Do not forget




「どうしたー、もう終わりかー」
 美琴のそんな声が響く道場、その周りには大の字になって寝転がる子供たちの姿。
「あー、やっぱ勝てねえよー」
「無理だー」
 そんな声が方々から上がる。そりゃさすがにお前らに負けたらシャレにならないって、と笑う美琴。
「……で、どうすんだ?まだやる?」
 その言葉にゆっくりと起き上がって隅の方に集まって相談を始める子供たち。
「……?」
 きょとんとしてそれを見ている美琴。やがて相談事が終わったのか代表して一人が向かって来る。
「えーと、協議の結果だな」
「うん」
「やっぱ無理だから今日はどっか遊びに行こうぜ、先生」
「……は?」
 唖然とする美琴に、たまには休まないと、などと即席の理由を並べ立てる。
「いや、さっき昼飯食ったばっかりだろお前ら」
 それに花井がそんなこと許可するわけないだろ、と肩をすくめてから、なあ、とその花井に声をかける。
「……ん?」
 聞いていなかったのか首をかしげる花井に、説明する美琴。
「――ってわけなんだけどさ」
 無理に決まってるよな、と言葉を続けるその前に。
「確かにたまにはいいかもしれないな」
「……は?」
 もう一度、ただし先ほど以上に唖然とする美琴。
「お前、今なんて……」
「だから時には息抜きも必要、という話だろう?」
 何でもない、というようにあっさり返答する花井に、めずらしく話がわかるなー、とまったくフォローになっていないフォローを入れる子供たち。
「ただし、だ。今日一日はきっちりやるべきことをやってからだ。そうしたら明日は皆でどこかに行くことにしよう」
 いいな、と言い聞かせてから、周防もそれで構わないか、と伺いを立てる花井。
「あー、私は別に構わないけどさ」
 理由は分からない、ただどこかその様子がいつもと違う気がして、珍しい、というその最後の言葉は飲み込んでおく美琴。
「じゃあもっかいやろうぜ先生!」
 そんな様子に気がついているのかいないのか、俄然活気づく子供たち。
「お前らなあ……んじゃ手加減なしでいこうか?」
 そう軽く笑いながら構えてみせる美琴。一人目の相手がかかってくるその前に、横目に見た花井の姿――それはやはりいつもとどこか違っていた。





 翌日。
 突発的な話だったために少々もめたものの、目的地に選ばれたのは近場のテーマパークだった。いくつか軽めのアトラクションを流した後に、それじゃそろそろ気合い入れて行くぞ、と何やら盛り上がり始める子供たち。その向かった先は――
「ティーカップ?」
 気合などというものだから、てっきり絶叫系にでも行くのかと思っていたため、怪訝そうな顔をする美琴。
「へっ、甘いな先生」
「すごいんだぜ、これ」
 そんな美琴に得意気な様子の子供たち。どういうことか、と思っていた美琴だったが、アトラクションがスタートしてようやくその理由を悟る。放っておいても全体を乗せている円盤、そしてカップ自身と二重の回転が行われることになるのだが、カップの中央についている丸いテーブル。これを回すことにより、乗っているカップの回転を増すことが出来るのである。
 ――つまり。
「こういうこと、ね」
 視界の隅で不穏な――そうとでも表現する他ない――勢いで猛回転を続ける一つのカップ。乗っているのは……言うまでもない。
「まだまだ行けるぞー」
「くっ、お前ら少しはだなっ!」
 そんな声が時折聞こえるような気もするのだが、全力で気のせいということにしておく美琴。その方がいろいろと幸せだ、と思う。何せ、端から見ればむやみやたらと回転数の高いカップが一つだけある、というのはなかなか恥ずかしいものがある。
「先生、負けてる負けてる」
「無茶言うなって、これくらいで我慢しな」
 呆れつつも適度にピッチは上げる美琴。やがて運転が終了し、ぞろぞろと降りてくる一同……と、一人足下がややふらついている花井。
「……大丈夫か?」
「ん、まあこれしき……」
 大丈夫、と答えようとした花井の手を取って、んじゃ二回目行くぞー、と搭乗口に駆け出す子供たち。
「何!? いや待てお前たち、おい!」
 不意をつかれたせいなのかどうなのか、抗議虚しく引きずられていく花井。先生はー、という声も聞こえるが、私はいいや、と苦笑いしつつ手を振ってみせる美琴。嫌いだとは言わないが、さすがにあれに付き合わされるのは、といったところである。
「がんばれよー」
 一応そんな声をかけてみたところで、再びスタートするアトラクションと急ピッチで回り始める一つのカップ。
「……がんばれよ、いやほんとにさ」





「がんばるね……」
 思わず美琴がそう呟いてしまうのも無理はなく、既に搭乗回数は五回を数えている。まだまだやる気満々の子供たちに、もはやどうにでもなれといった様子の花井。止めるべきかと考えているうちに、またしてもカップは回り始める。
「よくやる……ん?」
 そこで、自分の方に向かって戻ってくる一人の男の子の姿を捉える美琴。その足取りはどこかしょんぼりとしたもの、どうやらあの勢いに 身体の方がついていけなくなった、というところだが、当人としてはそれが納得出来ていない、という様子。
「どうした?」
 それを見て取り、何気ないようにして声をかける美琴。対する少年はしばらく黙っていたが、やがてぽつりと呟く。
「……僕も強くなれるかな」
 不安げな、けれど真摯なその表情。
 たかがアトラクション、されどアトラクション。
 些細なことと言ってしまえばそれまでではあるものの、だからこそそれを『負け』ととらえてしまうのだろう、と考える美琴。
 ちゃんと男の子してるじゃん――揶揄ではなくそう感心して、言うべき言葉を探して。
「そうだね――」
 あんまり関係ないかもしれないんだけど、そう前置きをしてから話し始める。
「花井のやつもさ、昔は私より弱かったんだ」
「そうなの?でも今だって……」
「あー、そりゃあいつが本気で私に向かってこないからそう見えるだけ」
 なんだかんだ言っても、やっぱ女だと思われてんだ、と小さく苦笑。
「ちょっと悔しいけどさ……っと、それはまあいいや。で、だ。そんなあいつだっていつの間にか大きくなって、今は私の前を歩いてる」
「……」
「昔は……そうだね、弟みたいに思ってたこともちょっとあったかな。今じゃそんなこと言えないけど」
 だからさ、とそこでその瞳を正面から覗き込む。
「なりたいと思ってりゃ何にだってなれるさ。ただしその気持ち、絶対に忘れないこと」
 いい、とそう言ってから、再び視線を正面へと戻す。そこにはふらふらになりながらも、どうだ、と胸を張っている花井の姿。
「ま、ああいうとこは見習わなくてもいいと思うけど、さ」
 微笑みながら冗談めかしてそう締めくくった美琴に、うん、と大きく頷いてから花井の方に駆けていく。どうやら自分も、と頼んでいるらしい。そして若干引きつった笑みを浮かべつつそれに応えて再び搭乗口へと向かう花井。
「まだまだこの先控えてるのに無理しちゃって」
 男の子だね――そんなことを呟きながらも、一応応援でもしてやるか、と一つ伸びをしてから美琴もそちらへと向かった。





「じゃーなー」
「楽しかったぜー」
「お前たち、明日は覚えていろよ……」
 結局その後、所謂絶叫系のアトラクションも散々引き回され、散会となったのは日も落ちた頃。子供たちは十分満足したらしく、疲れ切った花井の恨み言も耳には届いていない様子で、それぞれの家路を駆けていく。
「お疲れさん」
「……まったくだ」
 ぐったりした様子でそう言いながらも、どこか吹っ切れたように小さく笑う。そんな花井に、それじゃ悪いんだけど、と美琴。
「ちょっと付き合って欲しいんだけど」
「……何?」
 寄り道寄り道、と楽しげに言いながら返事も聞かずに歩き出す。
「待て周防、一体何を……」
「だから、ちょっと寄り道だよ」
 いいだろ少しくらいさ、と笑う美琴に仕方がない、と半ば引きずられるようにしてついていく花井。
 そして連れてこられたのは。
「……道場?」
 まだ訳が分からず、何を、という顔をしている花井だったが、いいからあっちで待ってな、という美琴の言葉に従って縁側に向かい腰を下ろす。視界に入るのは空、そして真円にも見える月の姿。
「――ほう」
 思わずそんな溜息をもらしたところに、どうだ、とその背後から美琴の声。
「こっからだとちょうど綺麗に見えるんだよ。十五夜にゃちょっと早いんだけどね」
 言いながら花井の隣に腰掛けるその手には。
「……お前、僕が弱いの知ってるだろう?」
 一升瓶と二つの猪口。親父んとこからくすねといたんだ、と笑う美琴。
「ま、たまにはいいだろ、たまにはさ」
 半眼になる花井をそう軽くあしらい、ほらよ、と猪口になみなみと酒を注ぎ、その目の前に差し出す。
「まったく……」
 断ったところで断り切れるものではない、と不承不承ながらもそれを受け取る花井の様子に、そうそう、と頷きながら自分もなみなみと 注いだそれに口をつける。
「美味いだろ?」
「まあな」
 まったく飲めないわけでもない花井、ちびちびとやりながら、楽しげにそう訊いてくる美琴に短く答える。その返事に満足したのか、ん、とこちらも軽く答える美琴。
 そしてそれきり、会話は途絶える。
 場にあるのは、鈴を転がしたような虫の鳴き声、涼しげな秋の夜風、どこか遠くから聞こえてくる車の音――そんなものだけ。
 決して気まずい沈黙ではなく、穏やかな空気が辺りを支配する。
 どれくらいそうしていたか、やがて口を開く花井。
「周防」
「……ん」
 何も訊かないのか――出掛かったその言葉。それをちらと盗み見た美琴の横顔に心の奥に押し戻す。
 そこにあったのは、じっと静かに月を見つめる優しげな表情。
 だから、少し考えてからあまり言う機会のない、そして言いたかった一言を口にする。
「――いつも、世話かけるな」
 返事は一言。
「ばーか」





 ――数十分後。
 未だちびちびと猪口を傾け続ける美琴、そして。
「ったく、これくらいで……」
 その隣にはあっさりと酔いつぶれ一人船を漕ぐ花井の姿。予想通りと言えば予想通り、けれどもあまり面白くないのもまた確か。
「ま、しょうがないか」
 苦笑いを浮かべつつ、くいとその一杯を空にして、起きろ、とその身体を軽く揺する――が、すやすやと寝息を立てる花井に起きる気配は微塵も感じられない。
「おい、いい加減……っと!」
 今度は強く揺さぶり過ぎたのか、崩れるようにして美琴の方にもたれかかってくる花井の身体。
 そして。
「……っ」
 流れのままに横に倒れ、その頭は膝の上――所謂膝枕、というやつである。思わずひっぱたくなり押しのけるなりしようとしたものの、 未だ寝転けているその様子に、あまり無下に扱うことも出来ない。さてどうしたものか、と嘆息気味にその寝顔を見つめていた美琴だったが、ふと思いついて。
「……」
 眼鏡をひょいと外してみる。そこにあったのは、昔道場で自分に引き回されていた、そんなあの頃と変わらないあどけない表情。
「あー……」
 なんとはなしに見上げた夜空には、切り抜いたように白い月一つ。
「――嘘、ついちまったかな」
 次に微笑みとともに口をついたのはそんな言葉。
 人は変わりたいと願い、変わろうとし続ければ変わっていくことが出来る。それは何より確かなこと。
 けれど。
「変わらないものもある、か」
 そしてそれはきっと悪いことではないのだろう、と。そんなことを思いながら、もう少しだけ、と手にした猪口を再び満たす。
「ほんとさ――」
 小さな呟きが、緩やかな秋風に紛れて消える。
「――変わってないよ、全然」