Guardian angel




「今帰ったぜ」
「ん、おかえり。今日は遅かったな」
 どうということもない、普段通りのやりとり。ちっと学校でな、などと居間にいる絃子に一声かけてから部屋に戻ろうとした拳児だったが。
「――ちょっと待て絃子」
「うん? 何かな、今少々忙しいんだが」
 その足がぴたりと止まる。理由は視線の先、絃子が忙しく目を走らせている――
「何でお前がそれ読んでやがるんだ」
「いや、君の部屋に行ったら机の上に置いてあってね」
 そう言って彼女がひらひらと示して見せたのは、紛うことなき拳児の原稿。
「他人の部屋に勝手に入ってんじゃねぇっ!」
「……あのね拳児君、悪いけどここは私の家だよ。大体、最近ロクに掃除もしないで閉めきっているから、衛生管理の一つもしてあげようと思ったんだがね」
「そりゃ悪かったけどよ……でもそれとこれとは別だろ」
「読まれて困るものを描いてるのか、君は……っと、まあ確かに困るだろうね、これは」
 まったく、と溜息をついてから、拳児にそこに座るように促す絃子。
「最後まで読んでからと思っていたが、丁度いいから今話しておこうか」
「んだよ、絃子にゃ関係」
「ああないよ、そんなもの。だから言わせてもらうんだ」
 有無を言わせぬ強い口調に鋭い眼光。いつもの悪ふざけとは違う、その本気の態度に拳児も渋々と腰を下ろす。
「……で、なんだよ」
「このヒロインの少女だが……モデルは塚本君だな?」
 最初から核心を突いてくる問に、答えられない拳児。
「沈黙は肯定と見なすよ。さて、そしてこっちは君だ。間違いないね?」
「……悪ぃかよ。俺が何しようと勝手だろ?」
 ふてくされたようなその返事を聞いて、ハ、と小馬鹿にしたように笑い飛ばす絃子。
「悪いか? そんなの悪いに決まっているだろう! ……拳児君、君はどうしてマンガを描いている?」
「そりゃこいつをやりとげりゃ俺は……」
「変われる、とでも? 本気でそう考えているならおめでたいとしか言いようがないな」
「なっ!? 絃子、テメェ言っていいことと悪いことってのがあるだろうが!」
 そこまで言われてはさすがの拳児も激高するが、それでも一歩も引かない絃子。
「だから言ってるんだよ。いいか拳児君、どれだけ君がこのマンガに情熱を注いだところでね、これは塚本君じゃないんだ。それぐらい分からない君じゃないと思うが?」
「っ……それは」
「『それは』何だ。文句があるなら言ってみるといい。どうだ、早くしろ!」
 答えられない拳児に絃子はさらにたたみかける。
「こっちの男もそうだ、君がこんなに恰好いい男か? ほら、何か言ってみろ。私の言ったことを否定してみせてくれよ」
「……俺は」
「なあ、確かに君は抜けてるところは山ほどあるし、空回りすることなんてしょっちゅうだよ。それでもね、そのひたむきさだけは、いつも十分褒められるものだと思うんだ。でもこれじゃただの現実逃避だ」
 そこで一息ついてトーンダウンする絃子。
「いろんな噂が流れているのは知っているよ。まあ、君のことだからどれも何かの勘違いだとは思うよ。しかしね、そんな噂が流れる、ということは、君は塚本君に対して何のアプローチもしていない、ということだ」
 違うかな、という言葉に力なく頷く拳児。
「だったらこんなことをしている場合じゃないだろう? 彼女がいるのはマンガの中じゃない、現実の、君のクラスの、君の隣の席に座っているんだ。もたもたしている暇なんてないと思うんだが?」
 言うべきことを言い終えた絃子は、頬杖をついて拳児を見つめる。
 そして、その視線を正面から受け止めて。
「すまねぇ、絃子。行ってくるぜ」
 そう口にしてから転がるようにして家を飛び出していく拳児。
「……そこでいきなり極端なのが君らしいけどね」
 ぽつんと残された絃子は一人苦笑い。
「どうせ今回もどこかで何かしら失敗するんだろうけどさ、何もしないよりはマシだよ、きっと」
 立ち上がって玄関の戸を閉めつつ、届かない背中にむかってそう呟き、居間に戻ってあらためて原稿を手に取る。
「まあ、でもよく描けているのは確かだよ。それは認めよう」
 くすりと小さく笑ってから、ちらばったそれをまとめ直し、絃子は拳児の部屋へと向かった。