――その一晩で、街は月世界だった。


 『 らくえん 』
   〜 The beautiful Memory, The beautiful Reality, The beautiful World. 〜


「せーんぱーい、外行きましょうよ」
「……非生産的なことは嫌いなんだよ」
 目の前で両手を腰にあて、絵に描いたようなポーズで口をとがらせる少女――笹倉葉子に対して、こたつにかじりついたままの少女――刑部絃子はもごもごと反論を試みる。
「そんなこと言ってたら、バンドだってそうじゃないですか」
「ロックっていうのはそういうものなんだよ……」
「じゃあ私の絵はどうなるんですか?」
 む、と言葉に詰まる絃子を見て、葉子はここぞとばかりにたたみかける。
「『意味のあるなしじゃない、君は描きたいんだろう? なら描けばいい。それだけのことだよ』」
 誰の話でしたっけ、とわざとらしく小首さえ傾げてみせる。返す言葉の見つからない絃子は、しばらく黙り込んでいたが、やがてぽつりと呟く。
「――寒いじゃないか」
「――寒いじゃないか」
 まったく同様にそれを繰り返したあとで。
「じゃないですよっ!」
 常日頃からふわふわとした空気をまとっている彼女にしては珍しく、大きな声をあげる。
「見て下さいよほら!」
 あー、という絃子の声も聞かず、窓を開け放つ。広がるのは白銀の世界と青い空。
「これだけ積もるなんて、ここ何年もありませんでしたよ? 逃しちゃったら次なんて……」
「いや、それは分かるんだけどね」
 再び始まろうとする不毛な言い争い。しかし、それは意外な形でピリオドを打たれることになる。
 即ち。
「いーとーこーっ!」
「あら」
「……む」
 第三者の登場、である。
 その声を聞いて微笑む葉子、顔をしかめる絃子。そんな両極端の反応を引き起こした声の主は、勢い込んで駆け込んでくる。
「すっげー積もってんだ、早く行こうぜ!」
 どこに、も、なにを、もない。ただ満面の笑みで、少年――播磨拳児はそう言った。
「そうだよね、拳児君は私の味方だもんね」
「ん? どうかしたの、葉子姉ちゃん」
「……なんでもないから気にするな。まったく、こうくるとはね……」
 ぶつぶつと呟きつつも立ち上がる絃子。ん、と伸びをして、軽く頬を叩いたその顔は、つい今まで外に出るのを渋っていたようには見えないものになっている。
 結局のところ、これは彼女にしても葉子にしても結果の見えている中での一種のゲーム。それが伏兵の存在であっさりと勝敗がついてしまった、そんな話で。
「んじゃ先行ってるぜ!」
 入ってきたときと同様、疾風のように去っていく拳児を苦笑混じりに見送りつつ、残された二人も外へと向かう。玄関から一歩踏み出せば、そこに広がるのはただ二色の色彩。
 蒼天は澄み渡り、銀世界はどこまでも続き――





 ――そして、時は過ぎる。
 一人ベランダでたたずむのは、現在の刑部絃子その人。
「すべて今は昔、か。あの日に帰りたい……なんて歳じゃないはずなんだけどね」
 ぼやきつつ、隣の部屋へと目をやれば、そろそろ昼も近いというのに、カーテンは未だ閉じられたまま。どうやらその主はまだまだ惰眠をむさぼっているらしい。
『いーとーこーっ!』
 やかましいほどにはしゃぎまわっていた、あの日の少年はもういない。様々なことが時とともにゆっくりと変わっていく。
「いつまでもそのまま、なんてのも困るんだけどね。それに」
 ふっ、と小さく笑って、手にした携帯に目を落とす。表示されているのは、先程受信した一通のメール。

『雪ですよ、絃子さん』

 差出人はいうまでもない。
「変わらないものだってある」
 記憶も現実も、変わろうと変わるまいと、すべては同じ世界の中での出来事。だったらそれで十分過ぎるほどだ、と絃子は微笑む。

 ――そう、おしなべてこの世は全て『楽園』、だ。

「さて、それじゃ行こうか」

 そこに広がっているのは、あの日とは違う、けれど同じ蒼天と白銀の世界――




    ―――― The Memory is beautiful, and The Reality is beautiful, so The World is beautiful.