After School Days




「……なのよ」
「あらそうなの」
 放課後、一日の勤めから解放された学生たちが息を吹き返したようにお喋りに興じ始める。
 ここ、2-Cもその例外ではなく、授業中のぴんと張りつめた空気とは一転して、穏やかな空気が流れ始めたのだが――
 ガン、という叩きつけるようにしてドアを開ける騒々しい音で、唐突にそれは打ち破られる。
「……なにしてるの、播磨君」
 沢近愛理のじと目の先にいたのは、肩で大きく息をしている播磨拳児だった。ちなみに今日は学校を休んでいた。何をしていたかは推して知るべし。
 いつも無駄に空回りしてるのよね、と思いながらも、なんだって私はこんなヤツが気になるのか、と二つの思考が同時にスタートする彼女。
「てん……いや、ツカモトサンが何処にいるかシリマセンカ」
 一世一代の決意(もう何度目か)を胸に、イントネーションから口調まで何かが間違っている播磨。ただし、その瞳に浮かぶのは本気の色である。サングラスの下だから誰にも見えないけど。
「……天満ならさっき図書」
 何故か少々むっとしている自分に困惑しつつ、それとは態度に見せずに返事をする沢近。
「そうかわかったすまん」
 最後まで聞き終わらないうちに、一息にそう言って駆け出す男・播磨。
 が、すぐに引き返してきて、ぺこり、と頭を下げてからまた走り出す。妙なところで義理堅い男である。
「……」
 その竜巻のような勢いに呆然としていた沢近に、晶が声をかける。
「よかったの?」
「……何がよ」
 憮然とした表情の沢近に、そう、とだけ答える晶。何なのよ、と言いかけた沢近だったが、あら、という晶の声に視線をそちらに向けると。
「天満じゃない」
 どうしたのよ、と尋ねれば、
「返すつもりの本を忘れてきちゃって」
「ほんと、あなたって……」
 あはは、と呑気に笑う天満に毒気を抜かれた恰好になる。
 しかも。
「ああ!」
「今度は何よ」
「……本、家に忘れてきたみたい」
「……あー」
 さすがにもう、声にならない。抜けてる抜けてる、とは思っていたけれど、いつも想像の斜め上を駆けていく、と呆れるやら感心するやらの沢近。
「一度帰ってまた来る?時間的には余裕だけど」
「……うん、そうする」
 しょげた声を出した天満だったが、そのコンマ一秒後には、でもこれっていい運動だよね、などと素晴らしくポジティブな思考で動き出すのが彼女らしさである。
 そんなこんなで、軽い足取りで教室から出て行く天満を見送ってから、それじゃ私たちも帰りましょう、という沢近に、
「いいの?」
 再び問いかける晶。何がよ、と今度は視線だけで抗議する沢近。
「播磨君、図書室で待ちぼうけよ」
「いいのよ、あんなヤツ」
 旅行での一件(海パン――中略――あわてんぼうの播磨君)を知っている二人だけに、それで十分なはずだったのだが。
「彼、ずっと待ち続けるタイプよ」
「いいじゃない、ちゃんと天満も戻ってくるんだし、一時間やそこら……」
「彼女のことよ、どんな予想外の事態にも巻き込まれないとは言えないわ」
 友達のわりにずいぶんな言いようである。
「それは、そうだけど」
 否定はできないようだ。
「もし戻ってこなかったら、明日まで待ってるわよ、彼」
 いくらなんでも、と言おうとして、ふと播磨の様々な奇行が頭をよぎる。
「……そうかもしれない」
 少なくとも、その可能性はゼロではない……どころか高いような気がする。
「そうね」
 それで、いいの?、と畳みかけるようにして訊いてくる晶。そのいつもながらの無表情に、さすがに言い返せない。
「分かったわよ。行けばいいんでしょ、行けば」
「私はそうしろとは言っていないわ」
「アンタね……」
 何か言ってやろうかと思った沢近だったが、結局何をしてもかないそうにないので諦めた。賢明な判断である。
「もう、あの馬鹿……」
 どうして私が、と、やけに縁があるのよね、あいつとは、という二つの思考がまたも競争を始めている。
 どちらが勝つのか、というのはまだまだ定かではないのだけれど。
 そんな彼女の後ろ姿を見送りながら、わずかに晶は微笑む。
「余計なお世話、かしら」
 そう言って窓の外を見る。秋の陽射しはもうずいぶんと傾いているけれど、夕焼けまでにはまだ間がある。
 さて、と心の中で呟いて。
 ベストポジション探してデジカメ片手に歩き出す彼女の姿があった。
 さて。
「まったく……」
 図書室への道すがら、まだぶつぶつと文句を言い続けている沢近である。
そんなに嫌なら行かなければいいだけの話なのだが、
「そういうわけにもいかないでしょう」
 自分に責が無いとも言い切れず、結局堂々巡りの思考を抱えたまま、目的地へと向かう。
 そして。
「……うわ」
 普段なら絶対に出さないような、そんな言葉を思わず口にしてしまったのは、その図書室の前についた直後である。
 感じるのだ。
「居るわね、これは」
 騒音を嫌う図書室、その構造上普通の教室より若干厚めの扉となっているのだが、それを通してさえ伝わってくる圧倒的存在感。どう考えても、まともな人間なら回れ右よね、と思ってしまう。
 しかし、ここまで来て引き返す、というのは沢近愛理のプライドが許しはしない。プライド以外にも理由はあったりするのだが。
「……」
 ともあれ、ドアに手をかけ、そろそろと開ける。
 と。
「……っ!?」
 およそこの世に『念』というものが存在するならば、これこそまさにそうだろう、という視線が沢近を貫いた。言うまでもなく播磨である。
 普通の人だったら気絶するわよ、と思ったものの、あの子だったら大丈夫なのかしら、と天満のことを思い浮かべる。
 脳天気を絵に描いたようで、信じられないくらいにポジティブで、そして。
 そして、播磨の思い人。
 そこまで考えて、またしてもいらついている自分に気がつく。理由の分からない苛立ちに、理不尽よ、とこれまた腹を立てる沢近。
 そんなことにはお構いなしに、やってきたのが心の女神(誰のだ)天満ちゃんではなかったことに心底落胆した播磨は、ふう、と溜息をつきつつ椅子に腰を下ろす。
 その態度にまたイライラがつのり、とフラストレーションのインフレを起こしつつある沢近。思わず叩きつけるようにしてドアを閉めてしまう。幸か不幸か、委員さえ席を外しており(決して誰かさんの無言の圧力に屈したわけではない。断じて)、視界の中には二人きり、抗議の声は上がらない。
 しばしの沈黙。
 その間にも沢近の中では数多の思考が駆けめぐっているわけなのだが、当然と言えば当然のように、播磨はまったく気がつかない。それ以前に、何故彼女がここに来たのかもまったく分からず、疑わしげな視線を投げかけるのみ。
「……」
 視線が交差した瞬間、思わず顔をそらしてしまう沢近。対する播磨はますますわけが分からない、という様子である。
「……何か御用でしょうか」
 いきなり下手である。さすがの彼も彼女に対していろいろとまずいことをした、という自覚はあるらしい。
「天満は来ないわよ」
 なんだかよく分からないペースに巻き込まれたまま、調子の取り戻せていなかった沢近は、結論だけを口にした。
「そうか、ありがとよ……って、何!?」
「っ、ちょっ、そんな大声出さないでよっ……って大丈夫?」
 納得しかけてから思わず立ち上がった播磨だったが、そのまま魂が抜け落ちたように膝から崩れ落ちた。男泣き。
「またか、またなのか……」
「もう……ちょっと、泣かないでよ!別に一生来ないとか言ってるわけじゃないんだから!」
「え……」
 まるでふぬけたように弱々しいその姿を見て、そんなのあんたらしくないでしょうが、と思いながら、どうにかペースを取り戻して事情を説明する。
 で。
「なるほど、そういうことか」
「そういうこと、よ」
 あっさりと復活した播磨に少しばかり眩暈を覚えつつ、説明を終える沢近。
「つまり遅くはなるが待てばてん……じゃない塚本は来るわけだな」
「そうね」
「そうか」
 沈黙。
 それを伝えてくれたことはありがたい、と播磨は思う。思うのだが、ならどうしてその用事が済んだあともこいつはまだここにいるのだろう。
「まあそのなんだ、俺はこのあと塚本と大事な話があってだな」
「ふうん」
「いやそうじゃなくてだな……」
 こういう時、どう説明すればいいのかまったく分からない播磨である。いっそすべて話してしまうか、と思ったものの、この女にだけは話せねえ、と本能が告げている。実際はすでにばれているのだが、そうと知らないのは本人だけだったりする。
「……だから、言ったじゃない。来ないかもしれない、って」
 そして沢近自身も、どうして自分がここから離れられないのかよく分かっていない。むしろ用事も済んだのだからさっさと帰る方が自然なのに、何故か理由までつけてここにいようとしている。
「いや、来るね」
 しかし、播磨は確信を持って答える。
「どうしてよ」
 またしてもかちんと来た沢近も、語調が強まる。
「そりゃ確かに天満ちゃんはちょっと……そう、ちょっと抜けてるところもある」
 天満ちゃん、などと口走っているが、すでに二人とも気づいていない。
「だけどな。あの子は約束を破るような子じゃねぇっ!」
 別に約束などしてはいないのだが。実はまだ立ち直っていなかった播磨である。
「っ……でもあの子はあなたのことなんて全然見てないじゃない」
「ああそうだ。だから……だから振り向かせるんじゃねぇか、自分の手で!」
 先にリミッターの外れていた沢近に引きずられるように、播磨も普段なら絶対に口にしないようなことを口走る。
 その言葉に突き刺されたように感じながら、沢近も言葉を放つ。
「あなたが天満を見てるように、あなたのことを見てる人だっているんだからっ!」
「あぁん?この不良でろくでなしの俺を?どこの誰がだ」
 自分で言ってちょっと悲しい、播磨拳児高校二年生。
「私よっ!」
「……は?」
 そこで播磨の方が我に返る。今、この女は何と言った?
「私はね、播磨君。あなたのことが……」
 ことが、何なのだ。そこまで言ってから、沢近も我に返る。
 私はあなたのことが。
「……」
「……」
 いつの間にか播磨は立ち上がり、沢近は詰め寄っていて、顔が触れあうほどの距離にいた二人。先ほどとはまるで違った風に、視線が交錯する。
「……」
「……」
 やがて、どちらからともなく後ろに下がり、播磨は椅子に倒れ込むように座り、沢近はドアにもたれかかる。
「あのだな」
 どうにかして収拾もつきそうにない事態を納めようとする播磨。
『冗談よ冗談。忘れて。むしろ忘れなさい。忘れないと……分かるわね』
 平時の沢近ならその程度は口にしていたかもしれない。
 けれど今は。
 たった今気がついてしまったこのよく分からない気持ちと、自分自身のプライドと、その両方を天秤にかけて。
「私はね、播磨君――」











「――冗談に決まってるでしょ」
 沢近愛理、プライドが捨てられない女。
「…………………………ふう」
 播磨拳児、ちょっとどきどき。
「ちょっと、何よそのリアクション」
「そうだよな。お前みたいなぼうりょげはっ」
 閃光の右膝再び。
「何か言ったかしら」
「ももも申し訳ありません」
 平伏。下手に出るどころかもはや服従である。
「あのねえ……まあ、いいわ」
「……ハイ?」
「いいって言ってるの。どうせ今のあなたは天満しか見えてないんだし」
 冗談めかしてはいるけれど、悔しそうな口ぶり。
「は?」
「だから、いいって言ってるでしょ」
 いつもの口調に戻って播磨を遮る沢近。
「ちょっとからかってみただけよ」
「お、おう」
 はにかんだようなその表情に、思わずどぎまぎしてしまう播磨。心底免疫の無いヤツである。
「さて、それじゃそろそろ天満も戻ってくるだろうし、帰りましょうか」
「ましょうか、って誰に言ってるんだ?」
「……そこの本棚の裏にいる人よ」
「なにぃぃぃぃぃぃっ!?」
「ばれてたの。残念」
 お約束通り、高野晶である。『視界の』中にいなかっただけで、当然彼女がこんなおいしい場面を逃すはずもない。
「た、たたた、高野、お前まさか」
「完璧ね」
 ずい、と突き出されるデジカメ(動画記録可能)。
「見る?」
「☆◇●△×ッ!?」
 もはや何を言っているか分からない播磨。
「遠慮しとくわ」
 と、こちらはげんなりした顔の沢近。
「まあ、どうせあなたのことだから自分で楽しむだけなんでしょう?」
「さあ、どうかしら」
「……」
 どうせ変に追い払った方が怖いのよね、とますますげんなりした表情。
「はあ……ともかくもう行くわ。じゃ、頑張ってね、播磨君」
「気合よ」
 放心状態に近い播磨にそう声をかけてから部屋を出る二人。廊下に射し込む光は、いつの間にか夕方のそれに変わっている。
「でもよかったの?」
「何がよ」
「あのまま既成事実を」
「……アンタといると、時々恐ろしくなるわ」
 床と壁面には、秋の夕暮れ特有の強烈な光と影のコントラストがある。そのせいで互いの表情はよく見えないけれど、微笑んでいるのだろう、というのはなんとなく分かる。安堵、というやつだ。
 その心地よい疲労感に浸りつつも、やっぱり失敗したかな、と思っていると、前からとてとてと駆けてくる人影が見えた。
「あら、天満」
「あ、愛理ちゃんに晶ちゃん。ちゃんと本見つかったよ」
 えへへ、と笑うその顔を見て、やっぱりこの子にはかなわないのかな、と思う沢近。
「よかったじゃない」
 ま、かなうかなわないの問題じゃないけど、と気を取り直してそう言う。
「うんっ」
「そう言えば結局家にあったの?」
「ううん、それがね、どうしても見つからなくて学校まで戻ってきたら、机の中に入ってたの」
「……は?」
「私ってばおっちょこちょいだね」
 それはいくらなんでも、と言いかけてふと嫌な想像が頭をよぎる沢近。いくら天満でも机の中の本に気がつかない、などということがあるだろうか。これはむしろ最初そこにはなかった、と考える方が自然なのではないだろうか、と。
 となると――
「ねえ晶。ちょっと訊きたいことが」
「夕陽が綺麗ね……」
 コイツが犯人だ――頭を抱える沢近。
「愛理ちゃんどうしたの?」
「何でもない……あなたには関係ないことよ……」
「それじゃ、頑張ってね」
 しれっと微妙なことを言う女、高野晶。
 何を、という顔をしていた天満だったが、素直に『本の返却』を頑張ると判断したらしく、やけに気合いの入った走りで図書室に向かっていった。
「どうなると思う?」
 何事もなかったように尋ねる晶に、問いつめても無駄と答える沢近。
「決まってるじゃない」
 そう、単純明快。
「どうにもならない、よ」
 あの馬鹿がどうこうできるわけないじゃない、と笑う。そうね、と答える晶も微笑む。そして、気づかれないようにして録画データの削除ボタンを押した。なら最初から、という話なのだが、そこら辺はリアリティ、ということらしい。
「あーあ、それにしてもどうしようかな、これから」
「楽しそうね」
「そう?」
「そう」
 それはもう既に他愛のない笑い話。
 校舎から出て、沈む夕日を見ながら。
「いのち短し恋せよ少女」
 ぽん、と沢近の肩を叩いて晶が言う。
「……何よ、それ」
 夕陽に伸びた二人の影が校庭を横切るようにして。
 そんな風にして、とある日の放課後は幕を閉じた。




     ―――"After School Day" closed.
                And "After School Days" open...