My family




「……こんなもんか」
 珍しく自分から台所に立っていた播磨、一仕事終えてそう呟く。
「別に俺がこんなことする必要ないねぇんだけどな……」
 ぶつぶつとそんなことをぼやきつつ、料理をテーブルの上に並べていると。
「やあ、今帰ったよ拳児君」
 ちょっと上機嫌な様子で部屋の主が帰ってくる。今日は絵画展の初日、モデルとして関わりのあった絃子が閉館後に軽く一杯ひっかけて来るだろう、と予想していた播磨、その態度にはあまり気を留めずに、おう、とだけ返事をする。
「おや?君にしてはずいぶんと気が利くじゃないか」
 酒の肴ばかりだけれどね、と料理が広げられたテーブルを見回しながら絃子。
「今ウチにゃこんなもんしかねぇだろうが。大体昨日あれだけ酒買い込んでりゃ予想もつくけどな……」
「ふむ、味の方もなかなか、か。教え込んだ甲斐があったというものだよ」
 そんな台詞もどこ吹く風、適当に一品つまんで口に運ぶ。
「はん、イトコに言われても全然――」
「どうですか?笹倉先生」
「美味しいですね、これ。播磨君が作ったんですか?」
「――嬉しく……?」
 聞こえるはずのない第三者の声に首を捻る。
「こんばんは。お邪魔してます」
「あ、どうも」
 そこにいるのは美術教師の笹倉。ああ、そういやイトコを描いたのこの人だったよな、と一瞬納得しかけてから。
「じゃねぇっ!てめぇ何考えてやがるイト……あーいや、その俺は……」
 教師と生徒が一つ屋根の下、というのは客観的に見ればどう考えてもアレな状況なわけで、あたふたと言い訳に走る播磨。
「ああ、気にすることはないよ拳児君。君のことはちゃんと話してあるから」
「……ハイ?」
 思わぬ発言に目を丸くする。見れば、笹倉はにこにこと楽しそうに微笑んでいる。
「そうか、君の方に言っていなかったか。笹倉先生は旧い友人でね、君がここに住むようになってからはなかなか来てもらう機会がなかったんだが」
 今日はせっかくだしね、と意味ありげに笑う絃子。
(ワザと黙ってやがったな……)
 せめてもの抵抗、とばかりに睨みつける播磨だったが、絃子相手に通じるはずもなく。
「さて、合格点は出すが満点、とはいかないからね。仕上げは私がしてくるとしよう」
 それじゃ後はよろしく、と言って台所に姿を消す。
「……」
「えっと……いいかな、それじゃあ」
「……あー、ドウゾ」
 どことなくぎこちない様子で向かい合って座る二人。
(どうしろってんだよ……)
 先ほどから変わらず、いつも通りの優しげな表情の笹倉を前に落ち着かない播磨。どうにもこういう相手は苦手な様子である。
「あー……」
 何か言おうと口を開くものの、出てくるのは意味のない言葉。そんな播磨の耳に、台所から料理を作っている音に紛れて絃子の鼻歌が聞こえてくる。
(……アイツが?)
 播磨の知る『刑部絃子』という人物は、いつだって冷めているのかどうなのかわからないような眼差し、加えて皮肉ったような口振りで人をおちょくってくるような人間であり、間違っても鼻歌交じりに台所に立つようなタイプではない。
「どうかしたの?播磨君」
 怪訝そうな顔をしていたのに気がついて、笹倉が尋ねてくる。
「いや、イトコ……じゃねぇ、オサカベセンセイがずいぶん機嫌がいいな、と……」
 オサカベセンセイ、というその慣れない発音がおかしかったのか、くすりと小さな笑みをこぼす笹倉。
「イトコ、でいいと思うよ。ここは学校じゃないし」
 そっちの方が自然なんだよね、と微笑みかけてくる。
「まあ、そうっすけど……」
 どうにもこういうタイプは苦手だ、と思いつつ答える播磨。
「ふふ……ところで刑部さんだけど、いつもはこうじゃないの?」
「いつもは――」
 そこでふと、言ってしまっていいものかと考える。自分の知らないところで自分のことを話される、というのはあまり気分のいいものではない。
「――別に普通っすよ」
 結局無難な言葉を選んだ播磨に、優しいんだね、と笹倉。
 そこに。
「それは何と言っても、この私の自慢の従姉弟だからね」
 手早く仕上げたらしい料理の大皿を手に戻ってくる絃子。自慢、というところに妙にアクセントを置いている。
「ま、話してしまってくれても構わないが、後でそれなりの報いは、ね……」
「てめえ……」
 冗談とも本気ともつかない、そんないつもの口振りにやり込められる播磨だったが。
「――と、こんな感じですよ」
「変わってませんね、相変わらず」
「いやいや、これでも学校ではちゃんと教師をやってるんですから、評価してもらいたいところです」
 そうですね、と言う笹倉ににやりとした表情で応えつつ、播磨の方にも軽くウインクしてくる絃子。
(そういうことかよ……)
 つまりにはその程度のことでは痛くもかゆくもない関係らしい、とようやく理解する。
「ったく……」
「悪かった悪かった。さて、それじゃ始めようか」
 言って、それぞれのグラスに酒を注ぐ。
「では、笹倉葉子の個展開催を祝して――」
 乾杯、という声とグラスを触れ合わせる音が響いて、ささやかな打ち上げは始まった。





「さて、拳児君」
 ひとしきり料理も酒も消化し終えたところで、唐突に改まった様子で言う絃子。
「なんだよ」
「今日の昼間は何をしていたのかな?」
 昼間。変装――とも言えないような恰好だったのだが――して絵画展に行っていた播磨である。が、当然そんなことを言えるはずもなく。
「昼間?ウチで寝てたぜ」
 そう誤魔化してみたのだが。
「ふむ、それは不思議だね。なにやら、今日絵画展の会場で君らしき人物を見た、という話があるんだが」
「……見間違いだろ」
 助け船を出してはくれないか、と一応笹倉の方を見てはみるものの、そこにはむしろ興味津々といった様子でこちらも見ている姿があるだけ。
(……イトコよりよっぽど喰わせモンじゃねえのか?)
 いろいろあったこの数時間での播磨の素直な感想である。
 それはさておき。
「そうか……だったらこれは何かな?」
 そう言って絃子が取り出したのは、どこにでもあるような帽子にコート。
「なっ!イトコ、てめぇどこで」
「どこで、か。これは今日適当に見つくろって買ってきたものなんだが、何か心当たりでもあるのかな……?」
 にやにやと意地の悪い笑み。はめられた、と気がつく播磨だったが時既に遅し。
「そこまでやるかよ、普通……」
「おっと、怒らないでくれよ。ちょっとした出来心だよ、いや悪かった」
「ごめんなさいね、私も黙って見てろって言われてたの」
「いいっすよ、もう別に……」
 ふてくされる播磨に、あの程度で私を誤魔化せると思う方が問題だと思うが、と言ってから。
「しかし、君がわざわざ出向いてくるとは、そんなに見たかったのかな?」
「んなわけねぇだろっ!」
 力一杯全否定する播磨に、わざとらしく耳を押さえながら、おお怖い怖い、と絃子。
「軽いジョークじゃないか。君もいちいち全部本気にしていたらこの先やっていけないぞ?」
 もうやっていけてねぇよ、と思う播磨。
「刑部さんが言うと説得力がありますね」
「……昔は昔、今は今、ですよ」
 それはそれとして、と話を元に戻す絃子。
「拳児君がそういうタイプじゃないのはわかっているさ」
 これでも一応保護者みたいなものだしね、とそこで一呼吸置いて。
「心配して来てくれたんだろう?」
 そう尋ねた。
「……」
 播磨はしばらく考えてから。
「……別にそんなんじゃねぇよ」
「やれやれ、相変わらずだね」
 こういうときくらい素直になったらどうかな、とグラスを傾けながら言う絃子。
「……言ってろ」
 その視線がいつもの面白がっているようなものとは違い、どこか優しげなものに見えて思わず目をそらす播磨。
「そういうところが君らしいんだがね……まあいいさ」
 さてそれじゃあ、と言葉を続ける。
「せっかくだからご褒美をあげよう。こちらを向きたまえ」
「あのなイトコ、俺は別に――」
 言いながら不承々々向けたその顔の――
「っ!?」
 ――唇を奪われた。
 ほんの一瞬、けれど確かに残るその感触。
「な、な、な、何しやがんだっ!」
「おや、私では不満なのかな。これでも自分にはそれなりに自信を持っているつもりなのだが……」
「そういう問題じゃねぇっ!」
 何を言っても仕方がない、とはわかっていても黙っていられない播磨だが、案の定その文句はあっさりと受け流されて。
「ああ、なんだか少し自信をなくしてしまったよ。夜風にでもあたってくるかな」
 そう言って立ち上がる絃子。
「絶対酔ってるだろ、アイツ……」
 その姿が外へと消えてから、ぽつりと呟く。
「そうみたいだね。でも珍しいな、あんな刑部さん」
 一連のやりとりを楽しそうに見守っていた笹倉が口を開く。
「……そうなんすか?いや、ウチでもあそこまでっつーのはなかなかないっすけど」
「きっとね、播磨君に感謝してるんだよ」
「ハイ?」
 どこをどうしたらそうなるのか、という言葉に首を捻る播磨に、今日は心配して来てくれたんでしょう?、と尋ねる笹倉。
「あー、だからそれは……」
「ふふ、じゃあ違うっていうことにしておこうか。でもね、大事なのは彼女がそう思った、っていうこと」
「イトコが?」
「そう。誰だって自分のことを考えてくれる人がいたら、嬉しいと思うもの。普段のあなたたちの関係がどんな風か私にはわからないけど、目に見えてはっきりそうだ、ってわかること、少ないんじゃないかな」
「……まあ」
 なんつーかイトコのせいだけどな、と思いながらも頷く。
「刑部さん、昔からそうだから。一番素直じゃないのが自分だってきっとわかってると思うし」
 何かを懐かしむような目をする笹倉。
「……なんてね。いろいろ言っちゃったけど、簡単に言うとこうかな」
 一度言葉を切って、今までとは少し違う微笑みを浮かべてから。
「家族なんだよ、播磨君と刑部さん」
 そういうもんか、と少し納得する播磨。確かにややこしい理屈だなんだではなく、その方がわかりやすい。
(ま、フツウの家族にしちゃいろいろあれだけどな)
「どうも」
 そう言って、ぺこりと頭を下げる。
「気にしなくていいよ、私も久しぶりにあんな刑部さんが見られたし」
 そして、そこに戻ってくる絃子。
「おや、なんだか私がいない間にずいぶんと仲良くなったようだね」
 うるせえ、と言う播磨だったが、そこで彼女が手から提げている袋に気づく。中身は当然――
「まだ飲むのかよ……」
 播磨のぼやきには答えず、問いかけで返してくる絃子。
「拳児君、明日は何曜日かな?」
「……わーったよ」
「素直なのはいいことだよ。なに、まだまだ若いんだから大丈夫」
「私たちも昔はいろいろ無茶しましたしね」
 こちらも結構な量を飲んでいるはずなのに、最初から変わらずいつも通りの笹倉。何にしても、播磨に逃げ場はない様子。
「さあ、どんどんいこうか」
「はい」
「……どうなっても知らねぇからな」
 そうやって更けていく夜は、けれどまだまだ先は長い――