St. Valentine's Day
バレンタイン。
一大決心を胸に秘める人もいれば、お菓子品評会としか見ていない人もいる。
けれど、それが年に一度の日、というのは誰もが了解していることで。
結局、やはりその日は特別な一日と呼べるのだろう、誰にとっても。
さて、そんな二月十四日、いつものように天満の机に集まっている面々。
「みっともないわね、なんだかみんな殺気立っちゃって」
「そう言うなって。仕方ないだろ、今日はさ」
それより、とぐったりしている天満にどうしたのさ、と尋ねる美琴。
「……烏丸君、来てないんだよ」
「そりゃあ……」
せっかく一生懸命作ったのに、とどんよりした表情。
「特製のカレー入りチョコ……」
「天満、あなたね……」
「……それは渡せなくてよかったんじゃない?」
「八雲は不思議な味だね、って言ってくれたよ……?」
『それ、多分褒めてない』
思いはすれど、口には出来ないその言葉。
そして。
(天満ちゃん……)
話を聞いていた男が一人。言わずと知れた播磨である。
いつものように机に突っ伏して、ただし今日は眠っているわけではない。実際のところ、つい先ほどまで熟睡していた――前日に気合いを入れすぎて、朝からずっと――のだが、そのにぎやかな声に目を覚ました、というところである。
そして、起き抜けにいきなりのこの会話。
(こりゃ寝たフリしかねぇ……)
別にそんなことはないのだが、播磨としては天満のそんな様子は見なかった、ということにしたいらしい。
「な、なあ、沢近はどうなんだよ」
そんな播磨はさておき、どことなく微妙な空気に無理矢理話を変える美琴。
「くだらない……って言いたいところなんだけどね。ちゃんと作ってきたわよ、クラス全員分」
誰かにだけ渡すなんて不公平じゃない、と言い放つ。
「不公平っていうのは違う気もするけど……でも私も作ってきたよ、みんなの分」
そう言ったのは、少し復活気味の天満。
(何!?)
そしてそれにぴくり、と反応する播磨だったが、今このタイミングで動くわけにもいかず、じっと耐える。
「やけに配ってると思ったら……ま、その方がらしい、か」
苦笑めいた表情の美琴に、何よ、と食ってかかろうとした沢近だったが。
「――全員分」
ぽつりと呟いた晶に首をかしげる。
「何?別に問題ないと思うけど」
「じゃあ、播磨君の分もあるんだね」
そう言って、隣で机に突っ伏している播磨のサングラスの向こうの瞳を見る。
(……コイツ、起きてるの気がついてるだろ)
思いつつもますます動けない播磨。
「……」
一方、言われた沢近は一瞬動きを止め、しばらく考えるような素振りを見せてから。
「一つ作りすぎちゃったわね」
しれっとそう言った。
(……この金髪が)
天満ちゃんにもらえりゃてめぇのなんていらねぇんだよ、と思いつつも、こうまで言われてしまえば腹も立つというもの。思わず起き上がろうとするが、なんとか自制する。
「……お前さ、なんか恨みでもあるの?」
「あるわよ、いろいろ!」
「いろいろってどんな?」
「それは……」
呆れ顔の美琴には噛みついたものの、天満の疑問には答えられない沢近、強引に話題を変える。
「いろいろはいろいろなの!……それで、晶はどうなのよ」
「私は――」
美琴はやれやれ、という顔をしていたが、晶はいつものポーカーフェイスで平然と机の横にあったそれを取り出して、どん、と置く。
「すごーい!ケーキだ」
「さすがね……でもどうするの?この大きさ」
「茶道部でティーパーティー」
そう言ってから、来る?、と尋ねる晶。
「ん?いいのか?」
「元々呼ぶつもりだったし」
「それじゃ早く行きましょう」
話題が逸れたのをいいことに、さっさと移動しようとする沢近。
(なっ!待て、俺はまだ天満ちゃんから……)
焦る播磨。
「私、まだ播磨君の分渡してないんだけど……」
「いいのよ、寝てる方が悪いんだから」
どうせしばらくこのままよ、後で戻ってくればいいじゃない、とさらに急かす。
このクソアマ、と思いかけた播磨だったが、ふと気がつく。
(後で天満ちゃんが持ってきてくれる……?)
夕暮れの教室。
眠っている自分。
そこに。
「もう、しょうがないな、播磨君」
優しく起こしてくれる天満。
「はい、どうぞ」
「天満ちゃん、俺は――」
(コレだ!)
いつも通りに何かが致命的に間違っている想像。しかし、播磨にとってそれはもはや真実以外の何物でもない。
「でも……」
「い・い・か・ら!さ、行きましょう」
その間も沢近の攻勢は続く。
が。
(たまにはいいこと言うじゃねぇか……)
あげくそれに感謝までしてみたりする。
「うん……」
結局、後ろ髪引かれるような声を残して離れていく天満の気配。それを感じつつ。
(待ってるぜ、天満ちゃん――)
播磨は再び眠りについた。
◆
数時間後。
夢うつつの状態の中、播磨は足音を耳にした。
(ん――)
それは次第に近づいてきて、目の前で止まり。
(――俺は)
机の上に何かを置く気配。
(天満ちゃん!)
一気に覚醒する意識とともに、がばっと身を起こす。
「っ!」
が。
「……?」
目の前にいたのは。
「――――」
「……サワチカサン?」
沢近愛理、その人だった。
「……」
「……」
沈黙。
「……」
「……」
静寂。
と、そこに。
「愛理ちゃん、ちゃんと渡せた?」
最高のタイミングで現れる天満。
「心配だから来てみた、んだけど……」
そこにいるのは黙って見つめ合う二人。
「……なんかお邪魔しちゃったみたい、だね」
あはは、とどこか乾いた笑い声とともにあとずさり、教室を出てドアを閉める。
「……」
「……」
まだ硬直したままの二人の耳に、ずどどどどど、と廊下を駆けていくその足音が響く。
「……ええと」
とりあえず何がどうなっているのかさっぱり分からず、播磨はただ一言尋ねた。
「……なんで?」
「それはこっちの台詞よ!」
怒声とともに、ようやく動き出す時間。
私だって好きでこんなことしてるんじゃないんだから、と言いながら、もう疲れた、という表情で腰を下ろす沢近。
「ほら、さっさと受け取りなさいよ」
言って、机の上に置かれているラッピングされた小箱を示す。小箱には、それぞれ天満、八雲、サラ、と名を記した紙が付されている。
「……?」
寝起きのせいで目の前の状況を理解できていない播磨、きょとんとした顔をしていると。
「アンタね……だからチョコレートよチョコレート、分かる?」
むすっとした顔で説明する沢近に、ようやく理解する。
(つまりあれか、なんだか知らんがコイツが持ってきてくれたのか)
で、なんでお前が、と訊こうとして、その三つに隠れるようにして置かれていた名前のない箱に気がつく。
「おい、それは……」
「っ!」
そこで初めて沢近が怯んだ。
「……これは――――よ」
「あん?」
「――が作ったのよ」
「だから聞こえねぇって言って」
「だから、私が作ったのよ!」
播磨の声を遮って叫ぶようにして言う沢近、一度言ってしまえば後はもう勢いで。
「いるの?いらないの?」
いらない、と答えた日にはどうなるか、という表情である。
「……イタダキマス」
大人しく頭を下げた播磨に、まだ射るような視線を飛ばす沢近。
「……何だよ」
「食べて」
「……は?」
「だから、今、ここで、食べなさい」
「……」
例によって例のごとく、断れるはずもなく。
(本気でワケわかんねぇぞ、おい)
そう思いながらも、取り出したそれを恐る恐る口に運ぶ。
「……」
「……」
またしても沈黙。
「……」
「……」
怨念でもこもっていそうな沢近の視線。
「……」
「……あー、その、なんだ。まあ、うまいぞ、うん」
耐えかねて、とりあえず感想でも言うべきなのか、とそう口にする。
「……」
「う、嘘じゃねえぞ」
確かに手作りらしく、市販の物とは違う味だが、決してまずいわけではない。
「……そう」
必死でさらなる弁明を試みようとする播磨に、沢近はそう呟いた。
「なら、いいわ」
そしてそのまま教室を出て行く。
「……」
後に残された播磨にはまったくわけが分からない。
「何なんだよ……」
ぼやいてから、もう一つ沢近のチョコを口にする。
ほろ苦くて甘い、そんな味がした。