What is it
「姉さん、人を好きになるってどういうこと――?」
◆
「……なんだよ」
「ふふ、でもそれって先輩の方が悪いんじゃないんですか?」
ところはいつもの動物園、偶然……ではもはやなく、週末には三人でこうして園内をまわるのが完全に習慣になっていた。特に何をするわけでもないけれど、かけがえのない大切な時間。
けれど。
(……)
隣を歩く播磨とサラの楽しげな様子に、今日はどこか寂しさを感じてしまう八雲。決して自分も楽しくないわけではないし、それほど自分から会話を振ってくるわけでもない播磨を、あの手この手で会話に引き込んでいくサラの様子は見ていて微笑ましいと思う。
(……でも)
自分だって以前と比べればずいぶんと積極的になった、とは思う。話しかけられれば当然答えるし、自分の方から話を振ることだってある。
それでも、目の前のサラの様子を見ると思ってしまうのだ。
自分には出来ない、と。
(どうしたんだろう、私……)
少しだけ世界が遠くに感じられて、そして――
「……雲、八雲」
「……あ」
自分の名を呼ぶサラの声に我に返る。
「八雲、大丈夫?なんだか調子悪いみたいだけど……」
「ううん、大丈夫……」
そう言ってはみたものの、身体ではなく心のどこかがまだ軋んでいるような気がする。
「すまねぇ、俺がぼけっとしてて妹さんの様子に全然気がつかなかった」
無理に付き合わせて悪かった、と頭を下げる播磨。
「そんなこと……」
(……悪いのは私なのに)
心配そうな播磨の様子に、また心が軋む。
「どうしよう、今日はもう帰ろうか」
「うん、私はそうする……」
でも二人はゆっくりまわってきて、となんとか笑顔を作って答える。
「いや、でもよ……」
「大丈夫です、一人で帰れますから」
自分でもらしくない、と思う言葉が口をついて出る。
(私……)
そんな様子になおも心配して食い下がる播磨だったが、サラに引き留められる。これでいいんだよね?、というサラの瞳に、ごめんなさい、と思いつつ頷く八雲。
「それじゃ、また……」
「お、おう……」
「気をつけてね、八雲」
そうやって、心に軋みを抱えたまま、八雲は動物園を後にした。
◆
「……ただいま」
「あれ?今日は早かったね、八雲」
いつもだったら夕方なのに、と不思議そうな顔の天満。
「うん、ちょっと……」
「そっか」
そう言って納得したような素振りの天満だったが、すぐに、そうだ、と何か思いついたように尋ねてくる。
「前から思ってたんだけどね、いっつも八雲ってどこに行ってるの?」
もしかしてデートだったりして、とどこか落ち込んだような八雲の気配を感じ取ったのか、冗談まで付け加える。
『友達と動物園に行ってるだけだよ』
いつもの八雲ならそう答えただろう。
けれど。
「姉さん」
「ん?なに?」
「姉さん、人を好きになるってどういうこと――?」
口から出たのはそんな言葉だった。
この不安定な自分の心に説明をつけられるとしたらそれしかない、と八雲は思っていた。しかし、恋というものはもっと楽しいものではないのか、という考えがそれを打ち消す。
(烏丸さんの話をしているときの姉さん、いつも楽しそう)
なら自分のこのよくわからない気持ちは一体何なのか。姉にしか訊けない、姉にさえ訊くのをためらっていた、そんな問いかけ。
「うーん、難しいこと訊くね、八雲ってば……」
その真剣な表情に、しばらく天満も言葉を探す。
そして。
「いい、八雲。人を好きになるっていうのはね」
「うん……」
「よく、わかんない」
「……姉さん」
ふざけてるんじゃないよ、と真面目な顔で否定する天満。
「えーと、こういうこと訊くっていうことは、八雲にもなんだかわからないけど気になる人、っていうのがいるんだよね」
「……うん」
「会いたいとか話したいとか、そういうのじゃなくて、いろいろごちゃ混ぜにしちゃったみたいな、そういうよくわかんない気持ち?」
それにもうん、と頷く八雲。
「私はね、そういうのが恋なんじゃないかな、って思うんだ」
そう答える天満に、八雲は先ほどの疑問を口にする。
「でも姉さん、恋って苦しいものなの……?」
「うん、それはね……覚えてるかな、八雲。二年生になってすぐのころの私」
「あ――」
その言葉に八雲は思い出す。クラス替え、席替え、ことあるごとに一喜一憂していた姉の姿。あのころから天満は恋をしていた。それはつまり。
「苦しいとか寂しいとか、そういうのもぜーんぶ集めて一つにしちゃったみたいな、そんなよくわかんないのが恋じゃないかな、なんて思うよ」
と、そこまで真面目な顔で語ってから、今度はいつもの柔らかい表情で、ほんと言うと私もまだよくわかんないんだけどね、と付け加える。
「だから八雲の今の気持ちが何か、っていうのには答えられないよ。もちろんそれが誰かを好き、ってことだったらいいな、って思うし、そしたらお姉ちゃんどんどん応援したいけど」
そんな天満の言葉に笑顔を見せる八雲。
『やっと笑った。やっぱり八雲は笑顔が一番だよ』
「よし、それじゃ今日はお姉ちゃんと一緒にお出かけ!すぐにしゅっぱーつ!」
そう言うや否や、勢いよく立ち上がる天満。
「ありがとう、姉さん」
心の声と現実の声、その両方に礼を言って、八雲も立ち上がった。
目尻に浮かんだ涙をそっと拭いた、その後で。
◆
そんな姉妹水入らずの時間を過ごして、就寝前。
八雲は伊織を膝に抱えて窓辺に腰掛けていた。
「私はどうなんだろう……?」
昼間のことを思い出してそう呟いてみる。しかし、伊織は気のない素振りでにゃおう、とあくびをするだけ。
「お前に訊いてもしょうがないね……」
まったくその通り、という顔をしてからぴょん、と膝の上から降りて床の上で丸くなる伊織。その仕草に微笑んでから窓から空を見上げる。夜空には、都会とはいえ目をこらせば幾つかの星の姿。
それを見て。
願わくば、と。
八雲は小さな願いをかける。
(この気持ちが――)
そんな夜空に、星が一つ、流れた。