The Dogs Bark




 ショーウィンドウを彩るのは、色とりどりの服や靴、それにきらびやかなアクセサリ。まるで眩しいものでも見るかのように目を細めながら、ふん、とララは小さく鼻を鳴らす。
『ララさんに似合うと思いますよ、きっと』
 脳裏に浮かぶのは、そんな一条の言葉。バイト帰り、ふとその前で足を止めたところに向けられたそれを、あっさりと一笑に付してしまったことを思い出して小さく顔をしかめるララ。それでも、誕生日には何かプレゼントしますね、と言っていた彼女は、不運にもバイトのシフトが変わってしまったために、今この場所にはいない。
「これを、カ」
 ごめんなさい、と見ている方が申し訳なくなるほどに頭を下げていたその姿を思い出し、ぽつりと呟く。
 本音を言えば、憧れにも似た気持ちは確かに持っている。なにせ、この国に来てからというもの、ただひたすらに部活に明け暮れるだけの日々。
 それでも、そのためにこそここにいるのだから苦ではない……はずだった。
 それが。
「ナゼこれほどニ心が乱れル……?」
 知らず、そんな言葉が洩れる。その心境の変化が、一条かれんという『友』と出会い、見ようともしていなかった周囲を次第に視界に入れ始めたのに起因していることに、彼女はまだ気づいていない。
「……まあイイ」
 誰にともなくそう言って、再び歩き出そうとしたその足下で。
「オマエは……」
 ばう、と吠える愛嬌のある顔をした犬。見覚えのあるその姿に一瞬表情をほころばせるララだったが、すぐにその飼い主を思い出し、気を引き締め直す。
「スイマセーン」
 すると、いくらもしないうちにぱたぱたと駆けてくる足音とどこか軽薄そうな声、鞄を肩からかけた今鳥が予想通りに姿を見せる。
「あーどうも、コイツが迷惑……ってあれ?」
「なんダ?」
 たった今気がついたというように、わざとらしく首を捻ってみせる今鳥。いつものように、ララはそれに対して厳しい視線で応えるが、今鳥もいつも通りにそんなことはまったく気にせず、奇遇奇遇、などと呑気に笑っている。
「……フン」
 そんなものに構っていられない、とさっさと立ち去ろうとするララ。
 けれど。
「……」
 いつかのように、その足下から離れようとしない一匹の犬。歩けば歩いた分だけ着いてきて、物欲しそうな瞳で彼女の方をじっと見つめてくる。さすがにそれを無下には出来ないララ、仕方なしに飼い主たる今鳥の方に視線を向ける――と。
「俺さ、そいつの散歩の途中なんだけど」
 何も繋がれていない紐をくるくると指先で回しながら、ゆっくりとララに近づく今鳥。
「なんかララちゃんのこと気に入っちゃったみたいだし……」
 にへら、と笑って一言。
「付き合ってくんない?」
「なッ……」
 思わず反論しかかったところを、足下から、ばう、の鳴き声とつぶらな瞳。くっ、と呻きながらしばらくそれを見つめた後で。
「……ワカッタ」
 ララは小さく頷いた。





 ――数十分後。
「いや、助かったぜ」
「私は、べつニ……」
 終着点の公園で、いつもの笑顔でぽんぽんとララの背中を叩く今鳥。対して、どこに行けばいい、という問に対し、ララちゃんの好きなトコで、などという答を返され、好き勝手に歩き回ろうとしたために、何もしていないという自覚があって強く出られないララ。
 しかも、そこは道が細くてイッツーだから危ない、そっちは行き止まり等々、まだまだ地理に明るくない彼女があまりに変な道を選ぼうとすると、後ろから的確なアドバイスまで飛んできていた。これでは彼女ならずとも、そっぽを向いて答えるより他にない。
「んじゃちょっと待ってろよ、すぐ戻って来るからな」
 ひとしきりそうやった後で、今度は彼女の返事も聞かず駆け出す今鳥。公園の出口でようやく一度振り返り、帰るなよ、と言ってから再び走り出す。
「変わった男だナ、オマエの主人ハ」
 その姿を少しあっけにとられながらも見送って、足下の犬に語りかけるララ。戻ってくる返事は、ばう、の一声。
「フッ……」
 何がおかしいのか、それは分からなかったが、とにかく愉快な気分になって小さく笑みを浮かべながら、この数十分を思い返すララ。
 曲がることのなかった角を曲がり、通ったことのない小道を通り、知りもしなかった抜け道を抜ける。
 知っていたはずの街の知らなかった部分。それを肌で感じ取ることの出来た、そんな時間。
「感謝しなければイケナイのだろうナ」
 気持ちよさそうに目を細める犬の頭をなでながらそう口にする。その表情は、普段彼女が見せることのない険の取れた柔らかいもの。口の端には、小さく笑みさえ浮かんでいる。
 けれど、それもほんの一時。お待たせー、などと言いながらアイスクリーム片手に今鳥が戻ってくる頃には、その表情はいつものそれに戻っている。受け取るときも仏頂面。
 ――しかし。
「あとはコイツだな」
「ム?」
 ほらよ、と差し出されたのは綺麗にラッピングされた小箱。
「代わりに渡しといてくれって頼まれもん。誕生日なんだろ、今日」
 おめっと、という茶化したような声に重なるように、ばうわう、と一吠えすると、あはははー、と笑いながら駆け出した主人の後を追うようにして犬もまた走り出し、彼女の前でぐるぐると追いかけっこを始める。
「……」
 そして、そのプレゼントを受け取った恰好のまま呆然としているララ。しばらくしてからようやく我に返り、当然の疑問を口にする。
「イッタイ誰ガ……」
「言うなって言われてるから秘密ー」
 返す今鳥はあくまで脳天気。一条なのか、という問にも、さあね、と答えるのみ。むしろこちらの方が大事、というように、ひたすら犬と戯れている。まるで、今日自分のすべきことは全部終えたかのように。
「……」
 そんな光景をじっと見つめてから、ララは小声で言う。
「……アリガトウ」
「んー? なんか言ったかー?」
「ナンでもナイ」
 そう言ってから立ち上がり、じゃあ私は帰る、と背を向けるララ。んじゃまたな、とその背中にかけられる声にちらりと振り向けば、犬を抱き上げてその手を一緒に振っている今鳥の姿。思わず笑い出してしまいそうになって、けれどどうにかそれを押さえ込んで歩き出すララ。
 公園の出口まで来たところでもう一度振り返り、今鳥がまだそうやっているのを見て、そこで初めて小さく笑う。
「また、カ」
 そして、そんな小さな呟きを残してその場を後にした。





 ――翌日。
 いつものバイト中、客並みも引いて一段落したのを見計らって、一条に声をかけるララ。
「昨日は、そのダナ」
「そんな、私の方こそごめんなさい。どうしても外せない用事があって……」
 言い難そうにしているララの先手を取って謝る一条。プレゼントは後でお渡ししますね、と申し訳なさそうに頭を下げる。
「プレゼント……? いや、それハもうあの男カラ受け取ったゾ」
「受け取った……?」
 どこか噛み合わない会話。らちがあかない、とララがそれを質そうとしたときに。
「よう」
 いつのまにかやって来ていた今鳥がにやにやしながら軽く手を上げる。会話を中断させられ――バイト中、というのはこの際置いておく――イライラを隠せなかったララだが、今鳥のその表情に引っ掛かりを覚える。
「まさカ、全部キサマが」
 先の噛み合わなかった会話。そしてこの得意気な顔。
 そこから導かれる結論は、彼女の想像を遙かに越えるものだった。
「……変わった男ダ」
 昨日も呟いたその言葉を、嘆息混じりに再び呟く。一方の今鳥はといえば、そんなことはまったく気にも留めずに、お客様ですよー、などと言いながらカウンターに頬杖をついている。
「あ、あの」
 まだ事情が飲み込めずに、けれどこのままではいつものように今鳥の末路が目に見えている、と一条が割って入ろうとしたところを手で制するララ。
 ――そして。
「いらっしゃいマセ」
「……へ?」
 『スマイル』を見せるララ。
 あの日、彼の飼い犬の前で見せていたような、気負いも屈託もないそれには及ばないものの、誰がどう見ても一目で笑顔だと分かる、そんな表情。
 それを見た今鳥は。
「すいません間違いました」
 真顔でそう言って、隣の一条のレジへと移ろうとして。
「キサマ……!」
 案の定カウンターの内側に引きずり込まれるが、その刹那、ほんの一瞬だけ一条と目をあわせ、にっと笑――
「うぎゃあああ!」
 ――うことは叶わずに、鉄拳の制裁を浴びる。
 そして、事ここに至って、ようやく情報の断片から状況を理解する一条。
「もしかして、今鳥さん……」

 ワスバーガー矢神店。
 いつものように店内には怒声と悲鳴が響いている――が。

「ちょっ、待てっ! ムリムリムリ死ぬ死ぬ! タップタップ!」
「ウルサイ、黙れイマドリ!」
「ララさん、今初めて名前……」
「いいから一条、たすけ……ろ……」
「え? あ、今鳥さん!?」
「……フン」

 今日のそれは少し、ほんの少しだけ。
 嬉しそうな色が混じっていた、とか。
 これはそんな、ただそれだけの話――





「フッ……うまくいったようじゃないか」
「ああ……シカシ」
「うん? どうかしたか?」
「アソコにいるのガ私達デハないとイウのがナ」
「なに、その程度は花を持たせてやってもいいだろう? 良くも悪くも、あれはララの心を動かす男だ」
「確かニナ。まあ、祝うべきハ彼女、とイうことカ」
「分かってるじゃないか……では、愛すべき女神に」
「乾杯」