春一番とは

【 春一番 】とは、70年代 大阪で生まれた野外コンサートです。
ゴールデンウィークに、このコンサートの為だけに集まる有志スタッフが、
プロデューサー・舞台監督の福岡風太・阿部登たちと共に、【 春一番 】を創っています。
1971年に生まれ、1979年で一旦幕を閉じ、1995年に復活をして、今年2004年で復活10年目を迎えた【 春一番 】。
【 春一番 】とはどんなコンサートなのか?このHPがそれを知るきっかけになってくれれば幸いです。

2004年・春一番スタッフ

 
ウッドストック元年、1969年。

大阪にはコンサートが皆無でした。

野外で、ロックンロールで、オールナイトで、LOVEで、

PEACEで、FREEDOMで…みーんなロングヘア。

そんなコンサートを私は望んでいました。

<自由というものは失うものがないことさ>

中川五郎が、「俺とボギー・マギー」でそう歌っていました。
  私たちのほとんどは住所不定で無職。コンサートをするにも予算などありません。
しかし、自分たちが観たいコンサートがあり、聴きたい、うたいたい歌がありました。
それが原動力となって、1971年の5月の連休に<春一番>という名のコンサートを開いたのです。

<春一番>を作るすべての作業は、ミュージシャンもスタッフも区別なしです。コンサートを運営する事務所すらありませんでした。当時は大阪・なんば元町にあった「ディラン」という喫茶店に集まってミーティング(という名の酒盛り)をしていたのです。
 
歌をうたわない人以外は、みんなマネージャーでプロデューサー。舞台監督でも、PA、照明でもいいでしょう。要するに私たちはなんでも屋だったわけです。でも、そんなことは苦ではなかったんです。それよりも一番大切なことはコンサートの現場にいて、自分の好きなミュージシャンやバンドの音楽を誰よりも楽しむことだったのですから。
 
みんな、タマゴでした。これから自分が何を本職にするのか考えもおよばなかったのです。

 <春一番>は9年間続きました。「楽しかった」というのが最初の<春一番>を終えたときの感想です。
「じゃあ、毎年この季節にやろう」ということになり2回目、3回目と続いていきました。毎年、5月の連休。毎回、天王寺野外音楽堂。毎回出演するミュージシャンのなかからレコーディングをしたり、ツアーを経験することによって音楽を本職とするようになり、スタッフもまたマネージャー、PA、照明などを生活の糧とする者も現われました。私自身もバンドのロード・マネージャーとなりました。そして<春一番>の出演者全員のこと、それは私生活を知っていないとコンサート・プロデューサーでないという持論から外れはじめたのです。
 
<春一番>の幕を引いたのは、そういったことも原因でした。
 
私たちは職業を得、家庭を持ち、30歳を迎えていたのです。

 あれから15年が経ちます。私たちも「失うもの」が多くなり、ふっと気がつくとあれほど観たかったコンサート、聴きたくてうたいたかった歌をも見失っている。手間暇かけ、プロデューサーの熱意がこもったコンサートがない。血の通った音楽の現場がない。だから私たちは、私たちが大好きだった音楽をもう一度確認すべく15年ぶりに<春一番>を開催するのです。
 今ある肩書きを1995年5月の連休の間だけはずしてみようと思う人、そしてすべての職業人や学生、遊び人を募ります。

ROAD&STAGE MANAGER 福岡風太

 
春一番、RETURNS!

日本のロック、ポップスが誕生したばかりの70年代…

大阪で特別なイベントが毎年開催されていた。その名は「春一番」。

無名のプロデューサー福岡風太とスタッフ達「ええもんは、ええ」のポリシーで始まったそのイベントには、
日本のさまざまなアーティストが自ら参加して、そのパフォーマンスを競った。

そして新しい音楽を求めて集まった超満員の観客は、野外音楽堂のさわやかな初夏の陽射しと風と音楽を
のびやかに楽しんでいた…。その「春一番」が大人になった人気ア−ティスト達や「春一番」を伝説でしか
知らない若いアーティストたちととものよみがえった。

今年1995年の初夏、日本のミュージシャンが再び動き出す瞬間の感動を、
この感動をすべての観客たちといっしょに、ハートにきざめ…

                                         1995年「はるいちばん」配布用チラシより。

 
<自由というものは失うものが何もないことさ>

ミュージシャンもスタッフも、無償で、観たい、聞きたい、うたいたい歌がありました。

それが原動力となって、1971年の5月の連休に『春一番』という名のコンサートは開かれたのです。

『春一番』を作るすべての作業を手作りで行ない、当時と同じように本当に気持ちのよいコンサートをめざし、去年、15年ぶりの『春一番』が復活しました。

そして私たちは、もっともっと自由になるために、

1996年5月の連休も、服部緑地野外音楽堂で『春一番』を開催いたします。

去年(1995年5月)再開された『春一番』今年もやります。

2日間(‘95.5.4&5)を3日間にして、大阪のアーティストを中心に、ゆっくり、ハードに演ります。

どこまで自由に出来るのか、楽しく出来るのか。

新しい唱が生まれ、新しい出会いがある。1アーティストのみの「キャーキャー」いうだけではなく。

歌い続けられる、語り続けられるコンサート。

みんなをびっくりさせるスペシャルゲスト。

今年は、私たちの力だけで、はたしてどこまで出来るのか、またできるものなのか、を実行したくて、スポンサーをゼロにしました。

現在の日本のコンサートは、スポンサーなしではなにも出来ない経済状況ですが、私たちはそれを当然のごとく、自然に受け止め、これまでの人生を試してみます。

手間暇をかけ、プロデューサーの熱意と、血の通った音楽の現場。

だから私たちは、大好きだった音楽を、これから大好きになる音楽を確認するべく、ふたたび、今年の『春一番』を開催させるのです。

 
春一番‘97を一緒に創るみなさんへ

      ロックンロールを生きましょう   福岡風太

  1971年から1979年まで 毎年5月の連休のころに「春一番」というコンサートを9回続けてやりました。当時の会場 天王寺野外音楽堂 は取り壊されて 大阪城野外音楽堂 として再建されています。16年振りの復活「春一番‘95」はその城野音で開催しました。

去年の通算11回目からは 服部緑地公園野外音楽堂に会場を移しました。あの震災にあわれた人達が すぐ近くにある野球場に建てられた仮設住宅で今も不便な生活を強いられておられます。

    クソ
 
大東京を中心にした日本の音楽状況はジャンルを問わず 四半世紀前と何も変わっていません。ロックに関しては同じ時間をかけて逆もどりしてしまったような気さえします。「あしたのメシを食うためのお金になるんやったら なにやってもええんか?」と言いたいです。

「春一番‘97(通算12回目)」はロックのナツメロ大会ではありません。出演者もお客サンもスタッフも みんな前向きのロックンローラーです。ミュージシャン達は自分の出演時間だけでなく他の人とも勝手に 自由に 即興で混じり合ってステージを楽しみます。まるで 大阪名物「お好み焼」みたいなコンサートになります。青空の下 コンクリートの壁を吹き越えてくる 若葉に染まった薄緑色の風と一緒にみんなで「お好み焼」になりましょう。

 
 
前略 いつも大変お世話になっております。

’71年から ’79年まで 9回続けた「春一番」を‘95年に 16年振りで再開しました。アッ!という間に 再開3回目であります。音楽業界は四半世紀前と何も変わっていません。私も変わっていません。相変わらずの舞台カントク稼業で旅しています。ロックンコールがロックンロールであるために 何を大事にすべきなのか。私達は何で こんなコンサートをやるのか。世間や業界に問うのではなく 自分自身に確かめるためのコンサート創りを目先しています。大阪名物「春一番」を楽しみに 皆サンで おいで下さい。ネブクロさえあれば 2泊3日ぐらい 何とでもなります。みんなで一緒に遊びましょう。