Midnight run
息詰まるような空気の中、天井に、床に、机に、弾丸の当たる小さな音だけが響く。
――どこだ、どこから来る?
圧倒的に不利な状況の中、それでも周防美琴は最大限の集中力を発揮していた。ひたすらに耳を澄ませ、弾丸の飛来する方向を特定しようとする。
しかし。
――移動してるってのか? こんな真っ暗な中で、音も立てずに?
彼女とて武道をたしなむ身、発射音は聞こえずともその程度の見当はつく。もっとも、そこから出た結論はあまり認めたくない類のものではあったのだが。せめて月が出れば、とちらりと外に視線をやるも、運悪く先程からその姿は大きな雲に覆い隠されている。
「来いよ。どうせこっちにゃ――!?」
なにも出来ねぇんだ、そう言いかけた瞬間、思いもよらない至近距離に相手の気配を感じて、弾けるようにしてその場を飛び退く美琴。狙いを外した必殺の弾丸が天井で乾いた音を立てる。
「――残念。今ので決めたかったんだけど」
まったくそう思っていないような呟きが聞こえ、同時に窓の外では月がゆっくりと顔を出す。
「……なるほどね、どうりで音がしないワケか」
その光に照らし出された相手――結城つむぎの姿を見てぼやく美琴。彼女の手に握られていたのは、銃ではなくスリング。発射機構も何も存在しない、それ故にこの状況ではその隠密性を十二分に発揮する単純明快な武器。
「ちゃんと許可は取ってあるよ」
「だろうな。高野のやつ、そういうとこは厳しいからな」
ルール違反なんて怖くて出来やしない、そう言って笑った美琴に、そうだね、とつむぎも笑顔を返す。その間に、再びゆっくりと月はその姿を隠していく。
「でもまあ、これで状況としては五分、だろ?」
「かもしれないね」
ゆっくりと銃を構え直す美琴。目が慣れたせいか、今度はつむぎの姿がはっきりと見えている。彼我の距離を計算しても、これならいけると確信出来る。
「んじゃ第二ラウンド、行くぜ――!」
その言葉とともに、回避行動も考慮に入れた弾丸が一気に放たれる――が。
「なっ!?」
すっと身を低くしたつむぎが、異常ともいえるスピードで机と机の間の狭い隙間をすり抜けていく。物音を立てることさえまるでなしに。結果、美琴の弾丸は虚しく乾いた音を立てるのみ。
「ちょっと待てオイ! 今なんかありえない動きしただろ!?」
「そう? 私は普通に動いたつもりだったけど、周防さんにはどう見えたのかしら」
くすくすと小さな忍び笑いが闇の中から響く。
――見失った。
本能が警鐘を打ち鳴らす。
姿は見えない。
音も立てない。
気配もしない。
――どうしろってんだよ!?
思考が沸騰しそうになった瞬間、一瞬にしてその温度が凍りつきそうなほどに下がる。
――ただ、
何かが見えた、ということではない。
――それが、
何かを感じた、ということでもない。
――『分かった』。
銃を瞬時に投げ捨てると、背後に突如出現した気配の裏に一息に回り込み、流れるようにしてその腕を極める。
かつん、と。
打ち出されることのなかった弾丸が床に落ちる音がした。
静寂。
互いの呼吸音だけが静かに響く。
やがて、ゆっくりと美琴が口を開いた。
「直接打撃、っていうのはどうなんだっけ」
「さあ、私もそれは聞いてないな」
でも、とつむぎは淡々と続ける。
「――まだ、だよね」
「……だな」
その言葉が示す通り、つむぎはまだ武器を手放してはいない。まさか絞め落とすわけにもいかず、さりとてこのまま極め続けたとしても、決して折れないだけの覚悟を彼女から感じ取る美琴。
放せばやられる、けれど放さなければどうにもならない。絵に描いたような膠着状態。
「どうするの? もう周防さんしか」
「そんなことないさ」
それなりの痛みは感じているはずなのに、まるでそれを感じさせないつむぎの声。余裕さえ見せるその声を、しかし美琴はやんわりと遮った。
「そんなことないって。少なくとも、あと一人は絶対残ってる」
そう言ってから、こんな言い方しちゃ他の連中に悪いんだけどな、と苦笑。そこに不安の影はない。
一方のつむぎは、その言葉の意味を考える――否、考えるまでもない。
あと一人。
周防美琴が絶対の信頼をおく相手といえば。
「そっか、信じてるんだ。花井君のこと」
「いや、信じるっつーか……そういうヤツだろ? あいつ」
なんでもないことのように、まるでそれが当たり前だというように、さらりとそう口にする美琴。
それを聞いて、つむぎは、はあ、と溜息一つ。
「――こーさん」
次の瞬間、吹っ切れたように彼女はそう言って、手にした武器を床へと落とした。
「……へ?」
「だから降参。そこまで言われちゃうと、ね」
拍子抜けしたように極めていた腕を解く美琴。けろりとした顔でそれを二、三度振るつむぎ。そうやって異常のないことを確認したのか、ん、と一伸び。そこには先程までの戦場の気配は微塵もない。
「……なんかさ。すごいね、結城さんって」
「そうかな? どっちかというとこういうのは私より舞ちゃんの方がすごいと思うけど」
「そうなのか? 私にゃ二人とも全然そんなふうに見えないんだけど……」
女の子はヒミツが多いのです、と冗談めかして笑ってから、今度は一転不敵な表情。
「私はここでリタイアだけど、ウチにはまだ一条がいるんだから。忘れないでね」
「忠告、だよなそれ。なんでわざわざ?」
「もちろんハンデ」
「上等だ。受けて立つぜ」
立場は違えど、互いを認め合った証のように笑みを交わす二人。
「それじゃ、私はこの辺で」
「ああ、気をつけろよ……って言う必要もないか、あれじゃ」
ふっと微笑んで、その言葉だけちゃんと受け取っておくね、そう言い残して背を向けるつむぎ。のんびりと散歩でもするかのように歩き出す。
と、しばらく行ったところでふとその歩みが止まる。足音も気配もない、けれどつむぎは直感的に誰かの存在を感じ取っていた。
――これはあれかな。
そう思ったところに、ゆらりと現れる人影。向こうは既に彼女を確認していたのか、周囲を警戒してはいるものの手にした銃を構えてはいない。
「どうしたんだ? 結城君。こんなところにいては……」
その人影――花井春樹に向かって、ちょっと散歩、と答えるつむぎ。
「……散歩? 君は今どういう状況か分かっているのか?」
若干あきれたようなその声に、平気平気、と言ってみせてから歩いてきた方を指差す。
「さっきあっちで周防さんに会ったんだけどね、なんだか大変そうだったよ」
「何? そうか、ありがとう」
言うや否や、周防、そう声をあげて走っていくその背中を見ずに、つむぎは再び歩き出す。なんでもないって、そんなやりとりが背後から聞こえたが、決して足を止めない。ただ、ちらりと肩越しに振り返って、暗闇の中に並んで立つ二人の姿、それだけを確認して。
「とりあえず、今日は負け、っと」
呟いたその顔は、それでも笑顔。
「まだまだこれから。先は長いんだから」
誰の耳にも届くことのない囁き。
けれどそれは確かに彼女の口から紡がれて、そして夜の校舎に吸い込まれていった――
―――――― "Midnight run" or "Secret heart" closed.