特別でないただの一日




 この学校において、茶道部とは平和な部活動である。
 ――などというと、平和ではない部活動とはなんなのか、などという話になるのだが、それについてはひとまずおいておく。この場合、少なくともここ以上に平穏な場所はそうそうない、という意味である。

 基本的に活動内容などあってないような部活である。いわば放課後の団欒の場所であり、教室の片隅で、食堂で、ラウンジで、学校ならどこにでも見られる光景を写し取ったような、そんなのどかな場所――それがこの部活になる。

 明確な規則があるわけでもないが、部員は現在女性陣に占められている。そうなると、逆に今度はよろしくない考えをもって入部を試みる男子生徒も現れるわけだが、彼らの前には大きな障害が立ち塞がっている。
 即ち、部長であるところの高野晶、そして顧問であるところの刑部絃子、である。
 来る者は拒まず、が基本スタンスの彼女らであるが、当然ながら不純な動機でやってくる者に対しては、『それなりの』対応を以て相手をする。何があろうとめげずに突撃を繰り返すような極一部の例外を除き、今のところこのハードルを乗り越え目標を達した者はいない。
 今後とも現れることはまずないだろう、とはまことしやかな噂である。

 そんなわけで。
 今日も茶道部は概ね平和であり、いろいろと周りに気を使ってしまうことの多い塚本八雲が、友人であるサラ・アディエマスが所属していることはさておいても、そこに平穏を見つけた、というのは別段不思議でもないことだった。

 ――さて。
 これはそんな彼女たちにまつわる、取り立ててどうということもない話。
 季節は春、八雲が茶道部に入ってからまだいくらも経っていない、とある日の出来事だ。
 では、始めよう。 





 その日の放課後、やあ、と言いながら部室のドアを開けた絃子が目にしたのは、静かに、というように、右手の人差し指を立てて口に当てているサラの姿だった。見れば、彼女の向かいには小さな寝息を立てている八雲の姿。

 容姿端麗成績優秀、と基本的に非の打ち所のない彼女だったが、人付き合いを若干苦手にしていること、そしてもう一つに欠点がこの癖――と言っていいものかは分からないが――だった。
 本人の意思にかかわらず、時折自然と眠りに落ちてしまう。微笑ましいと言えばそう言えなくもないが、なかなかどうして厄介な問題である。とは言っても、目下それを問題視している者はほとんどおらず、むしろその姿さえ絵になる、と一部では評判にさえなっている。

 ともかく、一度こうなってしまうと彼女が自発的に目を覚ますまで、眠りが妨げられることはまずほとんどない。サラとてそれは承知しているが、それでも先のポーズを見せたのは、やはり友人なりの気遣いということになるのだろう――絃子もそう判断し、小声で、すまないね、と言いつつ後ろ手に静かにドアを閉め、いつもの指定席である窓際の席へと向かう。

「先生、何か飲まれます?」
「ん、いや構わないよ。今はあまり物音を立てるのも、ね」

 大丈夫だとは思うんだけどね、そう苦笑してみせた絃子に、ですね、と返すサラも似たような微笑み。ホントに気持ちよさそう、と呟くその眼差しは、まぶしそうに細められている。

「それだけ安心してる、ってことじゃないのかな。いくらどこででもと言ったところで、目の前に誰かがいるところじゃそうはいかないよ、きっと」
「……だといいんですけど」

 不安の色がほんの少しだけ混じったサラのその声に、わずかに怪訝そうな表情になる絃子。そんな変化を見て取ったのか、考えすぎかもしれないんですけど、と前置きをしてから続けるサラ。

「私って、ちゃんと八雲の友達でいられてるかな、なんて思っちゃうんです。こっちに来て、最初はひとりぼっちだった私の初めての友達が八雲だったんです」
「うん、らしいね。そのときの武勇伝は私も聞いてるよ」
「武勇伝?」
「ああ。なんでも襲いくる野犬をちぎっては投げちぎっては投げで……」

 大活躍だったそうじゃないか、真顔でそんなことを言う絃子。誰から聞いたんですかそれ、と問うサラには、さあ、と肩をすくめて笑ってみせる。対するサラは、もう、と口だけで怒ってみせてから、どこかほっとしたように肩の力を抜く。

「その話はまた今度ゆっくりしましょうね。……それで、です。とにかくそれがきっかけになって、私は友達がたくさん出来たんですけど、八雲はまだどこかみんなに遠慮してるみたいで」
「……ふむ」
「友達がいないとか、それで何か問題があるかとか、そういうことじゃないんです。でも、私に何かもっと出来ることがあるんじゃないかな、そう思うんです」

 友達ってそういうものですよね、きっと。
 そんな言葉で締めくくられたサラの話に、しばらく考えるような様子をみせていた絃子だったが、やがて穏やかに微笑んで口を開いた。

「君がそう思っているんなら、絶対に大丈夫だよ」
「……そう、ですか?」
「そうだよ。そもそも君が彼女と知り合ってどれくらいになる? それは最初はいろいろあるかも知れない。でもね、三年間というのは意外に長いものだよ。思いがけないことだって、変わっていくことだって山のようにある」
「……」
「それにね、これでも一応君たちの担任だ。その私から言わせればね、君と塚本さんなら絶対にうまくやっていける。親友――そう呼ばせてもらうよ――っていうのはそういうものだよ」

 わずかの迷いも見せずにそう言い切る。自信と確信に満ちたその表情に、ふと思いついた疑問をぶつけてみるサラ。

「刑部先生にもそんな友達、いらっしゃるんですか?」
「ああ。今だって一番の友人だよ、彼女は」
「……なんだかうらやましいです、そういうの」

 先生がその方とどんなふうに――続けられたその問に、初めて絃子が複雑そうな表情をつくる。

「まあ、そうだな……いろいろだよ」
「いろいろ……ですか?」
「……昔の話だからね。うん」

 知りたいです、と身を乗り出すサラ。好奇心に満ちた、少年のような――『少女のような』ではなく――瞳がじっと絃子に向けられる。

「ああ、分かった、分かったから。……そうだな、君の卒業祝い、というのでどうかな。そのときまで覚えていたなら話してあげるよ」
「今じゃダメなんですか?」
「いろいろと都合がね……」

 呟く絃子の脳裏には、該当の友人――笹倉葉子の姿。先のサラの様子から察するに、今話せば根掘り葉掘り訊かれた挙句に、彼女の方にまで聞き込みに出向きかねない。そうなるとまずいこともあるのだ、彼女の場合。

「分かりました。その代わり絶対ですよ?」
「約束は守るよ」

 苦笑混じりの言葉とともに、さて、と立ち上がる絃子。

「私はそろそろ行くよ。君はどうする……なんて訊くまでもないか」
「はい。八雲が起きるまで待ってます」
「それがいい。変に焦らなくても十分だよ」

 それじゃあ、という別れの言葉を残して出ていく絃子を見送るサラ。入ってきたときと同様、静かにドアが閉められて、木製の床を軋ませる足音が徐々に遠ざかっていく。

「親友、か」

 どこかくすぐったいような響きを持つその単語を呟く。

「――なれるかな、私も」

 未来へと託されたその問を運ぶように、窓から緩やかな春風が流れ込む。
 そして同時、ん、と小さな声をあげて身を震わせる八雲。
 そんな彼女の覚醒が最後まで完了し、ゆっくりとその瞳が開かれたのを確認してから。

「おはよう、八雲」

 そう、サラは微笑んだ。





 さて、取り立てて特別なところのないこの話は、ここで終わる。
 三年後、きっちりとその約束を覚えていたサラに促され、何故か当の葉子も交えて昔話をさせられる絃子の姿もあったりするのだが、それはまた別の話。

 ――かくして。
 今日も茶道部は平和である――これはただ、それだけの話。