『天満ちゃんがここに来る』
――もちろん、八雲も美琴も晶も、おまけに大の苦手にしている愛理だって来る……のだが。
どうにもそんなことは関係ないらしい。
『天満ちゃんがここに来る』
――目下のところ、播磨拳児の頭を支配しているのはそれだけで。
彼らしい、といえば確かに彼らしい話である。
Fair is Foul, and Foul is Fair
――そうこうしているうちにも十二月一日は訪れて。
「いいいいいい絃子っ!?」
「なんだ騒々しい」
奇声としか表現しようのないその大声に、居間でチャンネルをまわしながらテレビを眺めていた絃子が振り返る。視線の先には、必死の形相をした拳児の姿。
「なんでもう昼なんだよ!?」
「……そりゃ君が今まで寝てたからだと思うんだが」
端的かつ的確な説明に言葉に詰まる拳児。ぐうの音も出ない、という言葉通りの様子。
――さて、ここで彼が何故こんな事態に陥ったのか少し振り返ってみることにする。
『今日は寝ねぇ!』
とはいっても、そんな彼の宣言がものの見事に墓穴を掘ることになっただけなのだが。
もし寝坊でもしたらシャレにならねぇ、という理由によるらしいが、そもそも一日は土曜日で学校は休み、午前中からパーティーが始まるわけもなく、いくら寝過ごしたとしても問題はなかった。
――が。
変なところで気合を入れすぎて、結果信じられないほどに空回りをするのが彼、播磨拳児である。結果ものの見事に、とまあそんな話。
余談ではあるが、馬鹿につける薬はない、と昨日は放置していた絃子。一応本当にまずい状況になる前には起こすつもりでいた、ということを付け加えておく。……本人は絶対にそれを口にはしないが。
さておき。
「ほら、さっさと出かけろよ」
「それが人にものを頼む態度か? まったく……」
なんやかやとしているうちに時間は経過し、約束の時刻を考えればそろそろ来客があってもおかしくはない頃合い。同居を知っている八雲はともかく、他の面々に絃子の存在を知られるわけにはいかない拳児、先刻から彼女の追い出しにかかりっきりになっている。
もちろん、絃子の方もぶつくさ言いながらではあるが、ことをややこしくするつもりはなく、単にからかうために焦らしているだけ、というのが真相。当然そこまで気の回らない誰かさんは気が気ではないようだが。
「だいたいさ、ここは下がオートロックなんだから誰か来れば分かるだろう?」
「それからじゃ遅ぇじゃねぇか!」
――と、そんなことを叫んだときに。
「おや、噂をすれば、かな」
インターフォンが電子音を奏でる。てめぇは黙ってろよ、と絃子に噛みついてから、飛びつくようにして受話器を取り上げた拳児の耳に入ってきたのは、播磨君来たよー、という天満の声。
「お、おう! 今開けるぜ」
震える指で解錠ボタンを押し、受話器を元に戻す。それだけで重労働でもしたかのように、ぜえぜえと肩で大きく息をしている。
「それじゃ私も出かけようかな」
「『それじゃ』じゃねぇっ! 今行けすぐ行けさっさと行け!」
がなりたてる拳児に、やれやれ、と溜息をつきつつ、一応の気遣いで目深に帽子を被り、コートの襟を立ててみせる絃子。ほらこれで、と言いかけた言葉は、先と同様の台詞に掻き消され。
「いいか、変なときに帰ってきたら承知しねぇからな」
最後はそんな脅し文句とともに閉め出される絃子。変なときねえ、と胸の内で呟くも、肩をすくめてから階下への階段に足を踏み出す。エレベーターですれ違うのも面白いかな、などと思っていたのは彼女だけの秘密である。
「――さて、どうしたものかな」
やがて地上にたどり着いた彼女の口からもれたのは、そんな呟き。その手のひらには、いつかの病院でも使用した小型の通信機。ただし、今回は受信機能のみの仕様になっている。
さすがに悪いか、という良心と、少しくらいは、という悪戯心。しばらく二つを天秤にかけていた絃子だったが、やがて、悪いね拳児君、とささやくように言ってから、そのスイッチをオンにする。
――が。
「……うん?」
その耳に入ってきたのは、ノイズ混じりの遠い話し声。想定からはあまりにかけ離れた受信状態に、眉をひそめて表に出る。心当たりがないわけではないその原因、それを探して辺りを見回せば――果たして、閑静な住宅街にはまったく相応しくないような高級乗用車が目に入る。当然それだけで犯人扱いは出来ないのであるが。
「よりにもよって……」
運転席に見覚えある相手の姿を見てしまえば、断定もやむをえない。
――何故なら。
「……なんなんだ、アンタ一体」
「おや、これはこれは」
コンコンと指でノックされたウィンドウを下げてそう答えたのは、先日彼女が学校で見た『変態』――中村だった。
◆
『ふうん、意外に片づいてるわね』
『それぐらいはな』
『へえ……』
『な、なんだよその目は』
『別に』
『でもよ、さっき気になったんだけど、なんでどこにも表札――でいいのか、こういうとこも――なかったんだ?』
『あ、それ私も気になった』
『あーいや、それはだな……』
どうぞお乗り下さい、という執事――一応その説明で納得はした――の言葉に、若干迷ってから助手席に乗り込んだ絃子。彼女の想像通り、備え付けられたオーディオからはそんな会話が流れていた。
「同じことを考える相手がいるとはね……」
「かの青年には、お嬢様が並々ならぬ関心を寄せておりまして」
しれっとそう言い放つ中村。引っ掛かりを覚える絃子だったが、結局自分も似たようなことをした、と何も口にはせず、深々と溜息。私も心配性が過ぎるのかな、と心の内で呟く。
『――――』
『――――』
『――――』
『――――』
そんな間にも、スピーカーから流れる会話は進行していく。くだらないといえばくだらない、そして他愛のない、けれど間違いなく楽しげな気配に満ちた、そんなおしゃべり。
今、この車内に流れているのとは明らかに違う空気が、そこには流れている。
「――アンタは信じないかもしれないけどね」
やがて、瞼を下ろして微笑みを浮かべながら、絃子は呟く。
「私にもあったんだ、あんなころが」
「ほう――」
それに対して中村は。
「――それは奇遇ですな。実は私にも」
そう言って手を伸ばし、かちり、とオーディオのツマミを切り替える。スピーカーからは楽しげな話し声が消え、少しばかり気の早いクリスマスソングが流れ出す。来ない相手をたった一人待ち続けるクリスマス・イブ。あまり歓迎したくはないそんな歌詞が、けれど寂しさなど感じさせないメロディラインで綴られていく。
しばらくの間、なんとはなしにそれに聴き入っていた二人だったが、曲が途切れてDJのトークが始まると同時、さて、と中村が口を開く。
「よろしければドライブなどいかがでしょうか。そう、数時間ほどでちょうどいい頃合いだと思いますが」
「……数時間二人きり、というのはぞっとしないね。まあいい、行きたい場所と用事も二、三出来たところだ。せっかくだからエスコートでもしてもらおうか」
かしこまりました、そんな返事とともにゆっくりと、それでも確かに車体は路上へとすべり出し、滑らかな走りで街中へと消えていった。
◆
――一方、そんなやりとりが外で繰り広げられていたとは知る由もない一同だったが、見込み発車もいいところの拳児の誕生日パーティーは、どうにかつつがなく終わりを迎えていた。
「今日は楽しかったよ。ね、八雲」
「うん、そうだね……。ありがとうございました、播磨さん」
にこにこと笑う姉に穏やかに微笑む妹。そんな二人に、これくらいどうってことねぇよ、と言ってみせる拳児。その内心が天満の笑顔で大変なことになっていたのは言うまでもない。
「急だったから何も準備出来なくて悪かったな」
「来年は奮発するよ」
先程までの空気が残っているのか、美琴に加え、晶もそんなことを口にしていたりする。もっとも、彼女の場合それが本心とは限らないわけだが。
――で。
「さ、それじゃさっさと帰るわよ」
案の定愛理だけがどことなくご機嫌斜め。結局、終始そんな様子をみせていた彼女だったのだが――
「それじゃ、私は八雲と帰るからね」
「うん」
「私は晶と」
「播磨君、愛理よろしく」
「……は?」
「なっ、なに言ってるのよあなたたち!」
不意を打たれた二人をよそに、とんとんと話は進んでいって。
「暗くなるのも早いしな」
「女の子の一人歩きは危険だね」
「よろしくね、播磨君」
「おう、任せとけ塚本」
「ちょっ、待ちなさいよ!」
天満の言葉にあっさり頷いてしまう拳児、気がついたときにはもう遅く、既に歩き出している四人。
「ちゃーんと仲直りするんだよー!」
遠く、天満のそんな言葉を残してそれぞれの姿は曲がり角に消え、二人だけが取り残される。
「どうすんのよ……」
心底嫌そうな顔をする愛理。
けれど。
「――行くぞ」
ややげんなりした表情ながらも、先に歩き出す拳児。
「ちょっと、ほんとに……?」
「天……塚本と約束しちまったからな。それにこれでなんかあったら寝覚めがわりぃ」
「……じゃあ好きにしなさいよ」
そっぽを向いてそう言って、愛理もゆっくりとその足を踏み出す。
「……」
「……」
既に冬を迎えているこの時分、先程まで暮れなずむ様相をみせていた街はもうとっぷりと闇に沈んでいる。そんな中を、街灯に照らされながら無言で歩く二人。当然といえば当然のその状況、それを先に打破したのは愛理の方だった。
「なんだか、前にもこんなことがあった気がするわ」
アンタは覚えてないんでしょうけど、と。他に誰も聞いていないせいなのか、どこか寂しげな色を帯びた彼女にしては珍しい口調。
「――あんときゃ、雨が降ってたからな。それだけだ」
そこに返ってくる、思いもかけない返事。期せずして、え、と声がもれる。ちらりと見上げるようにして拳児の方を見るが、その顔は正面を見据えたまま、彼女の方を見てはいない。
「……そう」
安堵とも非難ともつかない、そんな愛理の呟きを最後に、再び黙ったまま歩き続ける二人。そして、結局そのまま彼女の邸宅へと至る。
「じゃあな」
一言そう告げると、そそくさと背を向ける拳児。
そこに。
「――」
「あん? なんか言ったか?」
小さなささやきが聞こえたような気がして振り返るが、そこにあったのは、別に、という彼女の言葉。じゃあね、という別れの挨拶を最後に、今度こそ家路につく。
「……ま、気のせいだよな」
アイツがんなこと言うわきゃねえし、とぼやいて空を見上げる。
「――ありがとう、ねぇ」
◆
――そして、帰ってきた彼を待っていたのは。
「やあ、『久しぶり』だね」
にやにやと笑って玄関口に立つ絃子の姿。
しかも。
「……なあ、そりゃなんかの冗談だよな?」
「ほう、君にはそう見えるか。なら」
もう少し派手なヤツでも用意しておくべきだったか、そんなことを言いながら、手にしたモデルガンを構える。
「ちょい待て、落ち着けって! 今日は俺が悪かったっつーか謝るから! な!?」
「フン、もう遅い――」
思わず背を向けようとした拳児、その目の前で撃鉄が落ちて――
「――馬鹿者め」
――ぽすん、という気の抜けた音とともに、ミニサイズの万国旗が宙を舞う。
「……へ?」
「高野君――ん? ああ、うちの部長なんだよ――面白いもの知ってるなあ……」
呆気にとられた様子の拳児には目もくれず、しげしげとその銃を眺める絃子。
「ちょっとしたサプライズだよ、むしろこれくらいで勘弁してやるんだからありがたいと思うんだな」
そう笑ってみせてから、さっさと入れ、準備はもう出来てるんだ、と手招きをする。
「準備……?」
「来れば分かるよ。――さて、ようやく主賓の到着だ」
先に居間に入った絃子がドアを大きく開け放った、そこには――
「遅ぇよ、兄貴」
仕方ない、という顔をした修治の姿と。
「……絃子」
ケーキと料理がテーブル一面に並ぶ、誕生日パーティーの光景があった。
「別に君のためだけじゃないさ。まあ、修治君の方は昨日済んでるんだけどね、君の様子を私の口以外からも知りたがってるご両親の意向と合致してね」
よっぽど私に信用がないんじゃなきゃ、君はちゃんと大事にされてるってことだよ、苦笑。
「……たまには帰ってこいよな」
ぽりぽりと頬をかきながら、わずかに照れくさそうにする修治に、お、おう、と頷くしか出来ない拳児。
「その辺はあとでゆっくり話でもするといい……っと、来た来た」
インターフォンの呼び出し音に立ち上がる絃子、何やら親しげな様子で会話を交わしている。
「まだ誰か来んのか?」
「絃子姉ちゃんは特別ゲスト、とか言ってたぜ」
特別、という言葉にどこか嫌な予感を抱く拳児。そして、やがて玄関に姿を現したのは。
「こーんばーんは」
「いいタイミングだったよ、葉子」
「……げ」
矢神高校美術教師にして絃子の古い友人、笹倉葉子だった。ちなみに、『絃子の古い友人』であるということは、同時に拳児の忘れたい過去をもいろいろと知っている、ということで。
「あ、ひどいな拳児君。そんな顔しなくてもいいんじゃないかな」
「……別にんなことねぇよ、ササクラさん」
「今日は学校じゃないんだから、昔みたいに『葉子姉ちゃん』でもいいよ?」
「なっ!?」
「ふふ、相変わらずだね。あ、そうそう、ちゃんとお土産持ってきたよ」
「んなわざわざ……っつーかそれほとんど酒じゃねぇか!」
「私は絃子さんにそう頼まれたんだけど?」
「絃子……」
「いやいや、親愛なる我らが播磨拳児君のためだよ?」
「じゃんじゃん飲もうね」
「酔ってるな? もう酔ってんだろ!」
「あ、修治君にはちゃんとジュースもあるから」
「聞いてねぇっ!?」
「――?」
「――!!」
◆
――とまあ、始めから終わりまでいろいろとあったものの、結果として。
客観的に見れば、『最良』、そう称して申し分ない、そんな誕生日を播磨拳児は過ごしたのだった。