Precious person
冬が終わって春が来て、やがて初夏が訪れて、次第に日足は長くなったものの、それでも夜の来ない日はない――ということで、ここ、矢神町の教会にも夕暮れが舞い降りていた。
「ごめんね八雲、せっかく来てもらったのにいろいろ手伝ってもらってばっかりで……」
「ううん、そんなことないよ」
みんなと遊ぶのは楽しいし、と笑顔を見せる八雲。その周りでは、にぎやかに子供たちが走り回っている。初めてのときこそ警戒心を示していた彼らだったが、ものの一時間としないうちにすっかり『ヤクモ姉ちゃん』に懐いてしまい、今では週に数回訪れる彼女を待ち遠しにしている、といった状態である。
もー帰っちゃうのかー、などとまだまだ遊び足りない様子の子供たちを、ワガママ言わないの、と軽くたしなめてから、ちょっと苦笑するサラ。
「ヤクモ姉ちゃんヤクモ姉ちゃん、って、みーんな八雲に取られちゃったみたい」
私はお姉ちゃん失格かな、とおどけてみせる。
「そんな……」
冗談と分かっても照れてしまう八雲に、サラ姉ちゃんも大好きだぞー、と子供たち。ありがと、とその頭をなでてから、でもホントに助かったよ、とあらためて八雲にお礼を言う。
「何かお返し出来ればいいんだけど……」
うーん、と思案顔のサラに、だったら、と一つ提案をする八雲。
「明日、ウチに来る? いつも私ばっかりお邪魔してるし……」
どうかな、と普段自分から何かを言い出すことの少ない彼女らしく、控えめにサラの様子を窺う。対するサラは、嬉しいんだけど、と少し複雑な表情でちらりと子供たちに視線を向ける。
「あ――」
それを見て、教会という場所の都合上、むしろ休日の方が何かと忙しいのでは、と事情を察する八雲。そんな八雲に、参ったなあ、といった様子で先ほど同様、苦笑を浮かべながらごめんね、とサラが言おうすると。
「行っておいでよ、サラお姉ちゃん」
子供たちの間から声が上がる。
「せっかくヤクモ姉ちゃんがさそってくれてるんだぜ?」
「るすばんくらいできるって!」
「……みんな」
驚いたように周囲を見回すサラに、ただーし、と条件を付ける子供たち。
「こんどヤクモ姉ちゃんもいっしょにどこかに遊びにつれてってくれること!」
こーかんじょーけんだ、などと慣れない言葉を使って、にかっ、と笑う彼らをぎゅっと抱きしめて、うん、ありがとう、とサラ。
「――八雲」
どこか泣き笑いにも見える表情のサラに、うん、と頷く八雲。
「それじゃ、明日のお昼過ぎくらい……かな」
「そうだね……それじゃ待ってるから」
うん、と今度は満面の笑みで答えて教会の外まで八雲を見送るサラ。その姿が見えなくなるまで見守ってから、今度は子供たちにさ、それじゃみんなも帰ろうか、と声をかける。そんなサラに、サラ姉ちゃんさっきちょっと泣いてたよな、と誰かが言う。すると、まるでつられるように、よなーよなーの大合唱。
「コラ、そういうことは言わないで黙ってるの」
もう、といった様子で言ってみせるサラだが、その表情は笑顔。そしてそれが分かっているからまだまだやめる素振りのない子供たち。
そんな様子に、しょうがないなあ、と言いながらも嬉しそうに溜息を一つついてから空を見上げるサラ。
夕闇の迫るそこには、一番星の姿があった。
◆
――翌日。
「ん……」
外を行く車の音に、ゆっくりとベッドの上で身体を起こす八雲。随分と熟睡していたのか、いつになく気怠げな仕草で枕元の時計に手を伸ばす。アナログの時計の長針と短針は綺麗に重なり、正午を示している。
「十二時……」
そう呟いて時計を戻そうとした八雲の手がぴたりと止まる。
「え……?」
もう一度視線を時計に戻す。
針の後ろの文字盤には「XII」の文字――なら、時計がひっくり返っている、などということはない。
窓の外には柔らかな陽射し――なら、まかり間違っても真夜中ということはない。
――つまり。
「っ……!」
寝過ごした、という単純極まりない事態に、滅多に顔色を変えない八雲の表情に焦りの色が浮かぶ。時計を元に戻すや否や――ただし丁寧に――即座に着替えに取りかかる。着る服自体は決めてあったためそれほど時間はかからなかったものの、脱いだそれを綺麗にと畳むであるとか、きちんとベッドメイクするであるとか、生来の几帳面さがこういうところでは裏目に出るもの、そうこうしているうちにも時計の針はくるくると進んでいく。
数分後、ようやく片付けを終えてぱたぱたと急ぎ足で階下に降りる八雲。飛び込むようにして開けた居間の襖の向こうには、昼食の準備を
している天満の姿。あ、やっと起きてきたね、おはよう、と笑顔で声をかけてくる。
「……おはよう、姉さん」
その笑顔を見ると、さすがにどうして起こしてくれなかったの、などと問い詰めるわけにもいかず、とりあえずと腰を下ろす。食卓の上には料理を不得手とする――小火を出すのは不得手などというレベルではないのではないか、というのにはこの際目をつぶる――天満らしく、
シンプルにトーストとサラダの昼食。
「ほんとは朝起こそうと思ったんだけどね、なんだか八雲、あんまり幸せそうに寝てるし……」
起こせなかったよ、と笑ってみせる天満に、ごめん、と何故か謝ってしまう八雲。もちろんどちらが悪い、ということでもないのだろうが、こういうところでもそれぞれの『らしさ』が出る姉妹、といった様相。
「あの、姉さん。ゆっくりしてるところ悪いんだけど……」
ともあれあまりのんびりとしているわけにもいかず、気を取り直して天満に事情を説明する八雲。すると、今度はそれを聞いて、ごめんね、と頭を下げる天満。
「そんな、ちゃんと起きられなかった私が悪いんだよ。だから姉さんは気にしないで」
「……そう?」
申し訳なさそうにこちらを窺う天満に、そうだよ、と頷いてみせる八雲。
「……うん、ありがと、八雲」
それだけでまた笑顔に戻る天満。相手が相手なら現金とも取れる態度だが、そこが天満の魅力なのか、それをいたって自然に感じさせる。
脳天気というよりはおおらかでマイペース、それが塚本天満である。
一方、元気を取り戻した姉の姿に微笑んでから、それでね、と話を元に戻す八雲。
「午前中にお茶請けにケーキでも買ってこようかと思ってたんだけど……」
「あ、それじゃ私が行ってくるよ」
八雲のためなら、と即座に立ち上がりかける天満だったが、待って、とその八雲に引き留められる。
「ごめんね姉さん。やっぱり私が自分で行きたいから……」
「そっか。そうだよね、サラちゃんって大事な友達だっていつも言ってるしね」
その言葉に、うん、とどこか気恥ずかしそうにする八雲。そんな妹を玄関まで見送りつつ、それじゃお姉ちゃんがしっかり留守番してて
あげるから、安心して行ってらっしゃい、と微笑む天満。
「すぐ帰ってくるつもりだけど……」
「大丈夫、お姉ちゃんに任せなさい!」
どこからその自信がやってくるのか、どん、と胸を叩いてみせる。そんな仕草に思わず微笑んでから、頼りにしてるからね、と八雲は家を出た。
◆
「さて、と……」
八雲を送り出して居間に戻った天満、まずは、と洗い物を手早く済ませ、部屋の掃除に取りかかる。
「せっかく来てもらうんだから、気合い入れないとね」
鼻歌交じりにてきぱきと作業をこなしていくその姿はどこか家庭的、播磨辺りが見れば一発で、といった様子である。
ともあれ、そんなことをしているうちに、玄関の方から呼び鈴の音が聞こえてくる。
「はいはい、今出まーす」
とてとてと駆けていく玄関先、からからと開けた引戸の先にはサラの姿。
「こんにちは、塚本先輩」
「いらっしゃい、サラちゃん」
一昨年の花火の際に会って以来、八雲を介して何度か会っていることもあり、既に気安い関係になっている二人。八雲今ちょっと出てるから少し待っててね、という天満の言葉に、そうなんですか、と頷きながらその後に続いて居間に向かうサラ。
「素敵なお部屋ですね」
ぐるりと見回して、そんな感想を抱くサラ。見るからに豪勢、ということはないものの、置かれている調度品は自己主張しすぎない程度に
味のあるものばかり。そこに紛れてぬいぐるみの姿も見え隠れしているのはご愛敬、といったところになるだろうか。
「うん、そういうのって八雲が好きでね、バイト代でやりくりしてるみたい」
そうなんですか、と返事をしつつ、茶碗や漆器をじっと睨んでいる八雲の姿を想像してみるサラ。なかなかどうして、それが似合って見えて、小さく笑みがこぼれる。
「あれ?どうかした?」
「いえ、ちょっと……」
想像しちゃって、と説明するサラに、うん、あのときの八雲はすごいよ、と天満。
「なんだか真剣勝負、っていう感じだし……それに」
なんと、と重大な秘密でも話す様子に小声になる。
「値切っちゃったりするんだから」
「八雲が、ですか?」
確かに見かけによらず芯の部分では譲れないものをしっかりと持っている八雲だが、サラの知っている限り、他人に対して前に出ることは
ほとんどと言っていいほどない。
そんな驚いているサラの様子に、そうだね、と言葉を続ける天満。
「うん、八雲ってあんまり自分から出ていくっていうタイプじゃないし」
そういうときはいいんだけど、学校とかちょっとだけ心配してたんだ、と少し遠い目をして言う。
「先輩……」
「でもやっぱり心配しすぎだったよ。ちゃーんとサラちゃんみたいないい友達も出来たし」
にこにこと微笑みながら言う天満に、そんな、と少し赤くなるサラ。
「私の方こそ、こっちに来て最初に仲良くなれたのが八雲でよかった、って思ってます」
「そうなんだ。それじゃお互いいい人に会ったんだね」
どこか気恥ずかしさを感じつつも、はい、とその言葉に頷くサラ。確かに、あれ以来自分たち二人の交友関係はずいぶんと広がりを見せた、と思い出の中を振り返る。
「でも、やっぱり八雲は八雲だよね。サラちゃんみたいにもっとみんな分かってくれたらな」
暖かい眼差しでそう口にする天満に、私のことはともかくとして、と断ってから、そうですね、と頷こうとして。
「――あ」
そうか、と一つのことに気がつくサラ。
「あれ?私おかしなこと言ったかな」
「そんなことないですよ。ただ……」
「ただ?」
首をかしげる天満に、分かったんです、と笑顔で言うサラ。
「どうして八雲が塚本先輩のことが好きなのか、その理由」
「え?なになに、どういうこと?」
「ダメです、こういうのは秘密だからいいんですよ」
その言葉に、むむ、と眉をひそめて考え込む天満に小さく苦笑しつつ、ぴんと指を立てて、それじゃヒントです、とサラ。
「八雲が塚本先輩のことを話すときなんですけど――」
うんうん、と頷く天満。
「――姉さんは姉さんだから、って。嬉しそうによくそう言ってるんです」
それが先ほど言った自分の言葉と同じだと気づいているのかいないのか、それがヒント、と考え込む天満。その姿に、そういうところが
ですよ、と思いながらも口にしないサラ。
空回り、勘違い、失敗することはあっても、いつだって一生懸命、どこを向いても常に全力のベクトル。
詰まるところ、そんな『塚本天満らしさ』こそが彼女の魅力そのものであり、それを無償の愛情として受け取っている八雲からしてみれば、好きになる道理こそあれ嫌いになる理由はない、といったところ。
姉さんみたいになりたい――そんな八雲の言葉を思い出しながら、まだ難しい顔をしている天満に、そんなにややこしく考える必要ないですよ、と言おうとするサラ。
――と。
「ただいま」
玄関の方から声がする。
「あ、帰ってきたみたいだね、八雲」
「ですね」
つい今しがたの表情はどこへやら、ぱっと明るい表情に戻る天満。さっきの答え、今度までに考えておくからね、と宣言までしてみせる。
分かりました、と笑顔でサラが頷いていると、廊下から顔を出す八雲。
「いらっしゃい」
ごめんね、待たせちゃって、とこんなときまで律儀に謝ってみせる八雲に、そんなことないよ、とサラ。
「塚本先輩ともいろいろお話し出来たし、全然気にしてないよ」
「ありがとう、サラ」
その言葉に笑顔でそう返し、それじゃもうちょっと待っててね、と台所に向かう八雲。
「あ、私も何か……」
それを見て立ち上がりかけたサラに、だーめ、と立ち上がって腰に手を当てる天満。
「お客さんはじっとしてるのが仕事なんだよ」
それじゃ待っててね、と八雲の後を追うように台所へぱたぱたと駆けていく。やがて聞こえてくるのは、にぎやかな姉妹の声。お茶の準備一つでお祭りめいたその様子に、ちょっと困ったような、でも優しげな八雲の表情が脳裏に浮かぶサラ。
「……お姉さん、か」
くすりと微笑みながら、思わずそんな言葉がこぼれる。
窓の外に目を向ければ、穏やかな風が吹く晴天の空。見上げる日はまだまだ高く、これからやってくるだろう時間のことを思って、サラはもう一度微笑んだ。