刑部絃子は子供のような大人である。
 イタズラに悪ふざけ、およそ子供のような行為を大人の知恵を以て実行する、そんな女性である。
 したがって。
「イトコ、今日暇か?」
 その無愛想な居候がぶっきらぼうに声をかけてきたとき、次のような会話が交わされたのは、ある種当然であると言える。
「拳児君」
「な、なんだよ。んなマジな顔しやがって」
「熱でもあるのかな? 君の方から私の都合を訊いてくるとは」
「うるせぇっ! で、どうなんだよ」
「これと言って用事はないが……一体何かな、そんなにムキになって」
「……寝ぼけてんのか? 今日はテメェの」
「おお、そうか。今日は私の誕生日だったね。去年はどこかの誰かさんが見事にすっぽかしてくれたからね、すっかり忘れていたよ」
「くっ……」
「いや、あのときは来年はどうしてやろうかといろいろ計画も練ったけどね、今の今まで思い出せなかった。人間忘れるときは忘れるものだ、なあ拳児君?」
「だぁっ! 俺が悪かったよ謝りゃいいんだろ謝りゃ。スミマセンでした絃子さん! ほらよ」
「誠意が感じられないが……まあよしとしよう。それで、どんな趣向なのかな? 君にあまり無理をさせるのも私としては心苦しいところだし、一応聞かせてくれ」
「んなおおげさなもんじゃねぇよ。近所でいつも祭やってるだろ、あれに行かねぇか」
「祭……」
「昔よく行ってただろ……ってなんだよ、何がおかしいんだよ」
「いや、悪い。そうだな、君が選ぶプレゼント、というのも見てみたい気がするが、それよりこっちの方がずっといい。うん、君にしては随分と気が利いているね、拳児君」
「お、おう」
「さて、そうと決まったならちょっと出かけてくるよ。どうせ行くのは夕方からだろう?」
「別に昼間っからやってるだろ、あそこ」
「馬鹿者、そういうのを風情がないと言うんだ。まあいいさ、とにかく出てくる。ちゃんと戻ってくるから心配せずに待っていてくれ。なに、私はすっぽかしたりしないさ」
「イトコ、お前やっぱ根に持って……おい!」
 最後まで嬉しいとは決して口にしない、それが若干ひねくれた彼女らしさであり、それでも隠しきれずに口の端に浮かんでいた笑みを見逃してしまうのは、鈍感な彼らしさ、といったところか。
 ともあれそうやって、舞台の幕は騒がしく上がる。


Sparkling Soda


「ったく、遅ぇぞ。どこ行って」
 やがったんだ、と続くはずの言葉を思わず飲み込んでしまう拳児。何故なら。
「相変わらず気が短いな君は。別にそんなに遅くは……と、なんだその顔は。あのね拳児君、あまりこういうことはとやかく言いたくはないが、そんな風にして人を見るのはよくないと思うよ」
「いや、つーか絃子、その髪……」
「ん? ああこれか」
 なんでもないことのように答えた彼女の長髪は、アップにして上に綺麗にまとめられている。
「切ったわけでもないんだから、驚くこともないだろう? さて、それじゃ着替えてくるからもう少しだけ待っていてくれよ」
 そう言うやいなや、さっさと部屋に引き上げてしまう絃子を呆然と見送る拳児。最後に目に入ったのは、日に焼けることなく白いままのそのうなじ。どういうわけか、それが脳裏に焼き付いてしまって――
「……絃子だぞ、絃子」
 何考えてんだ、と首を振って頭からその映像を追い出す。それでもどこか落ち着かない心に、見る番組もないのにテレビをつけて適当にチャンネルを回す。よく分からないドラマの再放送にくだらないバラエティ、そんなものが、ぼう、とした拳児の視線の先でくるくると切り替わっていく。
「何をやってるのかな、君は」
 どれくらいそうしていたか、いつのまにか部屋から出てきていた絃子の声に我に返る拳児。別に何でも、と答えようとして振り向いて、またしても、そして今度は完全に固まる。
「これを着るのも随分と久しぶりだが」
 ぽかんと口を開けている拳児の前で、くるりと回ってみせる。
「私もまだまだ捨てたもんじゃないだろう?」
 そこにいたのは、浴衣を身にまとった絃子だった。
 その姿に言葉もない拳児、そしてそれを見て表情を曇らせる絃子。
「……今、似合わないと思ったね?」
「なっ、んなわけねぇだろ! 十分……」
「似合ってる、か。それはよかった」
 ついいましがたの表情が嘘のように、いつもの笑みで意地悪く告げる。対する拳児は仏頂面で唸るほかに仕方がない。そんな様子を見て満足したのか、それじゃ行こうか、とその腕を差し出す絃子。
「……あん?」
「まったく、女性をエスコートするのは男性の役目だろう? それとも私ではご不満かな? 拳児君。腕を組むのが嫌だというなら、手を繋ぐだけでも構わないぞ」
 ほら、と再度突き出されるその腕に進退窮まる拳児。くっ、と呻きつつも、やがて覚悟を決めたのか、おずおずとその手を取ろうとして。
「なんて顔してるんだ、冗談だよ冗談。さ、行くぞ」
 あっさりとそれを絃子にすかされる。もちろん、ちゃんと腕を組みたかったのかと訊かれたならば、どう考えたところでそちらの方が恥ずかしいに決まっているわけなのだが、どこか釈然としない気持ちになる拳児。そうこうしている間にも、玄関では赤い鼻緒の下駄をつっかけた絃子が、早く来いと手招きをして呼んでいる。
「ったくよ……」
 ぼやきながらも歩き出す。その視線の先では、待ちきれない様子でドアを開けて出て行く絃子の姿。そして、からんころんと下駄の鳴る音が響いていた。





「一つ頼むよ」
 丁度日も落ちる頃、祭の会場に着いた絃子がいの一番に頼んだのは。
「お前な、いきなりビールはねぇだろ」
「いいんだよ、これくらいで酔いはしないさ。君も知ってるだろう?」
「そういう問題か……?」
 そんなことを言いながら足を踏み入れた祭の中は、それなりの盛況ぶりでかなりの人混みを見せている。自然、はぐれないように近くなる二人の距離。
「しかし久しぶりだね、君とここに来るのは」
「ん……そうだっけか」
 どこか生返事の拳児に眉をひそめる絃子。が、そわそわしたようなその素振りにすぐにその訳に気がつく。
「成程、ね」
「おい、んなくっついてくんじゃねぇよ!」
「うん? 私は何もしていないよ。人が多いから仕方がないんだよ、おっと」
 冗談とも本気ともつかない口調でさらに身を寄せてくる絃子に、顔を真っ赤にしながらも逃げるようにしてその足を速める拳児だが、人が多いのは紛れもなく事実。結局、その背中には絃子がぴったりとくっついているような恰好になってしまう。
「それじゃまずはあれだな」
 ひとしきりそれを楽しんだのか、やがてすっと拳児の身体から離れた絃子が指差したのは。
「射的か」
「やれやれ、なんだそのやる気のない反応は。折角なんだから楽しまないと損だよ。それに射的と言えば……」
 そこで言葉を切り、拳児の顔をじっと見つめる。
「……なんだよいきなり」
「いや、覚えていないならいいよ」
 わずかに曇る絃子の表情。それを見て、直後に来るであろう攻撃を避けるべく、焦る拳児。
「ああいや待て。今思い出すすぐ思い出す!」
「いいよ、別に。ただの昔話さ、気が向いたら後で話そう」
 そんな反応にふっと笑ってから、出店の主人に声をかける絃子。
「やあ、今年は来たよ」
「お、姉ちゃん。最近見ねぇからどうしてるかと思ってたよ」
「いろいろあってね。それでも腕は鈍っていないつもりだよ」
 そうかい、そりゃよかった、と笑いながら、もう何年ここで現役を張っているのか、すっかり古びた銃を手渡す主人。
「今日はそうだな……二発で決めて見せようか」
「そりゃまたずいぶん強気だな。なんだ、連れがいるからいいトコ見せようってのかい?」
「まさか、客引きには目立った方がいいだろう?」
 気心しれた古くからの知り合いの、冗談めいた丁々発止のやりとり。そんなものを見せてから、通常とはかなり離れた位置に立つ絃子。
「んな大口叩いて大丈夫なのか……?」
「その言葉はありがたく受け取っておくよ。だがまあ、見ているといい」
 近寄って声をかけてきた拳児にそう答えてから、すっと右腕を前に伸ばす。左腕を使わず、片手一本で支持された銃は、微動だにせずぴたりとその狙いを定める。冷たい色を浮かべ細められたその瞳に、周囲の空気も緊張感を増していく。
 一種異様なその雰囲気に次第に人だかりも出来ていく中、その一発目が放たれる。パン、という乾いた音。
「……ハズレじゃねぇか」
「だから二発なんだよ、兄ちゃん」
 ぼやいた拳児の横でささやく主人。どういうこと、と訊き返す間もなく二発目が放たれて。今度は、コトリ、という音を立てて、一番小さな標的――キャラメルの箱が倒れる。わ、と沸くギャラリーにも涼しい顔の絃子。なんでもないようにして、主人に銃を返す。
「その距離から狙って当てられる出来じゃねぇんだけどな。まったく、大したもんだよ」
「腕は鈍っていないといっただろう? それじゃこれはもらっていくよ」
「ああ、またな姉ちゃん」
 俺の後は姉ちゃんに継いでもらうからな、などという軽口を背に受けて軽く手を振りつつ、拳児を連れ立ってその場を離れる。
「すげえな、絃子」
「あれくらいは、ね。だがまだまだだよ、世の中には一発目で当てる人間もいるからね」
「まぐれじゃねぇのか、それ」
「……そうかもしれないな。まあ、上を目指すのは悪いことじゃないだろう? それじゃ、次行こうか」
 小さく肩をすくめてから拳児の手を取って歩き出す絃子。ちょっと待て、という抗議の声にもその足は止まることなく、祭の中心へ向けて加速していく。軽く、踊るように。





 その後も金魚すくいにヨーヨー釣り、わたあめ焼きそばエトセトラ、と隅から隅まで周り尽くし、引っ張り回された拳児。今は祭の会場を離れ、最後の締めである花火を見るべく近くの高台に向かって歩いている。
 あのざわついた雰囲気も次第に遠ざかり、閑静な住宅街を支配しているのは静の空気。自然、二人の間にも穏やかな静寂が流れ、絃子の手元で水音を立てるヨーヨー、そしてその下駄の音だけが辺りに響いている。
 やがて、道は舗装されたそれから砂利道へと変わり、下駄の音は聞こえなくなるが、それでも二人は黙ったままで歩いていく。絃子は元より、拳児でさえその空気を壊してしまうことにどこかためらいを覚えていた。
 そんな風にして辿り着いた高台は、眼下に街を一望出来る場所だった。それほど珍しいわけでもない街の灯りが、何故か今日は特別なものに見えて、絃子は静かに口を開く。
「なあ、拳児君」
「ん?」
「さっき射的の話をしただろう? あれはね、君のことなんだよ」
「……は? 俺?」
「そうだよ、綺麗さっぱり忘れてるみたいだけどね。もう大分前になるかな、初めて君と一緒にあそこに行ったときのことだ。どういうわけか、何度やっても一発目で当てるんだよ」
 まぐれにしちゃ出来すぎだろう、と微笑む。
「なんだかそれが悔しくてね、ずっと隠れて練習してた。そしてようやく見せられる腕になった頃には」
「俺の方が忘れてた」
「そう、それだけの話だよ。他愛のない思い出さ」
 その言葉に重なるようにして、花火が打ち上がり始める。どん、という大きな音とともに、夜空に大輪の花が次々に咲き、そしてすぐに散っていく。
 そんな光景を、しばらく口をつぐんで見つめていた絃子が、再び口を開く。
「あらためてこうして見ると、儚いものだね……だが、確かに綺麗だ」
 だから、と言葉は続く。
「オンナというものは憧れるんだよ。一生にただ一度だとしても、それでも輝けるその瞬間に」
 謳うようなその言葉。それを聞いた拳児は呆れたように返事を返す。
「絃子にゃ関係ねぇ話だよな。一瞬どころかいつでもどこでも光りっぱなしだろ」
 一瞬の静寂、そしてそれを打ち破る、どん、という音。
「……私が?」
「あのな、ビール一杯で酔っぱらってんじゃねぇぞ。そんだけ好き放題やっといてお前が光ってるうちに入んねぇんなら、世の中なんて真っ暗だろうが」
 その台詞を最後に、再び二人の間には沈黙が降りる。花火の音だけが鳴り響き、夜空を華麗に彩っている。しばらくそれを呆然としたように眺めていた絃子だったが、やがてくつくつと笑い出す。
「そうか、そう言ってくれるか、君は」
 吹っ切れたように、よし、と大きく一つ伸びをする。
「じゃあ帰ろうか」
 そう言って、まだ花火が打ち上がり続けている夜空に背を向ける。
「いいのか、最後まで見てかなくてよ」
「ああ、構わないよ」
 浮かべているのはいつものシニカルな笑み。それを見て、拳児もふん、と小さく笑ってからその腕を取る。
「拳児君……?」
「結局何もしてねぇからな。……今日だけだぞ」
 ぶっきらぼうに明後日の方を向いて言う拳児に、そうか、と絃子も答えて。
「それじゃ、私も今日だけは」
 身体を預けるように、その肩に身を寄せる。思わず逃げようとする拳児だが、絃子はその腕をつかんで放さない。
「さて、行こうか」
「…………おう」
 背後からの花火に照らされて、一つになったその影を追うようにして。
 二人はゆっくりと歩き出した。