Looking for




 ――雪が、降っていた。





 その日、朝から空を覆っていたのは鈍色の雲。今にも泣き出しそうなその表情を裏付ける様に、テレビの天気予報は降水確率の数字を淡々と読み上げている。
「また、ところにより雪に変わる恐れも――」
 その声を最後まで聞くことなく、彼女は席を立つ。雪、という単語だけが何故か耳に残る。
「お嬢様、傘は」
「いらない」
「しかし、」
「いらないの」
「……承知いたしました」
 普段から細々と口うるさい執事の声が、どういうわけか輪にかけて気に障って、一度も振り返ることなく表へ出る。
「降るなら降ればいいのよ」
 自らの心と同じ色合いの空を睨み、少女は呟く。
 返事はない。
 ただ空はそこにある。





 どうしてこうなったのか。
 直接は届かない陽の光、そのせいでどこか色褪せた色彩の街を歩きながら、彼女は考える。
 どこで何を間違ったのか。
 答は出ない。
 何故なら――何故なら、何も間違ってはいないからだ。
 けれど、彼女がそれに気がつくことはない。
「――ワイトバレン――」
「――マンチックだよ――」
 自転車で走り去る少女たち、その会話の断片が切り取られた様にその場に置いていかれる。
 ホワイトバレンタイン。
 普段の彼女であれば、確かにロマンチックだと称し、単純に『祭』としてこの巡り合わせを喜び、友人たちと存分に楽しんだだろう。
 しかし。
「……どうして」
 その脳裏に浮かぶのは、いけ好かない男の姿。
 どうしようもないくらいにバカで。
 何を考えているのかさっぱり分からなくて。
 それなのに。
 ――全部笑い飛ばしてしまえればよかった。
 出来なかった。
 だから、手に提げた鞄の中にはラッピングされた小箱。
 それも、たった一つ。
 もし渡すのなら、誰かのついでを装うことも、言い訳すらも出来はしない。
 もし――
「バカよ」
 呟いてみたところで迷う心は誤魔化せない。そして、そんな心とは裏腹に、歩みを進めるその足は迷うことなく目的地へとたどり着く。
 学校。
 灰色の空の下、灰色をした巨大な箱庭。
 ほんの一瞬、その境界で止まりかけた彼女は、けれど止まることなくその中へと足を踏み入れた。





 じりじりと時間が過ぎていく。
 男女問わず浮き足立つ空気の中、秒針の進む音さえ聞こえてくる気がするほどに、彼女は時間の流れを感じていた。一時間が、一分が、一秒が、粘性を帯びたようにゆっくりと過ぎていく。
 このまま時が止まってほしいのか、それともすぐにでも過ぎ去ってほしいのか。
 物憂げなその視線が向けられた先には、灰色に沈む低い空。
 ただそれだけが――
「……理、愛理」
 え、と自分を呼ぶ声に我に返る。見回せば、帰り支度をしているクラスメイトに、既に空席の目立つ教室。そんなことにさえ気がつかないまでに、そう自嘲気味の笑みが浮かべようとしたところに。
「――どうするの?」
 叱責ではない、それでも確かに突き刺さる様に目の前の友人――晶の言葉が投げかけられる。
「どうする、って……何を?」
 平静を装って、装いきれずにわずかに震えた声。
 晶は答えない。ただじっと彼女を見つめている。
「……もう帰るわ」
 耐えきれず立ち上がり、逃げる様に――否、逃げ出したその背中に。
「校舎裏」
 ただ一言、そんな言葉が聞こえた気がした。
「っ……」
 振り向かず廊下を駆け抜け、転がる様にして階段を降り、脱ぎ捨てた上履きを下駄箱に叩き込み、昇降口を飛び出して。
 ――立ち止まった。
 痛いほどの耳鳴りに、そのまま真っ直ぐ帰れという声が頭の中をこだまする。
 けれど。
『校舎裏』
 囁きの様な小さな声。それが消えない。消えずに残っている。
 だから。
 彼女は歩き出した。
 ゆっくりと、確かに、その場所へ。
 そして。

 ――彼女はそれを見た。

 その光景が何を意味しているかを理解したわけではない。
 何故なら、そのとき彼女はまだ気づいていなかったからだ。
 ただ、耳鳴りが消え、世界から音が消え、ただ一つのものしか見えなくなって。
 驚くほど自然に、その背中に両手をまわしていた。

「ヒゲ・・・ううん、播磨君・・・・・・私じゃ・・・ダメ・・・かな・・・」

 自らのその声で、呪縛が解かれた様に世界に音が戻ってくる。
 そうやって、彼女はようやく気がついた。
 自分が涙を流していることに。
 そしてまた、空も同じように――





 雪が、降っていた――二人の上に。
 しんしんと、音もなく。
 雪が、降っていた。


to be continued ... ?