Happening




「ここまで来たら――わかってるわよね?」
 どこか剣呑な光を瞳に宿らせる沢近。
 時は体育祭、場面は佳境――残すはクラス対抗のリレーを残すのみとなっている。2−Cの順位はと言えば、意外になのか順当になのか、現在二位。
「私は別にどっちに転んでもいいと思うけどね、楽しけりゃさ」
「――美琴」
 その射抜くような視線に、冗談だよ冗談、と答える。
「もちろんやる以上勝ちにいくよ。でもさ、入れ込みすぎると出来ることも出来なくなるって」
 誰かさんもそういうタイプじゃなかったっけ、そう言いながら笑う美琴に言い返せない沢近。
「……とにかく!これに勝てば文句なしに一位なんだから!」
「そうだよね!がんばろう、みんな!」
 いつも通り、考えているのかいないのか、あっさりそう言う天満。
「ほどほどにね……」
 言いながらも、どこからか取り出したハチマキをぎゅっと締める晶。
「アナタたち……」
「ま、なんだかんだ言ってもさ、そういうことなんだよ」
 さて、それじゃ行こうか、そう集合場所に向けて歩き出した美琴が振り返って言う。
「さくっと勝ってばっちり優勝……でいいんだろ?」
「……当然じゃない」
 いつも通りの気負うことのない笑顔で答える沢近。
「さあ、行くわよ!」
「うん!」





 数分後、場面はスタート地点へと向かう。
「ベストを尽くせばいい――確かにそうね。でもベストを尽くせば結果は付いてくるの」
 クラスメイトを前に演説を打っている沢近を見ながら、意外とお祭り好きなんだよな、と微笑む美琴。
「なんだかアイツがまとめ役みたいだけど」
 いいの?学級委員サン、と茶化して花井に尋ねる。
「こういうのは僕より彼女の方が適任だろう?それになかなか上手いじゃないか」
 確かに見回してみれば、クラスの士気は上がっている。
「これで負けたら目も当てられないね」
 呟くようなその言葉に、珍しい、という顔をする花井。
「驚いたな、負ける気でもあるのか?周防」
「ばーか、そんなつもりないよ。この順位にいるのも半分まぐれみたいなもんだしさ、狙えるんだから当然勝つつもり」
 たださ、と言いかけて、そこでやめる。
(意外と脆いんだよね……)
 見つめる先には沢近の姿。
「どうかしたのか?」
「……いや、なんでもない」
 その表情に、そうか、と花井も追求はしない。
 そうこうしている間にも演説は続いていて。
「特にそう!そこのヒゲ!」
「あン?」
 突然指さされて驚く播磨。
「あなたがアンカーなんだからね、ちゃんと一位でゴールしなさいよ!」
「るせぇっ!てめぇこそ俺にバトン渡す前にすっころんだりするんじゃねぇぞ!」
 普段ならその圧力にあっさりと屈するところだが、やはり見せ場――当然天満に対する――ということもあって、気合いが入っている。
「そんな心配する必要ないわよ。きっちり一番に渡してあげる」
 見てなさい、と播磨を睨みつける。
「けっ、言ってろ……」
 お前になんて興味はない、という風にその視線を受け流す播磨。
(見ててくれよ、天満ちゃん――)
 熱い視線の向かう先は当然天満。しかし、その天満はと言えば。
(烏丸君にバトン、烏丸君にバトン、烏丸君に……)
 ――世の中とは所詮無情なもので。





 そして、まもなくスタート、という時間である。
 先行して貯金を稼ぐ、という作戦から一番手に指名された花井、やる気は妙に満々である。理由はまあ、言わずもがな。
「見ていてくれたまえ、八雲君!」
 一年生の席に向けて叫ぶ。視線の先には恥ずかしかったのかうつむいてしまっている八雲と、嬉しそうに手を振っているサラ。
「ここで笑顔で手を振ってくれるなら、一周と言わずに僕が完走してみせるのだが……」
 本気で悔しそうに呟く。
「馬鹿なこと言ってないで、さっさと行ってきな」
 で、一番先に戻ってくること、と言う周防に、当然、と答えてスタート地点に向かう。
(勝負事で熱くなるのは好きではないが――)
 たまには悪くない、と小さく笑い、位置につく。隣のレーンに並んでいた走者に、あんな花井は見たことねぇよ、と言わしめる表情だった、とは後にまことしやかに流れた噂である。
「位置について」
 ――ともあれ。
「用意」
 そんな各人各様の想いを胸に。
「スタート!」
 順位を決定するクラス対抗リレーは始まった。





「いけるんじゃない?これ」
「何事もなければね……」
 尋ねる美琴に言葉を濁す晶。
 残すは現在走っている走者を除けばあと二人、そして順位は僅差ながら一位をキープしている。
「大丈夫だろ。それにさ、塚本があれだけがんばったんだ、勝たなきゃ、な」
「そうだね……」
 二人の視線の先には、またどこからか持ち出した応援団の恰好をしている天満、応援には余念がない様子である。
 彼女が走者の時に何があったか、それはここでは語らないこととする。ただ――あの塚本天満が誰にも抜かれることなくバトンを渡し終えた、それだけは記しておく。
 それだけで十分である、という確信とともに。
 さて、そうこうしているうちに、リレーは最終局面へと移行していく。
「……さっきの、覚えてるでしょうね」
「ん?ああ……」
 見てなさいよ、と播磨に向かって言い放つ沢近。しかし、その表情にはあまり余裕がない。
(ったく、見栄っ張りが……)
 何故なら、二位のクラスの走者――彼女は沢近よりもタイムが速い。
 それは練習の時点でもわかっていたことであるし、むしろここまでリードしていたならたとえ抜かれても次の播磨で取り返す、そういうオーダーが組まれていた。
(……でも悔しいじゃない、そんなの)
 大見得を切ってしまった以上、そのプライドから負けるわけにはいかない沢近。
(……らしくねぇ)
 そのどこか不安げな表情に、いつも自分を罵倒しているあの強さがない、と思う播磨。何か言ってやるべきなのか、少し――ほんの少しだけ迷う。
「出来なかったら……わかってんだろうな?」
 結局出てきたのはいつもと同じ、売り言葉に買い言葉。
「……何よ。アンタの方こそ」
 同じく売られたケンカは、という沢近に、来るぜ、とコースを顎で示す播磨。見れば、走者は最後のコーナーを回ったところ、もう直線に入ってきている。
「見てなさいよ」
 もう一度そう言って、スタート位置に向かう沢近。その背中が、やはりどこかいつもより小さく見えて――
(知るかよ、んなこと……)
 黙って見送る播磨。
 そんな風にして。
 最後の舞台が幕を開けた。





 沢近は走っていた。
 全力で。
 練習どころか今までの人生でこれほどまでに集中したことはない、というほどに集中して。
 しかし。
 そのわずか前方には他人の背中。
(わかってたわよ、そんなの……!)
 半周は順位をキープした。けれどそこまでだった。
 現実はやはり現実であり、視界には前を行く走者の背中がある。
(離されてるわけじゃない)
 三つ目のコーナーを回ったところ、その差は抜かれたときからほとんど変化していない。このまま行けば、確実に最後の播磨で逆転は可能、という場面。
(……)
『きっちり一番に渡してあげる』
(……でも)
『見てなさいよ』 (……でもっ!)
『出来なかったら……わかってんだろうな?』
(悔しいに決まってるでしょう!?)
 プライドが、軋みをあげる。
(次のコーナー……あそこが最後のチャンス)
 直線でいくら勝負したところで勝ち目はない、ならばわずかにスピードの落ちるそこしかない。第三コーナーから第四コーナーへの短い曲線上で、沢近はそう決意する。
 そして。
(今――!)
 その最後のコーナーで勝負を賭けるように内側へ潜り込もうとして。
「あ――――」
 ――転んだ。
 瞬間、世界から音が消えたような感覚。
 目の前を転がっていくバトン。
 遙か先を行く走者。
 すべてがスローモーションのように見えて。
(……馬鹿だ、私)
 起き上がろうとした力がどこかに消えていく。もうこのまま全部終わってしまえばいい、そう思ったとき。
「――何やってやがんだコラ!とっとと戻って来やがれ!」
 遠くで声がした。
「そうしねぇと俺が一位になれねぇじゃねェか!」
 それはひどく馬鹿なことを言っている気がして――
「うるさいわね!今行くから黙ってそこで待ってなさい!」
 負けないように叫び返した。
(馬鹿じゃないの――?)
 まだひっくり返すつもりのあるらしい播磨に呆れながらも、立ち上がってもう一度走り出す沢近。
(だいたい一位どころか……ほら)
 痛む足は思うように動いてくれず、もう一人に抜かれて三位になる。
 けれど。
(……信じてあげるわよ)
 ただし一回きり、と今抜かれた背中に置いていかれないように必死で追いすがり、バトンを渡すゾーンまでは食らいついた形を崩さない。
(ほら、なんとかしてみなさいよ)
 上出来だ、という顔をして待っていた播磨になんとかバトンを渡して。
「っ……」
 そのまま倒れるようにして座り込む。
「愛理ちゃん!」
 駆け寄ってきた天満たちに大丈夫、という仕草を見せてから。
「それより……」
 視線が追うのはまさしく鬼神のような形相で走る播磨。それはもう冗談のようなスピードで、あっさりと二番手に上がり、先頭を行く走者との距離も縮めていく。
「何よ、アレ……」
 呆然と呟く。確かにそれは、自分が余計なことさえしなければ文句なしにぶっちぎりで一位になれた、という圧倒的な速さだった。
(……やっぱり馬鹿だ、私)
 そんな沢近の見つめる視線の先、ぐんぐんとその差が縮まっていく二人の走者と、ゴールテープが――





「ちっ、天満ちゃんにいいトコ見せ損なったぜ……」
 コーンを片付けながらぼやく播磨。
 結局あの猛追も及ばず、2−Cはリレーで二着に終わり、結果として総合順位も二位のままだった。
「だいたいアイツが……よっと」
 両手に抱えたそれを適当に倉庫に放り込みながら、ふと走者として出ていく前の沢近の姿を思い出す。
(……けっ)
 そしてその沢近はと言えば、体育祭が終わってから行方をくらましている。
「ま、しょうがねぇ……」
 いつまでも考えていても、と校舎に戻ろうと体育館の角を曲がろうとして。
「あ……」
「……」
 そこに沢近がいた。
「……」
「……」
 気まずい沈黙。
(んだよ、俺にどうしろって……)
 心でグチをこぼしつつも、一応、あのよ、と声をかけようとする。
 が。
「笑っちゃうわよね、優勝以外意味無いって言ってた本人が最後のリレーでこけちゃって、みんなの足引っ張って……」
 遮るようにして、独り言のように呟く沢近。
「ヒゲ、アンタにも格好のネタ与えちゃったわね……」
 私の負けよ、と力なく笑う。
 それを聞いて。
「で、プライドの高いおじょーさまはこんなとこで一人メソメソ泣いてるってわけか」
「なっ……!」
(イライラするぜ、ったく)
 こんなこと何で俺が、と思いつつ続ける。
「あのな、他の奴は知らないが、俺はお前や天……塚本達のがんばりがなかったら、二位にもなってないと思うがな」
(えっ……?)
 誰も文句なんて言いやしねぇよ、明後日の方を向きながら言う播磨を驚いて見上げる沢近。
「んなくだらねぇことで悩んでるヒマがあるならとっとと帰れ。風邪でもひいたら天……塚本達が心配するからな」
 ほれ、とその肩にジャージをかける播磨。
「ちょっ……!待ちなさいよ、これ!」
 その声にも、うーさみー、と言うだけでまったく取り合わず、立ち去ろうとする。
「べ……別にアンタに励ましてもらったって嬉しくも何とも、ないんだから……」
「あーはいはい。じゃあな」
 それを最後に、さみーなおい、とぶつぶつ言いながら去っていく播磨。
「……何よ」
 ぽつりとそう呟いてから、襟をよせる。
 そこに。
「あ!いたいた!愛理ちゃーん!」
「天満……」
 どうやらずっと探していたらしく、見つけるや否や一目散に駆けてくる天満。その後に美琴と晶も続いている。
「もう、心配したんだよ」
「ちょっと、ね……」
 裏表のない天満の瞳に見つめられ、思わず目をそらしてしまう。
「ま、何事もなかったんだからいいだろ?」
「そうね……」
「え……?」
 何も言わない二人に戸惑う沢近。
「待って、私――」
「私は楽しかったよ」
 今度は美琴が沢近を遮る形で言葉を口にする。
「最後の最後であんなことになってさ。どうなるかわからなくて目が離せなかった、ってみんな言ってたよ」
「愛理が一生懸命だったのは、ちゃんとわかってる」
「美琴、晶……」
「だからさ、もう帰ろうよ」
 笑顔で言う天満。
 そんな三人の言葉が何よりも嬉しく感じられて。
「……ええ、帰りましょう」
 その表情によしよし、と頷いた美琴だったが。
「ところでさ、それ……」
 沢近の羽織っているジャージを指さす。
「っ!こ、これは……」
「はり……」
「あ、ああああ晶っ!」
 ずいっと首を伸ばして名札を読み取ろうとした晶に、思わずそれを脱いで抱え込む。
「何でもないわよ、こんなの――!」
 言って、思わず地面に叩きつけようとして。
「――――」
 思いとどまった。
「……?何やってんだよ」
「……だから、何でもないわよ」
 そう言って、掲げたそれを脇に抱えなおす。
「塚本さんが待ってるよ……」
「ねーねー、早くー!」
 見れば、もう先に歩き出している天満。悪い、今行くよ、と答えて美琴も歩き出す。
「……」
「……な、何よ」
「……別に」
 意味深な視線を投げかけてから晶も続く。
「……」
 一人残った沢近は、もう一度そのジャージに目を落として。
「……もう、ホントに嬉しくも何とも、ないんだから」
 そう、呟いた――