Discommunication
――所は場末の小さなバー。
「久しぶりですね、絃子さんの方から誘ってくれるなんて」
「そういう日もあるさ、たまには」
「ふうん……」
「何かな、その反応は」
「いえ、別に。……それで」
「うん?」
「今日はどうしたんですか?」
「……」
「すぐ分かりますよ。昔からそういうところ、変わらないですよね」
「……フン」
「それに、連絡もらったときって大体そうですし」
「そんなことは……」
「あーあ、たまには私もそういうのなしにして、純粋に絃子さんと飲みたいです」
「……分かったよ。その代わり」
「その代わり?」
「朝まで付き合ってもらうからな」
「それはそれは、望むところです」
触れ合う二つのグラス、乾杯、と重なる二つの声。
――小一時間後。
「それで、今日の相談はなんです?」
「さっきもういいと言ったじゃないか」
「でも頼りにされてるの嬉しいですから。……してくれてるんですよね?」
「……まあ、ね」
「ふふ、ありがとうございます。それじゃ……」
「いや、やっぱりやめておくよ」
「あ、今私に話すと面倒だなって思い直しましたね」
「……あのね、何をどうするとそう」
「こういうとき、付き合いが長いと便利ですよね?」
「葉子……」
「一度は相談しようと思ったけれど、やっぱりまずいと思って考え直すこと――」
「私は別に」
「―― 一途ですね」
「っ! 今何か、もの凄い飛躍があった気がしたんだが」
「そうですか? でも絃子さんの悩みごとっていつも……」
「それじゃまるで、私がいつも拳児君のことを考えてるみたいじゃないか」
「はあ……今回は重症みたいですね」
「え?」
「だって、私一言も播磨君のことだなんて口にしてませんよ」
「あ……」
「あ、じゃないですよ……あの、大丈夫ですか?」
「……」
「そんな、これくらいで泣かないで下さいよ。えっと、ほら、今夜は私が奢りますから、ね」
更けていく夜は、まだまだ長い――
――夜明け前。
「ん――」
「よう、やっとお目覚めか」
「……拳児君? ここは……」
「……あのな、てめぇの家くらいしっかり覚えとけってんだよ」
「なるほど、ね。帰ってきたのか……」
「ったく、日も出ねぇうちから叩き起こされたと思ったら、ぐでんぐでんの誰かさんだしよ。
後でちゃんと葉子姉ちゃんに礼言っとけよ」
「そうか、彼女が連れてきてくれたのか。それは……ん?」
「なんだよ」
「――なあ、拳児君」
「だからなんだよ、んな真剣な顔しやがって」
「君、今なんて言った?」
「あん? もっかい言って欲しいのか? 俺はな、朝っぱらから酔っぱらいの面倒なんて……」
「違う、その後だ」
「後? ああ、だからちゃんとよう……っ!?」
「そう、そこだ」
「……あー、いやだからな、そのササクラさんにだな」
「『葉子姉ちゃん』」
「……」
「へえ、君がまだその呼び方をしているというのは知らなかったな」
「くっ、分かったよ悪かったよ! ちっと昔のクセが出ちまっただけじゃねえか!」
「私は呼び捨てなのに彼女は『姉ちゃん』か、それはそれは」
「だから謝ってるじゃねぇか、っつーかお前話聞いてんのか?」
「あーあー、昔は私の言うことも聞いてくれる可愛い子だったのに、今じゃこれだ。悲しいよ、私は」
「…………」
「ん? どうしたのかな?」
「……姉ちゃん」
「何をぼそぼそ言ってるんだ。聞こえないよ」
「……ゴメンナサイ絃子姉ちゃん」
「おや! おやおやおやおや。今のは私の空耳かな。ずいぶんと久しぶりに聞く響きだった気がするが」
「テメェ……」
「ほら、もう一回」
「聞こえてんじゃねぇか!」
「……フン。まあいいさ、これくらいで許してあげよう」
「うるせぇ! さっさともう一回寝ちまえ!」
「そうだな、そうさせてもらうとしようか。今なら良い夢が見られそうだ」
「けっ、言ってろ」
「――お姉ちゃんは嬉しいよ。ありがとう、拳児君」
「なっ……」
「――――」
「……寝やがった。なんなんだよ、ったく……」
「大変ね、播磨君も」
「……聞いてたのかよ、よ……じゃねぇ、笹倉さん」
「あら、私は『葉子姉ちゃん』でもいいんだけど?」
「勘弁してくれ……」
「ふふ、冗談冗談。でも絃子さんのことは『絃子』って呼ぶんだよね」
「それはなんつーか、絃子のヤツが……」
「ほら、また」
「つっ……」
「なんだか羨ましいな、そういうの。私って一人暮らしだし、近くにいないんだよね、そういう人」
「羨ましい? 面倒なだけだぜ、こんなの」
「ホントに? 『面倒なだけ』の関係の人の前でそんな顔して寝る人、いないと思うけど」
「……それは絃子が」
「また絃子さんの所為? でもそれってちゃんと信用されてるってことだよね」
「ぐ……」
「そんな顔しないの。とにかく、大事にしてあげなきゃダメよ」
「そりゃあ、一応世話にもなってるしな」
「世話になってる、か。……それだけ?」
「へ? それ以外に何かあるのか?」
「ううん、いいの。気にしないで」
「……?」
「――これじゃ絃子さんも大変よね」
「ん? 何か言ったか?」
「なんでもないよ。それじゃ私は帰るから、あとよろしくね」
「おう」
――そして。
「ったくよ……」
二人きりの家の中、播磨拳児は一人呟く。
「んな呑気な顔して寝やがって……他人には見せられねぇじゃねぇか」
ちっ、と舌打ち一つ。
「朝飯ぐらい作ってやるから、いろいろチャラにしてもらうぜ」
重い腰をゆっくりと上げかける――と。
「……けんじくん」
聞こえるかどうかの小さな寝言。
服の裾を掴むように伸ばされた腕。
そして、目尻から一筋の涙。
「……わーったよ。ここにいりゃいいんだろ、ここにいりゃ」
心底嫌そうな顔をしながら、それでも座り直す拳児。
そのまま、彼女が目を覚ますまで待ち続ける。
――やがて。
「ん――」
「よう、やっとお目覚めか」
「……ああ。おはよう、拳児君」
「おう。……おはよう、絃子」
そんな風にして、今日も彼らの生活は始まる――