星降る夜には、そんな気分になることだってあるのだ。
だから、願った。
Shooting star
「……ごめんね、か」
しんとした夜の闇の中で呟く。言葉に続いて送り出された吐息は、透明な空気の中で白く煙って見える。漆黒の背景に光の粒を散らした夜空は、なんの返事も返さずただ静かにそこにある。そんな当たり前のことに、声の主――結城つむぎはもう一つ溜息をつく。再び空気が白く染まり、そして消えた。
季節は急ぎ足で秋を通り過ぎ、もう冬と呼んでも差し支えない。日中も厚手の上着が手放せなくなり、ましてや夜間は言うまでもなし。街はクリスマスの気配に染まっているとはいえ、一人出かけるのはそれなりに酔狂な行為だ。
そんな中、彼女が空を見上げているのは今日がそうするべき日――流星群が見られる日だからである。三大流星群の一つに数えられるそれを見るのは、つむぎにとっては欠かせないイベント。同好の士とともに、空気の澄んだ山中にさえ足を伸ばすほどのもの――だった。本来ならば。
しかし、今年彼女が選んだ場所は自身の住まう矢神市内、神社の裏を抜けた先にある小さな高台――天文部の活動の一環として、いくつか見繕っていた場所のうちの一つ。確かに近場ならばベストポジションだと言えるが、当然ながら例年に比べればランクは落ちる。
けれど、それでもつむぎは今年、その場所を選んだ。理由はただ一つ。彼と同じ街で、同じこの空の下で、それを見たいと思ったからだ。彼、とは無論、言うまでもない。
――それなのに。
「重症、かな」
夜の空気に包まれていると、あのときの光景が脳裏をかすめる。自ら立てた目標から逃げることをよしとしない、そんな彼女でさえ無謀と判断するその試み。それをいっそ諦められるかもしれなかった――けれど出来なかった、苦い記憶。
自分はいったいなにに負けたのか。
答の出ない問いかけ、そして『ごめんね』という言葉がくるくると回り続ける。あの言葉にどれだけの意味が込められて――
「おや、結城君じゃないか」
聞こえるはずのない声に思考が途切れる。え、なんて間の抜けてるとしか言いようのない声がもれ、とくん、と鼓動が不自然に跳ね上がる。
だってそれは。
「花井、君……?」
それは彼――花井春樹の声だったから。
「なにをやっているんだ? もう夜も遅い、こんな所に一人でいては危ないぞ」
「え、あ……そ、それなら花井君だって一人だし」
しどろもどろになりながらもどうにか紡いだその反論は、返す言葉であっさりと打ち破られる。
「ん? 別に僕は一人というわけではないぞ」
一人じゃない。
前提条件はそれ一つ、けれどそれで十全。導かれる解答は考えるまでもない――
「どうかしたのか……って、あれ、結城さん?」
果たして、彼のあとから現れたのは、つむぎの想像通り周防美琴の姿だった。先程とは違う意味で、再び早くなる鼓動。対し、美琴の方もどことなくばつの悪そうな顔。なんとなれば、行事が立て込んでいたせいもあって、件のゲーム以降、あまり会話をする機会のなかった二人。わだかまり、と言っては大袈裟だが、双方ともに抱え込んでいるものはある。一瞬、そんな微妙な空気が場を支配しかけるが、
「偶然ここで会ったんだが……もしや家出か?」
「そんなわけないでしょっ!」
春樹の一言であっさりと霧散する。相変わらずのズレた部分に感謝しつつ、流星群よ流星群、と続ける。
「そうだよな。っつーかさ、花井はもうちょっと頭使えよ」
「なに? この僕に頭を使えとは……」
「はいはい、分かったよ。……にしても、ここって結構とっときの場所だったんだけどね。知ってたんだ」
「うん。これでも一応天文部だし」
そっか、と頷いて、一拍間を置く美琴。すっ、とわずかに大きめに息をするその姿を見て、つむぎの方も、来るんだな、と直感する。
「こないだはさ、その……」
「ううん、気にしてないよ。私の方もちょっと大人気なかったし、それに」
予想通りに投げかけられた言葉に、彼女は答えた。
「ゲームだったんだから」
ゲームだから。
自ら口にしたその答えは、つむぎ自身に予想外の動揺を生む。
つまり、だからこそあれほど自分は『本気』になれたのではないだろうか、と。
今まで口に出したことも、素振りさえ一度も見せたことのない秘めた想い。それを激情とさえ言える形で表に出せたのは、あれがゲーム――単なる遊戯にすぎなかったからではないのか。そんな思いがつむぎの頭をよぎる。事実、あれから現実はなんの変化も見せてはいない。変わらない、変われない、自分。
そばにいられるだけで幸せだ。
報われなくても構わない。
そんなことを言えるほど、この気持ちは甘くない。
もっと強くて。
もっと激しくて。
そして、もっとどろどろしたものだ。
あのとき、確かに自分は周防美琴という存在を打倒しようと思っていた――そう振り返る。
「確かにあれは熱くなりすぎていたな、周防らしくもない」
「っ、なに言ってんだよ。花井だってあのあと……」
にもかかわらず、今目の前にあるこれが現実だ。彼の隣には彼女がいて、そして楽しげに会話を交わす二人を微笑ましいとさえ思っている自分がいる。笑い話にさえならない、絶望的にも過ぎる状況。
「いくらなんでも『美コちゃん』はないだろ」
「くっ、あれはだな……」
なのに、悔しいけれどやはり微笑ましいその光景が、不思議とささくれだった心を癒してくれる。気心知れた相手だからこそ出来る、親友という言葉に相応しい――
『――そっか』
そこでようやく思い出す。
そんな、なんだかとても絶望的な気がする恋は、けれどまだ誰もスタートラインに立っていない――そう、美琴さえその場所にはいないのだ。
二人の走るべき距離には信じられないくらいの差がある。それでも、まだなにも始まってはいない。
勝負はフタを開けてみるまで分からないし、越えるべき山は高いほど登りがいがある。
それは見失いかけていたつむぎのポリシー。
「まあまあ、せっかく見に来たんだからさ、仲良く見ようよ」
やるべきことさえ見つかれば、あとはただそれに向かうのみ。戦うべきは他人ではなく自分、そして果たすべき目標。ただそれだけ。抱えていたわだかまりは消えないけれど、これから乗り越えていかなければならないもののことを思えば、それはもはや障害でさえない。
だから彼女は微笑んで二人に声をかける。今日はそれでいい、そう思えたから。
「……うむ」
「ごめん、そうだね」
そして、互いに申し訳なさそうにしている二人の間に立って空を見上げる。彼方を流れる光の姿はまだない。
『流れ星、か』
星に願いを。
そんな言葉はあるけれど、それで願いが叶えば誰も苦労などしない。ましてやただの他力本願は、彼女が最も嫌うものと言っても過言ではない。
それでも。
それでも、星降る夜にはそんな気分になることだってあるのだ。
『なにがあっても、最後にはちゃんと笑えますように』
――だからそう願った。
甘い甘い、偽善にも似た願い。
それでも、どうせ願うなら大きい方がいい。叶えてくれるならそれに越したことはない。もしも駄目なら。
『自分で叶える』
つむぎが願いにも似た誓いを胸の内で立てたとき。
その晩最初の星が、空を流れた――