夏の終わりに




 ――時は流れて季節は移ろう。
 言うまでもなく誰もが知っていることで、そしてその中で様々な物事も変化していく。

 絶対は存在しない。

 突き詰めれば矛盾したことだが、少なくとも真理の一面ではある。
 万物流転、なるほど然り。
 すべては泡沫の夢のように儚く消えて、また生まれ出る。そうやって続いていく。

 ――さて。
 それでは始めよう。
 夏の終わりの、ささやかに、けれど確かになにかが変わった、そんな話を。





 地平に向かって傾いた太陽が、緩やかな黄昏の光を放っている。その光に照らされながら家路についている二人の少女――塚本八雲とサラ・アディエマス。彼女たちにとって、今日は夏の終わりだった。

 動物たちに始まり動物たちに終わる――二人から見ればそんな夏だった。
 茶道部の顧問でありクラスの担任でもある刑部絃子、彼女の頼みで短い期間とはいえ世話をすることになった動物たち。彼らとの出会いこそが夏の始まりだった。

 おっかなびっくりながらも、基本的に大人しく人懐っこい彼らと過ごした日々。いつしかそれが日常へと変わり、さながら終わらない夏休みのようにいつまでも続くような気がした毎日。そんな毎日も、二学期の始まりという現実の前に幕を下ろした――かのように見えた。

 ――けれど、物語には第二幕が準備されていた。
 即ち、彼らの主人たる播磨拳児の我儘とさえ呼べる主張がもたらした、小さな戦い。ほんの数時間にすぎなかったそれは、しかし確かにその日起こり、そして終わった。関わったそれぞれに、それぞれの想いを抱かせて。
 これは、そんな帰り道。

「それにしてもホントにすごかったよね」
「……うん」

 最善とは呼べないかもしれない、それでも最悪では決してなかったその決着に、満足げな様子のサラ。肩の荷が下りた、といった彼女に対し、八雲はなにかを考え込んでいるような様子をみせている。
 常からあまり表情を大きく動かすタイプではない彼女だが、それにしたところで今はお世辞にも喜んでいるとは言い難い雰囲気。サラへと返す返事もどこか生返事、心ここにあらず、といった様子である。

「私なんか、どうなっちゃうんだろうってずっとドキドキだったよ」
「……うん」

 八雲の脳裏にあるのは、ただ一つの光景。
 拳児に寄り添う動物たち、そして別れを惜しむように彼らを抱きしめ、人目もはばからず涙を流す彼の姿。
 その光景が、不思議と焼き付いて彼女の頭から離れなかった。

「八雲はどうだった……って、八雲?」
「……うん」
「やーくーもー」
「……え? あ、ごめんサラ」

 ここにいたってようやくサラの声に気がついた、という様子の八雲に、いいよ、と笑ってみせるサラ。ほんの少しずれたところのある友人と付き合うにあたって、この程度のことは問題になりはしない。むしろ、そうやってなにか一つのことに集中出来るのは、うらやましいとさえ思っていたりもする。

「ちょっと気になることがあって……」
「気になること、か。それってさ」

 動物たちのこと? ――そう尋ねてから。
 ほんの少しだけ考えて、続く言葉を口にする。

「――それとも播磨先輩のこと?」

 特に根拠があったわけではない。二人が知り合いである、ということは八雲からキャンプの話を聞いて知っている。サラからしてみれば、手元にあった情報はただそれだけ。
 それでも、彼女のささやかな直感、そして持ち前の好奇心がその問を紡がせていた。
 そして。

「え、と…………両方、かな」

 それが八雲の返事。
 どちらかだけ、ということはない。その光景の中で、彼女にとって両者は絶対不可分の存在だった。

「――そっか」
「サラはどう思う?」
「どっちも大丈夫だよ、きっと」

 これもまた根拠はない。それでも、ごく短時間ながら接した拳児の人となりから、なんとはなしにそんな空気を感じ取っていたサラは、当然のようにそう言ってから、空に向かって歌うように呟く。

「それにしても、両方、か」
「サラ……?」
「なんでもないよ。気にしない気にしない」
「……?」

 きょとんとした様子の八雲に笑いかけ、それじゃいこっか、といつのまにか止まっていた足を再び前に踏み出す。うん、と頷いて自分も歩き出す八雲。
 そんな二人のあとを、夕陽に照らされた二つの影法師がのんびりと追っていた。



 ――さて、一方。
 こちらはまだ神社に残っている絃子と晶。少し離れたところでは、未だに動物たちに囲まれている拳児の姿がある。

「ご苦労様でした、刑部先生」
「いや、君たちにも手間をかけた」

 そこで一つ溜息をついてから、そもそも身内の問題だしな、そんなぼやきをもらす絃子。

「なにかおっしゃいましたか?」
「うん? なんでもないよ、なんでも。うん。それよりなにか訊きたいことがあると――」
「はい、一点だけ」

 あからさまになにかを誤魔化している、そんな態度の彼女にあえてすぐには踏み込まず、元々想定していたステップ通りに駒を進める晶。

「――先生と播磨君の関係についてなんですが」
「赤の他人だ」

 一拍の一瞬の刹那の間もなく、即座に否定の解答がやってきた。むしろ、それ故になにより雄弁な『肯定の解答』であるところのそんな返事にも、なに喰わぬ顔で、そうですか、と答える晶。この場においては彼女の方が一枚上らしい。

「……それにしても」

 しばらくして、満足のいく解答を得た晶が再び口を開く。視線の先には未だに泣きじゃくる拳児の姿。

「ああ、彼か。学校でもあれくらいかわいげがあれば、ね」
「まったくです」

 そんなことを言われているとは露知らず、一頭一頭と別れの挨拶を交わす拳児。生涯忘れえぬ記憶が――少なくとも彼の方には――刻み込まれ。
 ――そうやって、彼ら彼女らの夏は終わりを告げた。



 ――翌日。

「なにをしているのかしら、播磨君」
「ん? お、おう。あー……」

 どうやら自分の名前が思い出せないでいるらしい拳児に、高野よ、と晶。それで、なにをしているのかしら、そうもう一度問を重ねる。

「用があるなら入って構わないのだけど?」
「いや、なんつーかな、こういうのって部外者がずかずか入ってっていいもんなのか?」

 昨日は無理矢理連れてこられたみてぇなもんだし、と気恥ずかしそうに頭をかく。妙なところで律儀な彼のそんな様子に、珍しく小さな笑みをみせる晶。

「別に構わないわ、君はある意味もう部員みたいなものだし」
「そうなのか……? まあ、コレ持ってきただけなんだけどよ。昨日は世話になったからな」

 その手に提げられているのは、近隣でもそれなりに有名な店の菓子折。不良と逸品、というあまりお目にかからない組み合わせに晶がわずかに首を傾げると、コイツか?、と拳児がその菓子折を指し示す。

「イトコにせっつかれたんだよ。なにか持ってくんならコレにしろってな」
「――イトコ」
「っ! 従姉弟、従姉弟な。うん、従姉弟だ」
「なにを焦っているの? 別に私はなにも言っていないのだけれど」
「いやそれはだな……まあいい、気にすんな。んじゃ確かに渡したからな」

 そう言って即座に退散しようとするその手をつかむ晶。構わず走り去ろうとする拳児だったが、思いの外強い力にがっちりとつなぎ止められ願いは叶わない。

「せっかくなんだから寄っていくといいわ。積もる話もあるだろうし」
「は? んなもん別に……っておい、ちょっと待て!」

 抗議も虚しく、そのまま部室へと引きずり込まれる拳児。
 あれ、先輩――そんなサラの声と。
 播磨さん? ――そんな八雲の声と。
 その二つに迎えられた彼の背後で、無慈悲にドアを閉じられて。
 ――かくして、茶道部に特別男子部員が一人、誕生したのだった。





 かくして、男子禁制――そんなまことしやかに囁かれていた神話はものの見事に打ち砕かれ、茶道部には再び命知らずのチャレンジャーが大挙して訪れることになった……のだが、その末路は言うまでもない。
 こうやって、変わらないと誰もが思っていたことさえも、ゆっくりと変わっていく。
 そして、それは物事だけに限らず、人の心にしても同様である。
 心という名の湖面に起きた小さなさざ波は、やがて大きな波となって周囲に伝播していくこととなるのだが、それはまた別の話。

 ――ともあれ。
 こうして、ささやかな幾つかの出来事が起きたその夏は、最後の幕を静かに下ろした。