Joker/hide mind
「晶ちゃんおはよー」
学校の昇降口、今日も朝からどこかハイテンションな――もちろん、それも彼女の魅力の一つなのだが――天満に、おはよう、とこれもいつも通りに素っ気ない返事を返す晶。はたから見れば微妙な光景ともとれるものの、滅多に表に感情を出すことがない彼女の場合、それは別段普通のやりとりであり、天満の方もまったく気にする素振りを見せず、今日もいい天気だね、などと話しかけている。
――と。
「ん――」
晶が開けた下駄箱から何か白い物が落ちる。
「手紙?」
「みたいだね」
答えてから封を開き、内容に目を落とす晶。その表情がほんの一瞬緊張の色を帯びる。
「……晶ちゃん?」
そんな変化に気がついたのか、心配そうに声をかける天満に、何でもないよ、と答える。
「そっか。ならいいんだけど……あ、でね、それってやっぱり」
ラブレター、という小声の問に。
「……似たようなものね」
いつもと同じ、相も変わらぬポーカーフェイスで晶はそう言った。
◆
「どうしたの天満、何だか様子がおかしいみたいだけど」
「……え?そそ、そんなことないよ?」
「いや、どう見てもなんかあるだろ。ほらほら、話しちまえよ」
朝の教室、気怠い授業が始まるその前に、とそこかしこで会話に花が咲くその中で、早速天満は沢近と美琴に問い詰められていた。
『みんなには内緒にするから安心してね』
などと先ほど晶と約束した手前、話すわけにはいかない……のだが、そこは天満、陥落は時間の問題のようである。
一方、当の晶はと言えば、どこか難しそうな顔をしたまま――とは言っても、ある程度彼女と親しくなければ見分けがつかないほどの変化である――何かを考えている様子を見せていたが、やおらすっくと立ち上がる。
「あら?どうしたの晶」
きょとんとした顔の沢近と美琴、そしてまだあたふたとしている天満に向かって一言。
「――早退」
は?、と三人の声が思わずそろうが、そんなことはどこ吹く風、といった様子で鞄に教科書を詰め直す。
「ちょっ、待ちなさいよ! 何よいきなり……大体理由は何なのよ、理由は」
思わずそのまま見送りそうになったところを、どうにか気を取り直して尋ねる沢近。対する晶は、そうね、と小さく呟いてから。
「……頭痛?」
「疑問形はねーだろ、いくらなんでも」
お約束のようにきっちりツッコんだ美琴もスルーして、それじゃ、と片手を上げて出て行こうとする――その背中に。
「晶ちゃん!」
それまで右往左往していた天満が、ガタン、と椅子を鳴らして勢いよく立ち上がる。右手を胸元でぎゅっと握りしめ、表情に浮かべているのは不安の色。どこか尋常ではないその様子に、晶も足を止めて振り返る。
「どうしたの? 塚本さん」
落ち着いたその声を聞いて、我に返った様子で口ごもる天満。沢近や美琴からも訝しげな視線を向けられ、取り繕ったような笑顔を浮かべて言う。
「……えっと、月曜日にはまた会える……よね」
「――うん、そうだね」
何故そんなことを訊かれたのか分からなかったのか、一拍の間を置いてからそう答え、今度こそ教室を出ていく晶。それを見送ってから、ふう、と大きく息をついて席に着く天満。その表情はやはりまだ暗い。
「塚本、どうかしたのか?」
気遣うような美琴の声に、しばらく迷うような気配を見せていた天満が、あのね、と今朝の出来事について話し始める。
「――っていうことがあったんだけど……」
「……そりゃまあ珍しい気もするけどさ、それぐらい別に普通だろ?」
首を捻る美琴に、そうなんだけど、と自信なさそうにする天満だったが、それで、と沢近に促されて続ける。
「そのときはなんだかちょっと様子が変だな、って思っただけだったんだけど」
さっきの晶ちゃんは、とそこで一度言いよどむ。
「――さっきの晶ちゃん、何処か遠くに行っちゃうような気がして」
そう口にした後で、でもそんなわけないよね、と笑ってみせる天満。
けれど。
「それはさすがに考え過ぎかもしれないわね。でも」
「でも?」
「正直、あんな晶を見たのは私も初めてよ。何かあるのは確かね」
いつになく真剣なその表情に、へえ、と驚いてみせる美琴。
「何よ、その反応は」
「悪い。そういう見るとこ見てるってやつ、お前にしちゃ珍しい、って思ってね」
「……私もこれで一応、あの子との付き合いも長いのよ。さすがにそれくらいは、よ」
少し照れたような表情を見せる沢近に微笑んでから、で、どうすんだ、と話を戻す美琴。
「そうね……別に何もなければいいけど……」
そう言って少し考えてから、あなたさっき月曜日、って言ったわよね、と天満に話を振る。
「うん。さっきちらっと中が見えちゃってね、待ち合わせが明日っていうのだけは確かだよ」
時間と場所は分からないけど、と申し訳なさそうに答える天満。
「それだけ分かってれば十分よ――よし」
「よし、ってお前まさか……」
そのまさかよ、と事も無げに答えてから、いい、と言葉を続ける沢近。
「さっきも言ったけどね、何でもなければそれでいいの。でもね、あれはどう考えたって普通の反応じゃないでしょう?」
「まあ、そうだな」
頷く美琴に、でしょう、と確認をとってから、今度は天満の方を見やる。
「それに、天満も時々鋭いところがあるし、ね」
「愛理ちゃんありがとう!」
その言葉を聞いて、思わず沢近に抱きつく天満。
「きゃっ! もう天満、やめてよ!」
口調とは裏腹に、どこか嬉しそうな様子を見せながら、それであなたはどうするの、と美琴に尋ねる沢近。
「決まってるだろ、そんなの。塚本と沢近だけに任せたりなんてしたらロクなことにならないしな」
私も行くよ、と冗談めかして美琴も笑顔でそう答えた。
◆
翌土曜日、『何か』があるその当日である。
時刻はまだ七時過ぎ、といったところだが、既に晶の家が視認出来るところで張っている三人。
「大丈夫かな……」
「フタを開けなきゃ分からない、ってとこだろ。にしてもさ、こんなに早くから来る必要あったのか?」
「念には念を入れて、よ。どこか遠い場所かもしれないでしょう?」
それに、とさらに続ける沢近。
「晶のことだからね、いろいろ考えておかないと……」
などと言っているうちに、その晶が家から出てくる。当然と言えば当然だが、特におかしな様子はまだ見えないが、ともあれ予定通りにその追跡を始める三人。いいのかな、と今更のように呟く天満に、まあな、と美琴。
「確かにあんまり褒められたことじゃないけどさ、でも何かあるって思ったんだろ、塚本も」
「……うん」
「だったら自分を信じろよ」
ぽん、とその頭を軽く叩いてから、何事もなきゃ途中で帰ればいいんだしさ、と笑う。
「……そうだね」
うん、と気を取り直したように微笑む天満。そして、そんなやりとりをしている間に駅へとたどり着く一行。
「電車か……面倒だな」
「これくらいで何言ってるの、ほら」
言って沢近が差し出すのは、隣駅までの切符三枚。
「精算なんて降りるときにすればいいの、行くわよ」
その手際のよさに驚く美琴に、こうすればいいって教えてもらったのよ、と沢近。誰にだよ、と訊きたいところだったが、さすがにそんな場合でもない、とそれは心に留めておく美琴。
ともあれ。
そうやって電車に乗り、幾つかの乗り継ぎをし、この付近で最も大きなターミナル駅まで辿り着いたところで――
「……撒かれたわね」
してやられた、という顔でぼやく沢近。ここまでは着いてこれたはず、と思うものの、もはや雑踏の中に晶の姿を見つけることは出来ない。
「諦めるか?」
「うん、しょうがない、よね……」
落ち込んだ様子の天満。けれど、まだよ、と言って携帯を取り出す沢近。手慣れた仕草で誰かに電話をかけ、話し始める。
どういうこと、ときょとんとしている二人を余所に、短い通話を終わらせると、わかったわよ、と言う。
「いや、分かった、って何がだよ」
「だから、晶の行き先よ」
「は?」
期せずして、天満と美琴の声が重なる。確かに、晶本人に訊いたわけでもなし、電話一本でそんなものが分かる方が不思議である。
「誰に電話したら分かるんだよ、そんなの」
「誰って……ウチの執事の中村だけど」
「……執事?」
私たちだけで晶と張り合えるか分からなかったし、念のため頼んでおいたの、と何でもないように答える。
「いや、その考えはいいんだけどさ、執事だからどうこう出来るってもんじゃないだろ?」
ややげんなりしつつも尋ねる美琴に、え、と驚く沢近。
「『万事に置いて卒のない規範を示してこそ執事』、ってお父様も言ってたんだけど……」
もしかして、と首をかしげる。
「執事ってそういうものじゃないの?」
「……いや違うだろ、絶対」
すごいね、などと感心している天満の横で、美琴は溜息をついた。
◆
一方の晶。
こちらもこちらで、考え得る限りの状況を踏まえて――さすがにその中にクラスメイトを撒く、などというものはなかったが――電車を
乗り継ぎ、人混みを縫うように抜け、自分の足跡を消すようにして目的地へと向かった。
昼下がり、最寄りの駅前の噴水――そこが指定された日時と場所。果たして、探すまでもなく晶の視界には季節外れのコートを着た男の姿。
正直な話、周囲とは明らかに異彩を放ち、この陽光の下では目立つことこの上ない。
やがて、男の方も晶に気がついたのか、やあ、と言って片手を上げながら近づいてくる。
「うん、さすがだね。時間通りだ」
『何の用かしら』
にこやかに話しかけてくる男に対し、晶の口から出たのは異国の言葉。気休め程度にしかならないとしても、周囲にあまり聞かれたくはない、という態度の表れである。
『そうか、そうだね……悪かった、まずは僕が謝ろう』
言って軽く頭を下げる。
『さて、何の用、か。まあいろいろあるんだけど……』
思わせぶりに微笑んでから、まずは、と続ける男。
『君に会いに来た、と言ったら信じてくれるかな』
『さあ、どうかしら?』
そんな真顔の問いかけに、にべもなく答える晶。狸か何かの化かし合いのような会話は結構、というように口を開く。
『それじゃ、本題に入りま――』
しょうか、と続けようとした言葉が一瞬途切れる。男の背後、その先にありえないもの――撒いてきたはずの三人の姿を認めでしまったから。
そして、その一瞬を男は見逃さない。
『おや、どうかしたのかな――?』
◆
「……なんとか間に合ったみたいね」
呟いた沢近の視線の先には、ちょうど壮年に差し掛かったところ、という着崩したスーツに季節外れのコートを纏った長身の男と向かい合う晶の姿。
中村の言葉に従って、スタート地点に戻ってきたのが正解だったようである。
「ねえ、あの人……だよね」
「……だな」
どこか野暮ったい、冴えない雰囲気を宿した男。極論してしまえば、遠目であることを差し引いても、晶と釣り合うような相手にはとても見えない。
「晶ちゃん……」
それでも、晶が普段にない様子を見せた以上、何かしら思うところのある相手に違いない――そう考えてもっとよく見ようとしたのか、隠れていた物陰から身を乗り出そうとする天満を、ダメよ、と引き留める沢近。あの子がそういうのに鋭いの、あなたも知ってるでしょう、と諭そうとしたそのとき。
「おい、マズ――」
◆
『おや、どうかしたのかな――?』
ほんの刹那、揺らいだ晶の視線を見逃さず、何気ない様子で声をかけてくる男。ただし、その目の奥にあるのは先ほどまでは見せていなかった剣呑な光。
『……』
晶は答えない。何をやってもマイナスにしかならない状況下に置いては、何もしないことが最善の策――そんな身体に染みついた経験をただ行使する。それでも致命的とも言えるミスを犯したのは事実、ふむ、などと言いながら肩越しに振り返る男に視線を固定したまま、考え得る手立てをシミュレートする。
『成程、成程ね』
やがて正面の晶に向き直った男は、したり顔でそんなことを呟きながら何度も頷き、では、と左手をすっとコートの内側に差し入れる。
『――あなた』
その仕草を見てわずかに身構える晶に、おやおや、と肩をすくめる男。
『何もしやしないさ。ほら』
戻した左手は無手のまま――けれど。
『……どういうこと?』
晶が見つめるその先、つい今しがたまで無手であった右手には魔法のように二枚のチケット。
『うん、そうだな、分かりやすく言うと――』
いつのまにか瞳の奥の剣呑な光は消えて、人を食ったような笑みを浮かべて男は言う。
『――デートをしよう、アキラ』
◆
「……気づかれたかしら、今の」
「どうかな……あ、おい」
自分たちの方に向けられた晶の視線に、慌てて息をひそめていた三人の向こうで歩き出す二人の姿。どうしよう、と言う天満に、そうね、と難しい顔をする沢近。
「これ以上は晶のプライベートかもしれないけど……」
濁した語尾の裏には、ここからでも分かった晶の態度。例えるなら、それは剣道の授業でも彼女がときたま見せた『真剣勝負』の気配。
「でもやっぱり何かおかしいよね、晶ちゃん」
その言外の意味を汲み取ったのか、同意を示す天満。そしてそれに頷き、訊かなくても分かるけどさ、と前置きしてから、で、どうする、
と美琴。
「……なら、決まってるわね」
踏ん切りをつけるように、力強く宣言する沢近。
「――追いかけるのよ、最後まで!」
◆
――数時間後。
『ほう、これは――』
男の口から感嘆の声が洩れる。
ひとしきり彼の言う「デート」を堪能した後で、晶が案内したのは神社の裏を抜けた高台――街を一望することの出来る場所だった。
時は夕刻、眼下には淡い橙色に染まる街並が広がっている。
『……私はこの街が好き』
しばらく黙ってその光景を見下ろしていた晶が静かに口を開く。
『そして、この街に住んでいる人たちが好き。だからもし、あなたが』
『そこまでで結構』
その先は君のようなお嬢さんが口にする言葉じゃない、とそれを遮る男。
『いや、今日は実に有意義な時間が過ごせた。何せこの歳になると若いお嬢さんと話す機会なんて滅多にない』
加えてこの職業だ、と肩をすくめてみせる。飄々とした口調、けれどその裏に最初に感じたような敵意はもはや感じられない。
『でもね、こんな職業だからこそせめて人間らしくありたいと思うんだよ、僕は』
ふっ、と自嘲気味の笑顔をもらした男を晶はじっと見つめる。その視線を受け止めるように、一旦口をつぐんだ男だったが、やがて今度は先ほどとは違う柔らかな笑みで続ける。
『君のような人に会えてよかった。それにあの君の愛すべき友人たちにもね』
だからこの仕事はなかったことにしよう、そう言って大きく頷いてみせる男。そしてそれを見て、この日初めて苦笑めいた笑みをわずかに浮かべる晶。肩越しに振り返った先には、隠れているつもりであろう三人の姿。
『……まったく、本当に』
『真の友というのは得難いものだよ、君は実に幸せ者だ』
では、と大仰に一礼をしてから立ち去ろうとした男だったが、ああ、と何かを思い出したように立ち止まる。
『すまないね、最後にもしよければでいいんだが……』
そう言って右手を晶に向かって差し出す。応えるようにして、晶も黙って差し出された手を取って、しっかりと握手をする。
『ありがとう、アキラ』
君とは仕事抜きでまた会いたいものだ、そう言って男は微笑むと、そのままくるりと背を向けて、今度こそ去っていく。陽が沈む方向へと向かうその姿は、晶からはまるで夕日を連れている――そんな風に見えた。
◆
そして。
「ね、ねえ、晶ちゃんこっちに来るみたいなんだけど……」
「おい、どうすんだよ」
「そんな、どうするもこうするもないじゃない!」
自分たちが隠れている茂みに向かって、脇目もふらずに歩いてくる晶を見て途端に慌て出す三人。
「……何をしているのかしら」
「えーっと……」
「あー、たまたま通りかかってだな……なんて言っても信じるわけないよな」
一応言い訳してみようとするものの、晶の真っ直ぐな視線にいたたまれなくなる天満と美琴。それを見て、仕方ないわね、と口を開く沢近。
「正直に言うわよ。あなたが何か変だったから、ちょっと様子を見に来た……それだけよ」
「……心配してくれたんだ、愛理」
直球でそう返され言葉に詰まる沢近。そっぽを向いて、余計なお世話だったみたいだけどね、とだけ言う。
「そんなことないよ」
けれど、対する晶の返事はそんな答。それを聞いて、う、と益々赤くなる沢近。
「か、感謝するなら天満にしなさいよね」
「そんな、私は別に……」
「ん、まあそうだな。そもそも言い出したのは塚本だしね」
戸惑う天満と頷く美琴。そんな三人の様子に、どういうこと、と尋ねる晶。
「天満がこう言ったのよ」
それに答えるのは沢近。
「『――さっきの晶ちゃん、何処か遠くに行っちゃうような気がして』」
◆
「そう……」
その言葉を聞いて、晶は短くそれだけを答える。
そして思った――つまり友達とはそういうものだ、と。
「ありがとう、塚本さん」
――だから、晶は口にしない。
例えば、彼が何故自分のところにやってきたのか。
「愛理も美琴さんも、ありがとう」
例えば、彼が裏世界でその名を知られる者であること。
「それじゃ――」
――だから。
夕日を背に、逆光の中で。
絶対に三人からはその表情が見えないようにして。
それでも確かに。
「――帰ろうか」
それでも確かに、透き通るような満面の笑顔でそう言ってから歩き出す。
まるで昇る朝日のように見える、そんな沈む夕日を連れて。