throwing into confusion




「さて、今日のホームルームだが――」
 ぐるり、と教室を見回す花井。
 そして。
「都合によりなしだ」
「……は?」
 突然のことに何を言っているのかわからない、という舞を尻目に、では僕はこれで、と教室を出て行こうとする花井。
「ちょっ、待ってよ!」
「すまない、舞君。僕はこれから大事な用事が……」
「ホームルームも大事な仕事でしょっ!」
 困惑から一転、順調に怒りゲージが溜まりつつある舞に、仕方ない、という様子で表情を改める花井。
「今日は何月何日かな?」
「……三月十四日、だけど」
「そう、その通り。そして三月十四日と言えば、だ」
「……ホワイトデー?」
「ということで、だ。僕は今すぐ――」
 と、そこで何かを思い出すように黙り込む。
「あの、花井君?」
「いや、すまない。僕としたことがずいぶんと気が動転していたようだ」
「別に、私はわかってくれればいいんだけど……それじゃ」
 始めようか、と言いかけた舞に。
「君の分もちゃんと作ってきたのをすっかり忘れていたよ。受け取ってくれ、舞君」
「そーじゃなく……え?」
 またしても突然のことに思考停止状態の舞に、遠慮することはない、と花井。
「……あ、ありがと」
「うむ!ではいささか遅くなってしまったが、僕は八雲君のところに行かねばならない。後のことはよろしく頼む」
「え、あ、うん……って!」
 我に返っても時既に遅し、花井の姿はとっくに教室の中にはない。
「……」
「あの、舞ちゃん……?」
 心配そうな友人の声に、なんでもないよ、と笑顔で答える舞。その表情が若干引きつっているのは、まあ、なんと言うか。
「はいはい、それじゃぱっぱとやってさっさと終わらせちゃうからね!」
 言いながら、黒板に叩きつけるようにして走らせるチョークが。
 少し、欠けた。





 宣言通り瞬殺された――なら最初から、という話ではあるのだが、そこはいろいろとあるわけで――ホームルーム後。
「――やるわね、花井君」
「いや、ありゃ違うだろ。絶対」
 恋する乙女心を利用してうまく逃げたのよ、と言う沢近に呆れ顔の美琴。
「アイツがそういうのに頭回ると思うか?」
「……それもそうね」
「だいたいさ、その恋する乙女心ってのから間違ってないか?」
「あら、そんなことないわよ……いいの?美琴」
「……なんでそこで私に振るんだよ」
「だってバレンタイン――」
「だからあれはっ!」
「はいはい、そうね、そういうことにしといてあげる」
 沢近のその態度に、実は今朝もうお返しはもらっただとか、少し――ほんの少しだけそれが嬉しかっただとか、そういうことは決して言うまい、と固く誓う美琴。
「ま、とにかく、よ。あれは絶対間違いないわね」
 妙に自信満々の沢近に、晶が一言。
「愛理もそうだからわかるんだよ、きっと」
「そうなのか?沢近」
「なんでそうなるのよっ!私はね、もっと……」
「……もっと?」
「……なんでもないわよ」
「なになに?愛理ちゃんがどうかしたの?」
「別にどうもしてないわよ……それにしてもどうしたの?天満。ずいぶん嬉しそうだけど」
 沢近の言葉にえっへん、と胸を張る天満。
「実はね――」
「ああ、もうなんとなくわかったからいいわ。烏丸君にもらったのね、お返し」
「う、そうなんだけど……自分で言わせてよ、愛理ちゃん……」
「いいじゃない、減るもんじゃなし。でも、確か渡せなかったとか言ってなかった?あなた」
「うん、あの日はそうだったんだけど、いろいろあってね」
「いろいろね……で、何もらったんだ?」
 尋ねる美琴に対して天満が取り出したのは。
「……ソコイチのタダ券?」
「……そうね、私にもそう見えるわ」
「それ以外には見えないけど」
 呆れ顔の二人――晶は相変わらずいつも通り――だったが、当の天満はこれでまた烏丸君と、と浮かれている。
「……まあ、本人がいいならいいんだよな、多分」
「カレー、ね……」
 ぽつりと言ってから、ちらりと横を見やり――
「――播磨君ならいないよ」
「……あ、そう」
 ――不意打ちのような晶の一言を受け流す沢近。
「ん?そう言えばそうだな。さっきまでいたような気がしたけど……」
「ホームルームの前に出て行っちゃったよ、播磨君」
「どうせまたその辺ほっつき歩いてるんでしょ。さ、帰りましょうか」
 そう言って立ち上がり、鞄と机の横にあったちょっと大きめのトートバッグを手に取る。
「ちょっと待て、まさかそれ全部……」
 美琴の問いに、そうよ、全部お返しだけど、となんでもないように答える沢近。
「すごいね、愛理ちゃん」
「どうやって脅したの?」
「……晶、あなたね」
 げんなりした顔で晶にそう言ってから、もういいわ、先帰る、とすたすた歩き出す。
「あ、おい!……ったく」
「愛理ちゃん……」
「愛理もいろいろ苦労してるんだよ」
「いや、お前がさせてるように見えるぞ、高野」
「気のせい」
 しれっと言ってのける晶に、いいけどさ、と肩をすくめてみせる美琴。
「それじゃ行くか。沢近にゃ追いつくだろ、どうせ」
「うん」
「そうね」
 かくして、三人も席を立ち、教室を後にした。





 ――さて、播磨はと言えば、ということで時間を若干戻す。
(どうせまた長引くしな、悪ぃが抜けさせてもらうぜ)
 実際のそれは舞の手により五分とかからず終了することとなったのだが、そんなことは知るよしもない播磨、授業が終わるとそそくさと教室を抜け出してきていた。
(まずは、と……)
 段取りを考えつつごそごそと荷物をあさっているその横を。
「八雲くーん!」
 花井が駆けていった。
「……んだよ、おい」
 と呟いてからはたと気がつく。
(ってことはあれか、目的地は同じじゃねぇのか?)
 げんなりしつつも、むしろやるべきことはその後に控えているため時間は浪費できない播磨。しゃーねえ、と言いつつ足を進める。
 そして。
「八雲君!僕の気持ちだ、受け取ってくれ!」
「……あー」
 予想通りの展開に、茶道部の前で若干頭を押さえつつも、とりあえずドアをノックする。
「あ、先輩。どうしたんですか?」
 ドアから顔を覗かせたのはサラ。室内の窓際では、全身からなんだかよくわからないオーラを立ち上らせている花井と、少しおろおろしつつも向き合っている八雲。
「ん、ああ……」
 取り込んでるとこ悪ぃな、と頭を後ろ手でぽりぽりとかきながら、袋の中から小さな花束と小袋を二つ取り出す。
「先輩、これ……」
「なんつーかな、ほらあれだ、礼はきちんとしねえとな」
 相変わらずこの手のことを苦手とする播磨、傍目に見てわかるほどに真っ赤である。
「こっちは八雲の分ですよね。今ちょっと立て込んでますけど――」
 見れば、出来れば感想を聞かせてほしいのだが、という花井に、おずおずとそのクッキーを口に運んでいる八雲。
「――直接渡した方がいいですよね?」
「いや、構わねぇよ。よろしく言っといてくれ、いろいろ世話になってるしな」
「そうですか?八雲もその方が喜ぶと思うんですけど……」
「……なんでだ?」
 聞き返す播磨に、そういうところが先輩らしいです、と微笑んでから、それじゃ確かに、と受け取る。
「頼むぜ。んじゃな」
 そう言って立ち去ろうとする播磨の背に声をかけるサラ。
「ありがとうございました、先輩」
 満面の笑顔。
「……お、おう」
 その一言に先ほど以上に真っ赤になりつつ、播磨はその場を離れた。





(ここからが本番だぜ……)
 一息ついて動揺を振り払い、気合を入れ直す播磨。なんとなれば、その目的は。
(――天満ちゃん)
 そう、肝心要の天満にまだお返しを渡せていない播磨だった。教室で堂々と渡す度胸などあるわけもなく、さりとて話しかけようにも。
(アイツ、絶対俺に恨みかなんかあるに違いねぇ)
 ……誰が何を、は言わずもがなである。
 ともあれ、そんな状況下で播磨が取った作戦とは、古典的な手段――下駄箱利用、というヤツである。既に大ポカで一度失敗している手ではあるのだが、失敗を乗り越えるのが男だぜ、ということらしい。
 むしろ、世の真理は二度あることは、というやつなのであるが。
 さておき。
「……まあ、一応な」
 昇降口に到着した播磨、そう呟きながら最初に手をかけたのはその沢近の下駄箱である。その妙なところでの義理堅さや、余計なところで気を回して実行するフォローが自身の問題を引き起こしているのには当然気づいていない。
 そして。
「天満ちゃん……」
 本命たる天満の下駄箱を開け、お返しであるところの小物入りの袋を入れ、さらに後で屋上に来てくれる旨を記した手紙を置こうとしたその時――
「何してるのよ、アンタ」
「ッ!!」
 例によって例の如く、最悪のタイミングで最も聞きたくなかった声――沢近のそれを耳にする播磨。慌てて振り返り後ろ手で下駄箱を閉じる。
「な、なんでもねぇよ」
「……そう。ならどいてくれない?」
「へ?」
「あのね、そこは私の」
「お、おう。そそそうだな、悪かった、じゃあなっ」
 言うや否や、速攻でその場から逃げ出す播磨。
「……何よ」
 ご機嫌ナナメの表情でそう呟きながら下駄箱を開ける沢近。
「――――」
 中にあったソレを取り出して手に取った表情が、なんとも言えない複雑なものに変わる。何かを言おうとするも言葉にならず、そのもどかしさに視線を下に落として。
「……?」
 そこに落ちている紙切れに気がついた。拾い上げてみると、話があるから屋上に来てくれ、という内容の文面。
「……これって」
 それが意味するところを考えようとした矢先に。
「ん?何やってんだ、沢近」
「っ……なんでもないわよ、別に」
 こちらも絶妙のタイミングで声をかけられ、一瞬呼吸の止まる沢近。幸か不幸かその動揺に気がつかなかった美琴が、もらいすぎて重くて疲れたんだろ、などと茶化してくる。
「美琴、あなたね……」
「はいはい、と。んじゃ帰るか」
 ぽんぽん、と肩を叩きながら言う美琴に、ごめんなさい、と沢近。
「ちょっと用事思い出しちゃったから……」
「あ、私何か手伝おうか?」
「ありがとう、天満。でもいいわ、頼んじゃうのもなんだか悪いし」
「遠慮しなくてもいいんだけど……そっか」
「ごめんね。それじゃ」
 空いている方の手を軽く振り、廊下を戻る沢近。
「ああ、じゃあな」
「また明日ね、愛理ちゃん」
 そして、最後まで沈黙を守っていた晶は。
「――がんばってね」
「……何をよ」
「さあ?」
「……」
「それじゃ」
「……それじゃ」





 ――で、屋上。
「……」
 独り風を受けて――それに特に意味はない――立つ播磨、事態の展開など知るよしもない。
「――天満ちゃん」
 呟いたその時、階下からのドアが開いて――
「……ほんとここが好きよね」
 ――沢近が立っていた。
 当然と言えば当然のことなのだが、播磨にしてみれば何がどうしたのかわからない、というところである。
「お前にゃ関係ねぇだろ」
「――これ、アナタでしょ?」
 その言葉には答えず、小さなブローチを見せる沢近。
「……」
「……なかなかいいセンスじゃない」
 ありがとう、と聞こえるかどうか、というくらい小さな声でそう言った。
「……お、おう」
 実際のところは散々絃子に連れ回された代償として、手の届くところで何点か見つくろってもらったのだが、雰囲気に押されて頷く播磨。
「それだけよ。じゃ、アンタもさっさと帰りなさいよ」
 誰も来ないんだし、と言って階下に戻ろうとする沢近。
 が――
「誰もって、なんでお前……」
「あ……」
 しまった、と思うものの後の祭り。なんとなくよ、と言ってみるものの、それで納得する播磨ではない。
「待て、お前まさか……」
「何よ!全部アンタが悪いんじゃないっ!」
 バッグから取り出した手紙を叩きつけ、そのまま屋上を飛び出す。
「……!…………!」
 閉まる分厚い鉄扉の向こう、それに激突したと思われる播磨の声を背に、一段飛ばしで一気に階段を駆け下りる。
「……何よ」
 ようやく昇降口まで辿り着き、私は全然悪くないじゃない、と思う沢近。なら逃げなければいいのだが、そこでそうしてしまうのが自分、というのは重々承知であって――
「――ああ、もう」
 考えていてもどうしようもない、と下駄箱を開け、今度こそ靴を履き替えて外に出る。
「……」
 そして、そこで屋上を振り返ろうとして――やめた。
「……バカみたい」
 呟いて早足で歩き出す。
 ――掌にはその小さなブローチを握りしめたままで。