Dawn of a New Day




 窓から射し込んでくる夕陽が部屋の中を染める。赤、と表現されることの多いその光だが、実際晩秋のそれはむしろ金に近い色合いをもっている。直視すれば目もくらむような、ともすれば真夏の陽射しより強烈なその光の中で、晶は一人、活字に目を走らせていた。
 元より活動内容などあってなきに等しいこの部活、部室に誰もいないことさえ珍しいことではない。そもそも彼女を除けば、定期的に顔を出すのさえあとはサラと八雲くらいなものである。それでも曲がりなりにも部活として成立しているのは、やはり顧問の手腕ということになるのだろうか。
 ともあれ、そんな部活である。晶自身も特に目的があってそこにいるわけでもなく、切りのいいところまで、と考えながらさらにページを繰っているところに。
 ――とんとん。
 遠慮がちなノックの音。茶道部の知名度、加えて場所を考えると、決して来客の多い場所ではない。そこにわざわざ訪ねてくるとなると、往々にして友人関係、そしてそうなると一々ノックをするようなこともなし、とわずかに訝しげな表情をつくる晶。
「どうぞ」
 そうは言っても、警戒してどうなるものでもなし、と取り敢えず扉の向こうに声をかける。一拍置いて、その向こうから現れたのは。
「――やあ」
 花井春樹その人だった。持ち前の律儀さから、出入り禁止を申し渡されて以来部室には足を踏み入れなかったその姿――もっとも、入ってこないだけでその近くにいることはよくあったわけだが――に、期せず晶の口から、珍しい、という言葉が洩れる。当の春樹本人もそれが分かっているのか、若干申し訳なさそうな様子で入り口に立ったまま。
「どうぞ、遠慮することはないわ」
「……そうか。ではお邪魔させてもらうよ」
 晶のその一言でようやく部屋に入ってくる、そんなところにも見える生真面目さに、そういうところが、と思う彼女だったが、その行き過ぎたまでの実直さを殺してここを訪れた心中をおもんばかって、皮肉はさしあたって胸の中に留めておく。
「何か飲む? 一通りのものは揃っているけど」
「いや、構わないよ」
 社交辞令のような挨拶、まずそれを交わしてから本題へ入る。
「それで、何の用かしら」
 その問に、一度目を閉じてから大きく息をする春樹。何かを決心したような表情で、下ろした目蓋を上げてから告げる。
「八雲君のことなんだが」
 瞬間、すっ、と細められる晶の瞳。しかし、先を促すようにその口は沈黙を保ったまま。
「こうなってしまうと今更、の話になってしまうんだろうな。僕自身そう思う。だが、言っておかなくてはならないことだ」
 ふっ、と小さく自嘲気味の表情。
「彼女には――そして君にも随分と迷惑をかけたと思っている。謝ってどうなるものでもないのは分かる。それでもこのままにはしておけなくてね」
 すまない、そう言って頭を下げる。対する晶は黙ったままそれを見つめている。そんな静寂がしばらく続き、やがて春樹が顔を上げる。
「それだけだよ」
 その表情は、先程とは違って晴れやかな、思い残すことは何もないような笑顔。
 けれど。
「ねえ、花井君」
「何かな?」
 晶の言葉がそれを穿つ。
「あなたはそれでいいの?」
 春樹の顔から笑顔が消える。そして現れるのは、苦悩に満ちた表情。
「……僕は」
 人の想いというのものは、それほど簡単に変わるものではない。故に納得出来るはずもなく、また彼自身そのことがよく分かっている。続けるべき言葉は無数に心の奥底で渦巻いている――が。
「僕は、それでいいと思っているよ」
 それでも、彼は笑った。どうにもならないことを、どうにもならないこととして受け止めるように。
「そう」
 その答を聞いた晶は、短く返事をしてからおもむろに立ち上がり、部室の外へと向かう。
「高野君、どうしたんだ? 何か僕がまずいことでも……」
 慌ててその後を追う春樹に答えず、廊下に出たところで足を止め、くるりと壁に向き直る。そこにあるのは、いつぞや彼女自身が貼った一枚の紙。
「これはもう、いらないわね」
 呟いて、『花井の立入を禁ず』、そう書かれた張り紙を一息に破り捨てる。
「高野君!?」
「サラに聞かなかったかしら。うちのモットーは出入り自由よ」
 驚く春樹にも、淡々と対応する晶。その後で、それに、ともう一つ付け加える。
「今のあなたなら、八雲のいい先輩になってもらえると思ったんだけど。無理かしら?」
 試すように、わずかに笑みを浮かべた表情で問いながら、片手を差し出す。
「当然だ」
 対する春樹も笑顔で応え、その手を取ってしっかりと握手を交わす。
「それじゃ、この件に関しては休戦ということで」
「ん? 何か言ったかな?」
「コッチの話。それで、要件はもう終わりかしら?」
「ああ。時間を取らせて悪かった」
「いいわ、別に。今度はあの娘たちもいるときにでもいらっしゃい」
「そうさせてもらうよ」
 まだ覚悟が決め切れていないのか、苦笑いにも似た顔でそう言って去っていく春樹。それを見送ってから、これはこれでよかったのかしら、と部室に戻る晶。いつのまにか夕陽は地平線の向こうに消え、宵闇が遠く忍び寄ってきている。
「まあ、頑張りなさい」
 残照に彩られた空の端を眺めつつ、晶はそう呟いた。