Graduation
――卒業式。
「塚本……いや、天満ちゃん。俺は――」
「播磨、君」
「――君のことが好きだ」
「っ……」
「……」
「……播磨君、あの、私」
「……そうか」
「え?」
「そうだよな……いや、悪ぃ、忘れてくれ」
「そうじゃなくて……あ、待って播磨君!」
それは別れの季節であり、そして――
◆
「――で、部屋に閉じこもって丸一日、というわけか」
片膝を立て、部屋のドアにもたれかかるようにして廊下に座っている絃子が、やれやれ、と溜息をつく。
「まあ、理由が聞けただけでも一晩付き合った甲斐があったのかな?」
「……」
部屋の中から返事はない。まったく、ともう一つ溜息。
「拳児君、完全にとはいかないが――なにせ必要以上に思い詰めるタイプだからね、君は――気持ちはわかるよ。だがね、いつまでもそうやっているわけにもいかないだろう?」
相変わらず反応のない室内に向けて、目蓋を下ろしたままさらに言葉を重ねる絃子。
「それにね、君のことだから二食や三食抜いたところで平気かもしれないが、このままでは遠からず健康の方にも影響が出る――なあ、拳児君。私は心配してるんだよ、君のことを」
「……うるせぇ」
ぼそりと呟くような、けれど確かに播磨の発した声。その声にようやくわずかに表情を崩す絃子。
「うるせぇ、か。ようやく聞けた君の台詞がそれとは、いささか残念だが……まあ、よしとしようか」
さて、と言いながら、いつになく慎重に考えをまとめる絃子。この先口にすることは今までわざわざそうすることはなかったことで、また、したとしても冗談の中に織り交ぜることしかしてこなかったこと。
「――さて、拳児君。君と暮らすようになってもうそれなりになるね。誰よりも、などとは間違っても言えないが、これでも君のことはきちんと見てきたつもりだ。『保護者』だし、ね」
頭の中で蘇る、播磨にまつわる幾つかのエピソード。それは大抵の場合ロクでもないことで、馬鹿げたことばかりだったが、楽しかった、と絃子は思う。
「君は……そうだね、どうしようもなく馬鹿なヤツだったかもしれないがね、『いいヤツ』だと思っているよ」
「……絃子」
その播磨の声が聞こえなかったかのように、そう、決して嫌なヤツじゃなかった、と呟く絃子。その表情は、今まで彼の前では一度たりとも見せたことがなかったような優しいもので。
「拳児君。私はね、君のことが嫌いじゃなかったよ」
まあ、だからこそウチにおいてあげてるんだけどね、と小さく笑う。
「絃子、お前何言って……」
「やれやれ、君のそういうところが……まあいい。折角の機会だしきちんと言っておこうか」
あまり女性にこういうことを何度も言わすものではないよ、と彼女にしては珍しく、若干ためらいがちに言葉を紡ぐ。
「拳児君。私は君のことが――」
かちゃり、と鍵を開ける音。
「――おや、出てきたね。ずいぶんと久しぶりだ」
いつもの皮肉めいた口調とともに絃子が振り向いた先には、部屋のドアを開けた播磨の姿。
「絃子」
「何かな?君がそこから出てきてくれたなら私の話は終わりだよ、綺麗さっぱり忘れてもらって構わない。もっとも――」
覚えてくれていても一向に構わないよ、と悪戯っぽく笑う。
「けっ、お断りだ」
少し恥ずかしそうに目線をそらす播磨に、やれやれ、と何度目かの溜息をつく。
「まあそれはともかく、だ。早速で悪いんだけどね、君にお客さんが来ているんだよ」
「は?客?」
怪訝そうなその様子に、ああ、大事なお客様だよ、と絃子。
「気がつかなかったかもしれないけどね、本当は昨日君が帰ってきてすぐに来てくれたんだよ。状況が状況だったから、また明日来てもらうよう頼んだんだが……まあ、少々待たせてしまったけれどこれくらいなら許容範囲かな」
「……で、誰なんだよ」
どこか面白そうな絃子の様子に、不信感を抱きつつ尋ねる播磨。
「すぐにわかるよ。さあ、お待ちかねだ」
そう言って、リビングのドアを開ける絃子。
そこにいたのは――
「なっ!?て、て、てててて」
「あ、播磨君」
お邪魔してます、とぺこりと頭を下げたのは、塚本天満その人だった。予想だにしなかった事態に狼狽えている播磨に、おいおいしっかりしてくれよ、と絃子。
「な、なななななんで」
「……悪いね、塚本君。ちょっと時間をもらうよ」
溜息混じりに言って、壊れたおもちゃのようにがたがたしている播磨を引きずり、再び廊下に戻る絃子。
「どうなってんだよ絃子!」
「どうもこうもないだろう。見たままだよ」
「だから!」
「つくづく物分かりが悪いね、君は。なんでも彼女の返事をロクに聞きもせずに逃げ帰ってきたらしいじゃないか。まったく、そういうところが……」
「……おい。まさか、ってことは」
「さあ、どうかな。その先はきちんと自分で聞きたまえ。それじゃ、私はちょっと出てくるよ」
「なっ!おい、ちょっと待てよ!」
「……あのな、馬鹿か君は。私が一緒にいて話が出来るわけないだろう」
「いや、そうなんだけどよ……」
そんな所在なさげな播磨に、絃子は。
「拳児君。君は仮にも私が見込んだ男だよ、しっかりしたまえ」
そう言って、ではがんばるといい、とその返事は聞かずに表へ出る。
「まったく、世話の焼ける……」
寂しさと嬉しさの入り交じったような表情で苦笑しつつ、携帯を手に取り、馴染みの番号へ電話をかける。
『はい、笹倉です』
「ああ、私だ。急な話で悪いんだけど、今から出てこられるかな」
無理にとは言わないが、という絃子の言葉に、笹倉は電話口の向こうで少し考えてから答える。
『構いませんよ。ただし』
「ただし?」
『貸し一つ、です』
「……わかったよ。まったく、相変わらずなんでもお見通しかな?」
『さあどうでしょう。それじゃ駅前で』
「ああ、それじゃ」
電話を切ってから、その喰えない――けれど大切な友人に、ありがとう、と一言。
「……」
そして、一度だけ自分の出てきたその部屋を振り返り――
「……やれやれ」
もう一度だけ、嬉しそうにそう呟いた。
◆
「あのね、播磨君」
「お、おう」
「昨日は急だったから何も言えなかったんだけど。私は――」
――卒業式。
それは別れの季節であり、そして――出逢いの季節。