On good terms
「最近静かだよね……」
空になったティーカップを傾けつつ、サラが呟く。
先日のあの騒動以来、なんだかんだでときどき顔を出していた播磨、当然のように毎日通っていた花井、その二人が訪れることのない日が続いていた。
はあ、と小さく溜息をついてから、八雲はどう?、と尋ねてみる。
が。
「……」
その八雲は飲みかけの紅茶に視線を落としたまま、ぼう、としている。
「八雲、八雲ってば」
「え……?」
幾度目かのその声に、今の今まで呼ばれていたことに気がつかなかった、という表情の八雲。ここのところ、心ここにあらず、ということが増えている。
「やっぱりこの間のこと?」
「そうじゃない、けど……」
答えるその横顔は、どう見ても本気でそう考えているとは思えない。
(重症だなあ……)
親友のそんな様子にもう一つ溜息をつくサラ。しかし、無理もない話ではある。以前に比べれば格段にマシになったとは言え、まだまだ男性に免疫のない八雲、いきなり抱きかかえられた上に逃避行未遂、とくれば致し方ないところ。
(……よし)
あれからもう数日、いつまでもこのままにしてはおけないし、どちらもきっかけを探しているはず、と立ち上がるサラ。
「八雲、ちょっと待っててね」
「……?」
「すぐ戻ってくるから帰っちゃダメだよ」
そう言って、少し前に晶から訊いていた二人のいるはずの場所――屋上へと向かった。
◆
一方、その屋上。
「お前、今日もずっとここにいたのか」
「……悪いかよ」
「いや……」
哀愁漂う背中の男が二人、並んでフェンス越しの景色を見ていた。
「まったく、たまには授業くらい出ておけ」
「……そうしてぇところなんだがよ」
夏休み前の流浪生活につき、出席がちょっぴり危ない播磨である。
「彼女は何も知らない様子だったが――ああ、そういう問題ではないんだな」
悪かった、と謝る花井。
結局あの後、喫茶店で互いの境遇をぶちまけあった――ちなみにパフェのみで粘る、という偉業も達成している。あんなお客さんに出て行け何て言えませんよ、とは店員の談――二人、友情めいた奇妙な感覚がその間に芽生えていた。
「世の中、上手くいかないものだ……」
「まったくだぜ……」
ますます哀愁の度合いを増した空間を、夏の終わりの風が吹く。
ヒゲが、揺れた。
「……なあ、いい加減どうにかならないのか、それ」
何をどうしたらそうなるのか、というほどに伸びきっているヒゲを指す花井。
「お前にゃわかんねぇかもしれねぇけどな、コレは俺が俺である証なんだよ。そのメガネと同じだ」
「いや、別に僕の眼鏡にそんな深い意味はないぞ」
そもそも何を言っているのかさっぱりわからんのだが、とそこまで言ってから、あらためて呟く。
「……疲れてるだろ、お前」
「けっ、目の下にンなでかいクマ作ってるヤツに言われたくねぇよ」
返す播磨の言葉に、むう、と呻く花井。
「世の中、上手くいかねぇんだよ……」
「まったくだ……」
互いの台詞を取り替えただけの同じやりとり、哀愁の大バーゲン中である。
そこに。
「二人ともらしくないですよ、しっかりして下さい」
ぽん、と背中を叩かれ、ビクリとする二人。
「……よう」
「おや、サラ君か……」
覇気のないその様子に嘆息するサラ。
「もう、ホントにしっかりして下さいね。私がここに来たのにも全然気がつかないし……」
「いや、そのなんだ……なあ」
「おう……」
どこか後ろめたそうなその様子に、全部聞いちゃいましたよ、と今度は少し呆れ顔。それを見てますます落ち込んでしまいそうになる二人だったが、気を取り直したらしい花井が口を開く。
「……この間は本当にすまなかった」
「いや、悪いのは俺の方だ。……なあ、だからコイツのことは許してやってくれねぇか?」
「播磨……」
着々と友情は成長している様子。
しかし、そんな申し訳なさそうな二人とは正反対の雰囲気のサラ。
「別に怒ってなんていませんよ。それに、花井先輩に来てもらった時点で何かあるかもしれないって思ってましたし……失敗だったかな」
その冗談めいた後半の口調に、思わず声を上げる花井。
「いや!断じてそんなことはない!むしろ何と言うかその――」
サイコウだ、と最後だけは呟くようにして言う。
「ごめんなさい、冗談です。でも怒ってないのは本当ですよ?私も、それに」
八雲も、と真摯な口調のサラ。
「……八雲君も?」
「もちろんです。それとも先輩、八雲はわかってくれない、なんて思ってました?」
小首をかしげてのその問に、そんなことはない、と力を込めて答える花井。
「断じて八雲君はそのような女性ではない……だが、しかしな……」
場をぶち壊した直接の原因は播磨だとしても、冷静になれずそれに乗ってしまった自分に改めて思い当たり、苦悩する。
「八雲、最近ちょっと寂しそうなんです」
その背中を押すべく、なんでもないような口振りで言うサラ。
「先輩達が来てくれたら喜んでくれる、と思うんですけど……」
「……それは!ああいや、くっ……」
まだ迷っている花井に、最後のダメ押し。
「それに、もし謝るんだったら私よりちゃんと八雲に言った方がいいと思いますよ」
「……そうか。そうだな」
その言葉にようやく決心がついたのか、ありがとうサラ君、と言って歩き出す花井。
が。
「……先輩?」
「む、何かな?」
右手と右足、と指さして、
「一緒に出てますよ?」
「……」
自分の手足を見下ろしてから、こほん、と一つ咳払い。
「はっはっは。僕としたことがずいぶんと動揺していたようだ。だがもう心配は無用だ」
どうやらいつもの調子を取り戻したらしく、堂々とした口調。
「改めてすまなかった、サラ君。では、また会おう」
言ってから、今度はちゃんと歩き出したその背中にひらひらと手を振るサラ。
「……」
そして、そのやりとりを黙って見ていた播磨、またサラに背を向けてフェンスの向こうに視線をやる。
「播磨先輩は行かないんですか?」
その隣に立って、やはり同じように景色を見つつサラ。
「……どんな顔して出ていきゃいいんだよ」
それを聞いてちらりと隣を見上げれば、相変わらず遠くを見ているものの、播磨にしては珍い弱気な表情。
(こっちも重症……かな)
そんなことを思いつつ、もう一度何でもないようにして言う。
「普通でいいと思いますよ」
「……普通?」
「あんまり突然だったから、八雲の方もびっくりしてて気持ちの整理がついてないだけだと思いますから」
だから、一言謝ってあとはいつも通り、で大丈夫ですよ、と微笑む。
「なんだか先輩っていろいろ誤解されやすいみたいだし、勘違いも多いですけど、ピョートル君のとき
みたいに一生懸命なところ、私は好きですよ」
八雲もきっとそうだと思います、というその笑顔に、少しだけどぎまぎしてしまう播磨。天満ちゃんを好き好き大好き愛してるぜ、とは言えるものの、その素行からまず他人からそんなことを言われないせいである。
「だから先輩にもまた来てほしいんですけど……ダメですか?」
もちろんそんなことを言われて断れるはずもなく。
「……わーったよ。どのみち謝らないといけねぇしな」
「ありがとうございます、先輩」
ぺこり、と頭を下げる。
「それじゃ先に行っておいてもらえますか?私はちょっとゆっくりしてから行きますから」
「おう」
たんたんたん、と階段を下りていく播磨に、花井のときと同様に後ろから手を振るサラ。やがて、屋上への扉が閉まり、その姿が見えなくなってから。
「ふう、上手くいった、かな」
一息ついて扉に背中を預ける。播磨にしろ花井にしろ、普段が普段だけに落ち込んだらどこまでも、というタイプ、上手くいかなかったら、というプレッシャーはなかなか大きかった様子。
「あとは八雲次第だけど……大丈夫だよね」
今頃また、にぎやかでちょっとした騒ぎが起きているだろう部室の様子を思い浮かべる。
些細な問題はあれこれあるかもしれないけれど、それは確かに楽しいこと。
「みんな仲良く出来ればいいんだけどな」
そんなささやかな願いを口にして。
「さて、それじゃ私も、と」
くるり、と身を翻して、サラは階下への扉を開けた。
◆
――その部室では。
「八雲君!本当にすまなかった!」
「あの、先輩、そんな……」
土下座する花井におろおろする八雲。
そこに。
「まあその、なんだ。すまね……うぉっ!」
こっ恥ずかしいので言うことだけ言っちまえ、とそれしか考えていなくて、入ってきて早々に
花井に蹴躓く播磨。
「貴様!せっかくぼ、く――」
「ンだと!?てめぇがこんなとこ……?」
ちょっとヒビの入る友情――は実は些細な問題で。
「……あの」
「……」
「……」
土下座をする花井の前にいたのは当然八雲。
その花井に躓いた播磨が倒れるのは当然前。
であるからして。
「……」
八雲を押し倒す播磨のできあがり。
「――貴様」
「なっ――!待てオイ、今のは」
ゆらり、と立ち上がるその姿に弁明を試みる。
だが。
「短い友情だったな……せめて最期はこの僕の手で眠らせてやろう」
「冗談じゃねぇっ!?」
殺気を迸らせる花井から播磨は一目散に逃げ――
「……………………先輩?」
――出すその腕の中には、何故かまたもや八雲が抱きかかえられていて。
「――――っ!」
声にならない悲鳴を上げて、けれど立ち止まることなど出来るはずもなく。
(俺が何をしたっ!?)
いろいろ、とは各方面から聞こえてきそうな声であるが、それはさておき。
「こうなったら仕方ねぇ……ほとぼり冷めるまで逃げるぜ。しっかり掴まっててくれよ、八雲ちゃん」
「あ……」
切羽詰まった表情の播磨は、自分が何を言ったかもおそらく把握できていないだろう。けれど、
その声はちゃんと八雲には届いていて。
(……名前)
初めて呼んでもらえたそれは、なんてことのない響きなのに、どこか彼女には新鮮に感じられて――
「ぐおっ!」
「きゃあっ!」
そんな感覚をしっかり捉える間もなく、廊下の角でいきなり播磨がニアミスを起こして倒れ込む。
「っつ……大丈夫か?」
「はい、私は……」
でも、という八雲の視線の先には。
「ちょっとあなた、どこ見てるの!?だいたいろう、か――」
不愉快極まりない、という表情の金髪をした女子生徒。
「……サワチカサン?」
「……」
無言で状況を確認し直す沢近。
ぶつかってきたヤツ、ヒゲ。
その腕に抱きかかえられていた女の子、天満の妹さん。
「――そう」
結論。
ヒゲが悪い。
あと、なんだかカチンと来た。
「待て、待て待て待て待てちょっと待て!話せばわか……らんだろうがせめて説明くら」
「うるさい」
ごっ、という鈍い音、そしてくずおれる播磨。
「っ!」
思わず身をすくめる八雲に、
「馬鹿と関わってると馬鹿がうつるわよ。ほどほどにしておきなさいね、アナタも」
それに私も、と小さく呟いてからなんでもないように去っていく沢近。
「……」
呆然とする八雲。
そして。
「――八雲君っ!」
その八雲に勢いそのままに抱きつこうとした花井が――
「っ!!!」
――ぶん投げられた。
「あ……」
我に返った八雲がしまった、というように力を緩めたときには既に遅く、むしろ中途半端な体勢で空中に投げ出された花井が、くるくると面白いように回転して、床に叩きつけられた。
「……ぐ、や、八雲君……見事だ……」
その言葉を最期に、花井は深い眠りに落ちた。
◆
で。
「……」
「……」
保健室に運ばれてきた二人。ちなみに、八雲は騒ぎを聞きつけてやってきたサラに付き添われるようにして既に帰宅している。
「……なあ」
「……なんだ」
何かを言おうと口を開いた播磨だったが、言葉が見つからずに、結局。
「世の中、上手くいかねぇよな……」
「……まったくだ」
播磨拳児、花井春樹。
哀愁の在庫売り尽くしとなるのはまだまだ先の様子である。