争は全て無くなるわ、変態は死滅するわ、オゾンホールは消えるわ、温暖化や砂漠化や森林伐採の心配も皆無、アルバム『デンジャラス』以降くらいからのマイケル・ジャクソン級にラヴ&ピース溢れる理想の世の中が訪れる案配なのです。ほんと、喫煙なんて、あんなの人間のクズが迷惑まきちらしながら嗜好する最低最悪の浪費行為ですよ」

 名刺を受け取って松本は、やはり血だらけの顔面で、名刺とゲラ子とをゆっくり交互に何度か繰り返し見比べ、やがて何かを悟ったらしかった。

「・・・・・・つまり、ボクの部屋に空から女の子が降ってきた・・・ってことなのか」

「ちがいます」

 ゲラ子は、マッハで即答した。

 確かに松本は、冴えない、モテない、オタク野郎、一人暮らしの浪人生―――と正しく<空から女の子>条件を満たしてはいたが、如何せん、筆者―――炎のジョニーの世界観に於いては、そんな高速の料金所で引っかかっても文句の言えそうにないほど都合の良いドリームが激しく過積載された展開は、酸に浸したリトマス試験紙が青くなるより有り得ないことだった。

 しかし松本は、本格的に頭が悪かったので、ちっともへこたれなかった。

「やったー! どう見ても健康保険証とか持ってなさそうな、国籍不明らしきコスプレ美少女がボクの部屋に不法侵入ってことは、これは警察に突き出す理由モリモリであり、つまり基本的人権を持たない女の子の弱みを握った訳だから、もしかして何をしても犯罪にはならないってことなんじゃないのだろうか!? なんてこった、こいつは夢か幻か!? ここは魔界か!? いや、このさい幻覚でも構わねえッ! とりあえず、手始めに巫女さんの衣装を着せてから・・・! うおりゃー!」

 着せてから・・・何なのかを具体的に描写することは良心から憚られるため自主規制するとして、松本は、まるで野性の豹に匹敵するような獰猛さでゲラ子に飛びかかった。と松本は思っていたが、現実的には、群からはぐれた飢餓状態のハイエナが、我を忘れて食い残しの骨に飛びつくようなみっともなさだった。

「ぎゃー! 何すんのよ、この劣等種族! 鈴木真仁マニア! 男物のシャツ以外は何も着てない風呂上がりの女の子フェチ!」

 ゲラ子の罵倒の仕方は、罵倒してるのかどうか、いまいち分かりにくかった。

「ちょ、ちょっと、やめ・・・やめてください―――・・・あっ、いや・・・あの、ほんとに・・・・・・」

 と、抵抗するゲラ子の声が何故か無意味に速攻でわざとらしく色気を帯び始めるのを聞いて、松本は、うわー、こんなエロゲーみてーな展開って実際に有り得るんだなあ・・・と果てしなくハッピーなドリームに酔っ払っていたが、それが一種の白昼夢や幻覚症状に近いものであったということは、ここに書き記すまでもない。

「テメエ、やめろっつってんだろ、このブタびと! 速攻で死ね!」

 ゲラ子の必殺の左フックが、渾身の威力で松本のアゴ先を直撃し、大きく脳を揺さぶった。シンクロエナジャイザー使用時ばりにぐらつく視界に、松本は気が遠のいた。

「こいつ、猫まっしぐらなカル缶ばりに畜生道まっしぐらだわ! どう考えても何らかの奇跡的な手違いで人間道に落っこちてきたとしか思えねえ! ええい、釈迦尊だか大日如来だか知んねーけど、いっぺん輪廻転生の責任者よびつけて、とっくり説教してやんねーと気が済まねーわ! いや・・・むしろ、いま始末つけて、改めて輪廻さすべきか・・・」

 ゲラ子の目に、まるで闇の世界の殺し屋のような鈍くドス黒い輝きが宿りかけた時、どこからともなく声がした。

「はっはっは! そこまでだ、グッドウィルめ!」

「ぬうッ、何奴ッ!? って、こういう展開もう飽きたわ!」

 とゲラ子が振り向いて身を構えるに、唐突、バズーカ砲の直撃で壁が丸ごと吹き飛び、開いた穴から、立ちこめる白煙を従えて、やはり面妖なフルフェイスの仮面をかぶった謎の人物が現れた。ちなみに衝撃に吹き飛ばされたのは壁だけではなく、松本の左膝から下や右手の中指と薬指もどこかへ飛び散ってしまったようだが、この際それは置いておこう。

 とにかく、突然あらわれた謎の人物は、とりあえず持っていたバズーカ砲を投げ捨てて、おそらく自分ではカッコイイと思っているのだろう奇妙なポーズを取りながら、叫ぶように宣言し始めた。

「健康に悪いだの人に迷惑だのと、もっともらしく不当な理由を重ねて喫煙行為を貶め、世界中から煙草の存在を消さしめようとするなど言語道断! 押しつけがましい善意が容易くファシズムに直結し、やがて悪意を凌ぐ罪となることも分からぬ輩は、この嵐のシガレットソルジャー、煙草の国の使者! 正義の男J.T.マンが許さん! 善意の手先サラ・ミシェル・ゲラ子よ、貴様を倒す!」

 しかし、その名前は、なにやら煙草の国の使者と言うよりは、むしろ日本たばこ産業株式会社からの使者のように思われた。あ、ディライト。

「ちょ、ちょっと待ちなさいよ、あんた、タイトルと名前ちがうじゃない! これって『炎の喫煙戦士スモーカーZ』じゃなかったの? 第一、正義の男なら、いまレイプされそーになってたあたしの方をこそ助けなさいよ!」

 ゲラ子の怒りのツッコミに対し、J.T.マンは、仮面なので当然だが、まったく表情も変えずに即答した。

「私は愛煙家の権利を守るために戦う煙草の戦士だから、それ以外のことには全くの無関心なのだ!」

 威張って言うようなことでは、なかった。

「・・・ふん、まあいいわ。とにかく、わたしとあなたとは、何だか良く分からないけど、なんとなく戦わねばならない運命にあるようね! ストーリー的な都合として!」

「フッ・・・どうやら、そうらしいな・・・」

 そういうことになっているらしい。深く視線を交わし合うゲラ子とJ.T.マン。松本は、おいてきぼりをくらった。

「あ、あの・・・」

「うるっさいわね、ちょっと黙ってな!」

 もはや二人の間の緊張は松本の介入を許さなかった。張りつめた圧力に耐えかねて、空間がぐにゃりとひしゃげていくように思えた。二人の体から発せられるオーラが、ぶつかり合って凌ぎを削る。松本は、ほとばしる殺気にあてられて、鼻血を流しながら昏倒した。白目を剥いて痙攣しているが、誰もそれは気にとめなかった。

 吹き飛んだ壁の大穴から流れ込む風が、二人の間合いに渦を巻いた。口火を切ったのは、ゲラ子だった。

「・・・喫煙行為によって、貴方が健康を害することは許すわ・・・それが貴方の選んだ【自由】だというのなら、認めなければならない・・・でもね」

 ゲラ子が、目を見開く。攻勢に出た。

「フィルターを通さない副流煙の方が有害物質の多く含まれているという事実―――つまり喫煙者の周囲にある嫌煙者の【自由】は、一体どう補償されるのかということよ! 貴方が部屋で一人で喫うぶんには構わないとしても、ということは、いずれ公共の場においても喫煙する可能性がある・・・嫌煙者にとっては、その煙の臭いがいかに不愉快であるか、貴方たちは考える必要があるんじゃないのかしら!? それに、迷惑なのは煙そのものだけじゃあないわ・・・・・・個人的な話で恐縮だけど、あたしがよく行く本屋で立ち読みしてると時々あらわれる薄汚れたクマみてーなムッサいデブのオヤジは、体臭か服に染み付いた臭いか知らないけど、雨に濡れたバス停の灰皿を更にヒドくしたよーなキッツい臭いがするのよ! あれはもう毒ガスの一種よ! マジで目にしみるし!」

 ちなみに、これは全て実話である。誰かあのオヤジを何とかして下さい。

「わたしが分からないのは、そこまでして、己の健康を害し周囲に迷惑を撒き散らしてまで、どうして煙草なんてものを喫わなければならないのかってことよ! 何の得もないじゃないの、そんなのって、お金をドブに捨てるようなものでしょ? 消費が悪徳なら、浪費は、それ以上の悪徳よ! かつての石炭エネルギーを捨て去って新たな発展を臨んだ歴史に倣って、貴方たちも煙草を捨てるべきときが来ているんじゃあないかしら!? 不要なモノを省き、クリーンで効率的な理想の未来を子供たちに託したいとは思わないの? その責任を感じないの? 大体ねえ、ファミレスとか喫茶店に入ったとき、愛煙家の連れに『すいません、煙草すってもいいですか?』って言われたら、えっらい断りづらいのよ! その聞き方は卑怯でしょ! せめて『煙、気にする方ですか?』みたいな、もうちょっと相手の立場に立った物言いを心掛けなさいよ!」

「・・・・・・」

 それまで黙っていたJ.T.マンが、大きく息を吸い込んだ。次の瞬間―――

喫煙とは、暴力の代替行為だッ!

 200デシベルを余裕で超えるだろうジャンボジェットの飛行音にも匹敵する大音量で、J.T.マンが叫びを上げた。ゲラ子は、脳天にクウガのライジング・マイティキックの直撃を喰らったような錯覚を覚えた。要するに、キック一発で周囲数百mを爆炎のもとに吹き飛ばす、仮面ライダー史上最強の威力の必殺技である。

 グラグラと悲鳴を上げる脳を揺さぶって、ゲラ子は頭を押さえながら抗議した。

「う、うるせー! ちょっとアンタ、いきなりデカい声ださないでよビックリするでしょ! ったく、あんたの声帯、マーシャルのアンプでも仕込んであるんじゃないの? 普通じゃねーわよ」

「煙草を喫うことに何の得があるのか、だと・・・? 笑止! 得など無いわ! 貴様は損得のためにしか生きられぬと言うのか? この守銭奴めが! そんな心の貧しい人間に、喫煙行為の何たるかを云々されるとは侮辱の極み・・・喫煙というものが如何に重要な思想的行為であるか、いちから知らしめる必要があるようだな―――いいか、耳の穴かっぽじってよく聞けよ!」

「な・・・ちょ、ちょっと・・・・・・」

 大声に怯んだゲラ子の隙を、J.T.マンは逃さない。畳みかけるように、凄まじいまでの早口でまくしたてた。

「人類の娯楽の種類などというものは、そう多くはない―――要するに、笑いか、さもなきゃセックスかバイオレンスかのどちらかだ。セックスの方は、まだ法的に許可されている・・・というより、そうでないと子孫が残せないから当然なのだが・・・とにかく多少の規制はあっても、逆に言えば法によって保護された娯楽な訳だが、しかし暴力は違う。高度に管理された文明社会に浸り切り【暴力】の仕事を全てヤクザに押しつけてしまった理性的な市民にとって、暴力とは行使した瞬間に違法行為、社会不適合異分子と見なされる純粋な【悪】でしかない―――合法な暴力を行使するには本格的に格闘技を学ぶより他にエクスキューズは存在しない、だからこそ人は映画や漫画の暴力シーンやスポーツの試合に熱中するのだ。世に存在するあらゆるスポーツは、いかに『精神と肉体を鍛え向上させる為にあるもの』などと理屈をぶったところで、所詮すべて暴力の代替行為であるに過ぎない。たとえば野球なら、ボールを投擲して敵の弱点を狙い行動不能にすること、手にした武器でボールを思いっ切りブッ叩いて攻撃することが目的であることに着目すれば、それの根本が肉体的、運動的、暴力的な快感に由来することの証明として揺るぎようのない事実であることが知れるだろう。いや、話が脱線した。とにかく人間は、暴力を捨てては生きられないのだが、しかし社会を維持する上では暴力の存在は邪魔でしかない―――本来なら格闘技を学び実際的に暴力を発露することが最も望ましいのだろうが、現代社会に於いては、格闘技を学ぶことは時間的にも経済的にもリスクが大きすぎるのが実状だと言えよう。といって暴力映画やスポーツといった代替暴力によって、暴力欲求の全てを発散しきれる訳ではない。そんなときに必要なのが、そう、喫煙なのだ!」

「・・・・・・」

 ゲラ子は、その尋常ならざる早口と威勢に呆気にとられ、ぱくぱくと金魚のように口を開くしか出来ない。J.T.マンは短い息継ぎにも全く間を置かず、矢継ぎ早に続けた。

「喫煙とはすなわち暴力行為そのものだ。つまり自らの肉体を汚す行為・・・公的圧力、倫理、理性、超自我によって『してはいけない、するべきではない』と規制されているもの、という意味に於いては、ほとんど等号で結ばれるべきものであるとさえ言えよう。それは幼児が保護者に叱られることを承知で、それでも泥遊びをしてしまう心理と同じ―――汚れることの快感、愉悦というものは、人にとって必要不可欠なものだ。無菌室で育てられた植物が野には生きられぬように、汚れることを知らぬ人間は決して強くは生きられないのだ! 喫煙とは己の闇と向き合う行為、汚れた部分を受け容れ、包括する、極めて重要な思想的行為の一部なのだ! それを否定するなどとは人間の尊厳を否定するも同様、うわべだけを見て非を判断しようとする浅はかな偽善に過ぎぬ!」

 なおも続くJ.T.マンの独り舞台は、やがて興奮してきたのか語気が荒ぶりだした。

「・・・副流煙が有害だと? ええい、細かいことをゴチャゴチャ言うな! だったら、自動車の排気ガスはどうなんだ! そんなに言うんだったら、おまえ絶対に燃料自動車には乗んねーんだろうな? ああン? 地球環境的見地からしても、煙草より先にそっちの方を根絶すべきなんじゃねーのかよ? おまえの部屋の中に舞ってる有害なホコリを吸い込むのは構わなくて、煙草の煙だけは許せないってのか? ふざけんな! そんなに健康が心配ならネブラスカの砂漠のド真ん中か南極にでも無菌室を建てて住め! そんなピリピリギスギス健康に気を配ってビクビクしながら生きてるより、少しくらい体に悪いことしてた方が精神的にも肉体的にも、よっぽど大らかで健康にイイんだよ! ・・・煙の臭いが不快? 臭いぐらいでガタガタ抜かすな! じゃあ電車の中でキャーキャーくっちゃべってる小うるせえ女子高生どもは不快じゃねえのか? 真夏のクソ暑い最中に、向かいの席に汗ダクのデブが座っても全く不快じゃねえってのか? 禁煙禁煙って騒ぐくせに女子高生のダベリやデブは規制しねえのか? それと同じだろうが! おまえらのやってることは、おまえら『善意の従僕』どもが最も忌み嫌う差別主義、ファシズムそのものなんだよ! おまえらのせいで今じゃテレビで煙草のCMも見られなくなっちまったじゃねえか! 青少年に与える影響を配慮して、だと・・・? 日本酒やビールや競馬やTOTOのCMはジャカスカ景気よく流しまくってやがるくせに、何故おまえらはそんなに煙草ばかりを目の敵にするんだ!? いや確かに、当時ながれてた煙草のCMってのは

『薄暗いバーのカウンターで、ウィスキー片手にシケたツラで煙草を喫ってる、自分ではカッコイイつもりの暗〜いナル野郎と、そのカウンターの向こうで、大抵は紅いドレスとかを着てて、男を見つめながら妙な微笑みを浮かべる気持ち悪〜いアンニュイ美女』

 みてーな、こんなもん現実に有り得たらふざけるんじゃねえと言いたくなる、クソみてーに有害な都合のいい妄想具現化CMばっかりだったから、ある意味ではテレビから消えて良かったとも言えるが、いや、そんな話をしている場合じゃない! ―――おれたち喫煙者は煙草一本につき約7円、つまり50%以上も税金を払ってる国家の貢献者なんだぞ? この不景気に敬われこそすれ差別されるいわれはねえ! つうか税金いくら何でも高すぎるよ畜生! 嗜好品だから、なーんつって、てめえ煙草なんか喫ってんのは大概が貧乏人ばっかりだっつーの! 金持ちは葉巻だろうしよ! なーにが累進課税だ、結局は、こういう細かいトコで貧乏人からカネむしりとって金持ちの腹こやしてやんなきゃなんねえのかよ! くそったれがー!」

 そうとう興奮しているらしい、J.T.マンは肩を揺すって呼吸も荒く、ほとんど目も据わっていた。その息切れの合間を縫って、ようやくゲラ子が反撃の糸口を切り開こうとする。

「で、でも・・・じゃあ吸い殻のポイ捨てはどうなのよ!? あれは絶対に喫煙者しかやらない行為じゃないの!」

知るか、そんなもん

 J.T.マンは、意外と無責任だった。

「少なくとも俺はマナーを守って喫煙してる、携帯灰皿も持ってる、ポイ捨てなぞ頼まれても絶対しないが、他の人間のことまでフォローしきれんわい。ま、ポイ捨てする人間にも、するなりの理屈があるんじゃねえの? 知らねえけど。だいいち、そんなこと言い出したら、そもそも『ゴミを捨てる人間』の問題じゃん。煙草を吸ってなくても捨てるヤツは捨てるし、吸ってても捨てない人は捨てないだろ。そりゃ喫煙者に罪なすりつけて問題すりかえてるだけだよ。バロン・ゴング風に言うと

『おまえは一人のイタリア人がなめた真似をしたからといって、イタリア人全員を嫌うのか?』

 ってことだろ。勝手にひとくくりにすんじゃねえよ」

「ぐ・・・あ、あうう・・・」

 J.T.マンの理論武装に、若いゲラ子は手も足も出ない。というより、この場合はグウの音も出ない、といったところだろうか。

 いつの間にか落ち着きを取り戻し、口調も紳士調に戻ったJ.T.マンが、うつむくゲラ子に声を掛ける。

「人間、損得や効率といった、クリーンな理屈だけじゃ生きられやしない。理屈に合わないこともする。体に良くないこともする。善いことばかりしてる方が、よっぽど体に悪いということだ」

 ゲラ子の膝が、両手が、がっくりと床に落ちた。目に涙をため、ゲラ子は震える声をこぼした。

「・・・・・・ま、負けたわ・・・なんだかよく分からないけど、あたしの完敗よ。『先に料理を出した方が負ける』というグルメ漫画の法則を甘く見ていたわ・・・」

「・・・・・・」

「あたしの善意は、間違っていたのね・・・・・・もう、これからは喫煙を無理にやめさせるなんてことは、しないようにするわ・・・」

「いや」

 と遮るJ.T.マンを、ゲラ子は涙顔を振り仰いで、その仮面の目を見た。強い、真摯な眼差しだった。

「きみの正義は、間違ってなんかいない―――喫煙をやめさせようとするということは、人々の健康に気を遣う優しい心がなければ出来ないことだ。きみの善意は間違ってはいない・・・ただ、その方法を見失っていただけなんだろう。これからは、きみが思う優しいやり方で、喫煙者に言い聞かせていけばいい。もちろん、そのときは私も遠慮なく戦わせてもらうがな」

 聞いて、ゲラ子は少しうつむくと、ふっと顔を上げ、やさしく微笑んだ。まるで朝露に濡れたスミレのように、凛として爽やかな、美しい笑顔だった。立ち上がり、ゲラ子はJ.T.マンに向かって、

「・・・―――次は、負けないわよ」

 と言って、すっと右手を差し出した。J.T.マンは、何も言わずに、その右手をしっかりと握り返した。吹き飛んだ壁の大穴から射し込む夕陽が、ふたりの影を、赤く、赤く照らしていた。
 

 ―――こうして今日の戦いは終わった。だが、いつまた愛煙家の権利が脅かされるかはわからない。善意という名の恐ろしいファシズムの攻撃に、蔑まれ、虐げられることもあるだろう。しかし、決して希望を捨ててはいけない。その時が来れば、きっと彼が現れる! 愛煙家の心を救う正義の男が! ありがとう! 炎の喫煙戦士、スモーカーZ!

「・・・・・・いや、私の名はJ.T.マンなのだが」

 えっ、そうなの? じゃあ、それ! ありがとー!

「・・・・・・・・・まあ、いいか。さ、青年、きみもいつまでもそんなところに寝ていないで―――おや? これは・・・」

 と、J.T.マンが昏倒した松本の体を起こそうとしたとき、松本の手から煙草の箱がこぼれた。

 それを見たJ.T.マンの表情が、仮面を被っているのでハタ見には非常に分かりづらかったが、みるみるうちに変わっていった。
                            .. .. .
「何ィ・・・? マイルドセブン・・・スリムライト・・・メンソールだとォ!?」

 瞬間、J.T.マンは箱を全力で握り潰し、床に叩き付けて足蹴にした。耐えかねて怒りの叫びを上げる。

「ふざけんな、メンソールは煙草じゃねえ! こんなもん、タダのハッカじゃねえかよ! ええい畜生、だったらこんなヤツの味方なんかすんじゃなかったぜクソッ! っざけやがって冗談じゃねえ、こんなもん喫ってる野郎と一緒にされちゃ、こっちが迷惑だっつーの! ボケが! ったくよぉ、なんで俺がこんなクソオタク野郎のカタ持たなきゃなんねーってんだよ、ブッ飛ばすぞガキが! もう、おまえ今すぐ死ね! むしろ殺す!」

 彼は愛煙家の権利を守るために戦う煙草の戦士なので、べつだん殺人を犯すことに対しては何らの抵抗も覚えないのだった。昏倒した松本をゴトリと床に投げ捨てて、その無防備な腹に『時計じかけのオレンジ』よろしく

 ♪アイムシィ〜ンギインダレェ〜イン ♪ジャスシィ〜ンギインダレェ〜イン

 と『雨に唄えば』を熱唱しつつ容赦なく蹴りを入れまくった。それを見ていたゲラ子も、

「あ、ちょっと待ってよ、あたしもこのブタ人間は本来なら死なすべきだと思ってたのよ、あたしもヤるわよ! ざけんじゃねーぞテメエこのあたしをレイプしよーなんざ10億年は早えっつーのよ取り敢えずデブとオタクと生活態度を改めて、ついでに最低でも赤木圭一郎クラスの顔に生まれ変わってから出直して来やがれってんだブラスター超時空ガッデム野郎ォ!」

 と、松本に蹴りを入れるのに加勢した。ひどい正義のヒーローと、ひどい善意の使者だった。松本は、死に瀕していた。
 

 と、そのとき。玄関のドアが音を立てて開け放たれるのを聞いて、二人は動きを止め、振り向いた。そこには、アパートの大家がいた。猛烈な怒りの表情だった。粉々に砕け散ったガラス戸、吹き飛んで残骸しか残っていない壁、めくれかえったボロボロの畳、散乱するコンクリートの破片。震える拳を握り締めながら、大家が、慟哭の吼え声を上げた。

「・・・―――おまえら、出てけ!

 こうして松本は、宿無しになった。
 


の喫煙戦士!スモーカーZ
DATE:01/09/23(Sun) WRITING and EDITING:Johnnie the Fire
BELONGING:[ Committee for Eating 3 Owans of MESHI with Gal games ]